漢字語は意味を知らなくても文字から意味が推測できるといわれます。
「人類学」という言葉から、具体的にはどんなものかわからなくても、人類についての学問だなと見当がつくというのです。
英語ならanthoropologyといっても、anthoropoというのがギリシャ語の人類に由来するのでantholopoというギリシャ語を知っていれば、人類に関する学問だと分かりますが、普通の人はそんな知識がないといいます。
本当にアメリカの中学生レベルではそうした知識がないのかというと、必ずしもそうではないような気がします。
日本人が習う中学英語にはこうした言葉は出てきませんが、アメリカの中学教科書には出てくるのではないでしょうか。
類人猿はantholopoid apeというのですから、なにもanthlopo
というのが特に高級語彙で、高度な知識を持った人しか知らないわけではないでしょう。
「馬」とか「犬」といった子供のときから覚えてよく知っているようなたんふぉは、言葉自体に意味が示されている必要がありません。
漢字の「馬」が元は象形文字であったにしろ、現在の形からは馬をイメージすることができないほど変形してしまっています。
日本語としての「馬」とか「犬」とかいう言葉は意味を示すヒントが不要なほど良く知られた言葉なのです。
英語で牛はox(雄牛)とcow(雌牛)と別々の名前になっているのを、日本語では牛という言葉があって、雄雌は牛の前につけて雄牛、雌牛と使い分けています。
このほうが分析的だという言い方がありますが、そういうことではないと思います。
日本人からすれば、牛の雄雌に関心があまりなかったので別々に名前をつけなかったので、英語圏ではoxとかcowというのが熟知語になっていて、わざわざ分けているという意識がないのでしょう。
馬車のような言葉は英語では何種類かあるのですが、日本には馬車というものがなかったので、馬の引く車といった漠然とした訳語で済ませているのです。
よく文字を読むとき視覚イメージを思い浮かべたほうがよいといわれますが、翻訳語ではどれをイメージ化してよいやら分からないものがいくらでもあるので、まじめな人は当惑するでしょう。
英語であれ日本語であれ、新しく経験するもの(熟知語でなかったもの)については、すべてまったく違う名前をつけていては記憶しきれないので、それまでに使っていた言葉と関連付けて名前をつけるというのが自然です。
望遠鏡は千里鏡とか縮遠鏡ともいわれたりしたようですが、望遠鏡が一番分かりやすいので一般化しています。
英語のtelescopeも望遠鏡と名前の付け方は同じで、新しくできたものに名前をつけるときは同じ心理が働いているのです。