普段ものを見ているとき、はっきり見えるのは眼の中心のごっく狭い部分でしかないということに気がつきません。
たとえば図の一番上の行で、真ん中にある小円の部分に眼を向けると「南船北馬・東奔西走」と眼を動かさなくても、すべての文字がはっきり読み取れます。
これは目の中心から外に向かうにつれ、文字が読み取りにくくなるのを補うために、文字の大きさを中心から遠ざかるにつれ、大きくしているためです。
ここで、もし眼を先頭の「南」に向けると、「北」という部分はぼやけて見え、「馬」という部分は読み取れなくなります。
逆に「走」に注意を向けて見ても、やはり離れた場所にある「奔」はぼやけ「東は」読み取れなくなります。
目の中心から遠ざかるにつれて文字が小さくなっているので、目の中心から遠ざかると、見えにくくなるということがはっきり分ります。
ここで字の大きさを同じにしたのが次の行ですが、まん中の小円に注意を向けて見ると、一番上の行との違いがはっきりします。
この場合は真ん中の小円を見て、眼を動かさなければ、左右の文字を読み取ることが非常に困難です。
これは文字の大きさを同じにした場合は、文字の間隔が大きくなっているためではないかとも考えられます。
そこで次の二行は文字の大きさが同じ場合には、文字間隔をつめています。
この場合でも中心から離れるにつれ文字が大きくなっている場合は、楽にすべての文字を見ることができますが、文字の大きさが同じ場合は視線を動かさずにすべての文字を読み取るのは難しくなります。
特殊なメガネがあって、文字列を見たとき左右がだんだん大きく見えるようになっていれば、楽に文字を読み取ることができて好都合なのでしょうが、そういうものはありません。
ここで、目の中心から離れたところがはっきり見えないということについては、二つの対策が考えられます。
ひとつは一点に注意を注意を集中するのではなく、注意を左右に分割する方法です。
文字がよほどに小さくない限り、一点に集中してみなくても文字は読み取れます。
一つ一つの文字をじっと見ていけば、文字ははっきり見えるのですが、活字の場合はじっと見なくても読み取れるので、注意の幅を少し広げることで視幅を広げるように努めればいくつかの文字を一度に読み取れるようになります。
もう一つの方法は、解像度がある程度低くても文字を読み取れるようにする方法で、瞬間的に文字を読み取ることに慣れることで可能になります。
活字文字はあまり小さくなくて、楽に読める大きさであれば解像度が高くなくても読み取れます。
一文字一文字読む習慣から抜けられないと、どうしても文字をすべてはっきりと見ないと読み取れないのですが、慣れれば解像度が多少落ちても読み取りは可能になります。