60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

ハッキリ見える範囲

2007-12-31 22:54:56 | 文字を読む

 文字がハッキリ見える範囲は、30cmはなれたところから見た場合で2.5cm程度、日本語文字にして7文字程度です。
 視角(偏心度)にして+-2.5度程度ですが、見え方はそばに刺激があるかどうかでずいぶん変わります。
 左の図は注視点から離れたさまざまな場所に、アルファベットの文字を表示してみた場合の正解率をグラフにしたものです。
 右側の白丸のグラフは文字をひとつだけ表示した場合で、2.5度ぐらいまでは100%の正解率で、中心から離れるにつれぼやけて見えるため正解率が落ちていく様子が見て取れます。

 これに対し、左側の黒丸のグラフは、文字の左右に別の文字を同時に表示した場合ですが、正解率は極端に下がって、明視範囲の2.5度の処でも、正解率は40%以下に落ちてしまっています。
 生理的にはハッキリ見えるはずのところでも、ハッキリ見えなくなってしまい正解率が40%以下にまで落ちてしまうのは、注意の問題です。
 左右に近接して妨害刺激が表示されるため、どうしても注意が分散してしまい、ターゲットに十分な注意が配分されないためです。
 文字を読むときは横書きなら左右に文字が並び、文字が一つづつ孤立して表示されるということはありません。
 したがって一つ一つの文字に注意がいく場合は、一目で見て正確にわかる範囲は視角で+-2度以下の範囲になります。

 漢字で同じことを確かめてみようというのが、右側の図です。
 一番右の図は漢字が三文字表示されていますが、これは間に漢字を詰めれば七文字分です。
 この場合まん中の「宏」という部分に視線を向けたまま、上の文字を見ると「建」という文字を読み取ることができます。
 次に下の文字に注意を向けて見れば、「減」という文字も読み取ることができます。
 アルファベットに比べれば、複雑に線の入り組んだ文字なのですが、何とか読み取ることができるのは明視野の範囲だからです。

 ところが左側のように上下に漢字を並べてしまうと、まん中に視線を向けた状態では「建」も「減」も読み取ることは非常に難しくなります。
 ひとつ内側の「衆」と「短」がかろうじて読み取り可能というふうに、読み取れる範囲が狭くなっていることがわかります。
 まん中の例のように隣接する文字がひとつになっていれば、上下がはさまれている場合と比べると読み取りやすく、また隣接している文字が漢字でなくひらがなであれば読み取りやすくなります。

 それにしても、文字の一つ一つを読み取ろうとすると、ハッキリと読み取れる範囲というのは極端に狭くなって4文字程度に下がるので、読取効率が悪く、眼も疲れます。
 少なくとも文節単位では読み取れるようになれば、読み取れる範囲が広がり、、眼も疲れにくくなりますから、訓練したほうがよいでしょう。


文字を読むスピード

2007-12-30 23:00:06 | 文字を読む

 図は松沢哲郎、プレマック、S.ランボーがそれぞれチンパンジーに言葉を覚えさせるために使った図形言語の例です。
 チンパンジーは人間と声帯の構造が違うため、音声で人間のの言葉を教えようとしても、どうしてもうまくいかないということが分っています。
 そのため音声でなく視覚を使った言語ということで、作られたのが図のような図形文字です。
 
 図形文字といえば象形文字を思いつくのではないかと予想されるのですが、どれも象形文字ではなく、抽象的な図形で作られています。
 象形文字のほうが分りやすいのではないかと思うかもしれませんが、象形文字というのは案外不便なところがあります。
 たとえば犬という文字をイヌの形に似せた絵文字を作ると、その絵文字が柴犬に似ていれば狆とかポメラニアンなどを「これはイヌだ」と表現しにくくなります。
 なまじ形に似せた文字を作ると、どのイヌをも代表して示すということができなくなるのです。
 
 パブロフの犬がベルの音をエサに結び付けてよだれを流したように、訓練をすれば特定の図形と特定のものを結びつけることができます。
 別に図形がそのものに似ている必要はないのです。
 どのチンパンジーの場合も、ものを図形で示すことを覚えることができたのですから文字を読むことができたといえるかもしれません。
 単語を覚えることができても、文法は分らないのではないかという意見もありますが、ごく簡単な文であれば単語を組み合わせてつくったり、あるいは理解したりすることができるとされています。

 速読の理論によると、読むのが遅いのは音読の癖があるからで、音声のスピードに比べてけた違いに速い光のスピードで読む視読をすれば速く読めるなどといいます。
 それでは音読ができないチンパンジーが、図形言語を読むスピードはとても速いのかというと、そうではないようです。
 文字が目に入るのは光のスピードで一瞬の間のはずなのに、すぐに理解できているわけではありません。
 見えるということと理解するということは別問題なのです。

 音速と高速を比べるというのは、一見もっともらしいのですが実際はおかしな話です。
 音速は一秒間に約331メートル、つまり0.3kmですが、光速は30万kmですから、単純に比較すれば100万倍です。
 まさか光の読みである視読が音読の100万倍だ、という主張ではないでしょうが、このようなたとえが使われると、読むことと見ることが同じであるかのような誤解を生むことになるのです。
 もし読むスピードを上げるということであるならば、理解のスピードを上げるのが本旨であるはずなのです。
 

 


口で言うより手のほうが早い

2007-12-29 22:32:58 | 文字を読む

 図の①の例はスクリーンに文字が表示されたとき、上に表示されたときは「上」と答え、下に表示されたときは「下」と、文字ではなく表示位置を答えるというテストです。
 このとき文字が上に表示されて「上」と答えるというように、文字の意味と位置が一致しているほうが速く答えられ、また間違いも少なくなります。
 また文字の位置を答えるのではなく、表示された文字が何かを答えるいうテストをすると、こちらのほうが応答時間は短くなります。
 文字の位置を答えるほうが文字の読みを答えるより応答が遅れるのは、文字の読みが自動化されていて、位置を答えるよりも速く反応するためと考えられています。
 
 ところが、ボタンを二つ用意しておき、文字が上の位置に表示されたときははAのボタン、下に表示されたときはBのボタンを押すということにしておくと、ボタンが表示されたときに位置を答えるより、ボタンを押すほうが速くなります。
 つまり「口で言うより手のほうが早い」のです。
 文字の読みが自動化しているで速いというのは、位置を口で答えるより速いということで、言葉を使った場合についての比較です。
 これは上下の場合だけというのではなく、②のように位置を左右にして答える場合も同じです。
 さらに③の場合のように色を答える場合も同じです。
 文字の意味でなく文字の色を答えるほうが応答が遅くなり、間違いが増えるのですが、文字の読みを答えるより、文字の色をボタンで答えるほうが速くなります。

 また、たとえば「鳩、すずめ、鷹」といった鳥の写真のカードと、文字だけを表示したカードを見せて答えるテストをすると、写真を見て鳥の名を答えるより、文字を見て答えるほうが応答時間が速くなります。
 つまり言葉のテストは文字を読むほうが、写真や実物を言葉で表現するより速いのです。

 上下の位置をボタン押しでで答えるほうが、口で答えるより速いのですが、上下の読みをボタンで答える場合と比べるとどうでしょうか。
 口で答える場合は、読みを答えるほうが位置を答える場合より速かったのですから、読みを答えるほうが速いと思うかもしれませんが、そうではありません。
 文字の位置を判断するほうが、文字の意味を判断するより速いのです。
 これは③の場合の色の判断の場合も同じで、色の判断のほうが文字の意味の判断より速いのです。
 つまり文字の意味の判断は自動的ではない(読みが自動的でも)のです。
 文字を見て意味をすばやく読み取れるようになるためには、字面を読み取るだけでは不十分なのです。


視線の動きと脳内処理

2007-12-25 22:47:13 | 文字を読む

 文字を読むとき、視線は一つ一つの文字を順に追っていくのではなく、ジャンプしていくつか先の場所に着いてしばらく停留し、またさらにジャンプして着いた場所に停留するということを繰り返しています。
 視線がジャンプするのに要する時間は約20ミリ秒程度で、視線が停留している時間は普通は200ミリ秒以上とされています。
 ジャンプする距離は日本語の場合、3~4文字程度が平均とされていますが、これは一目で読み取れる文字の数によるので、個人差がかなりあります。
 停留時間も文章や漢字の難易度によって異なり、読みにくい文章では長くなり、これも個人差がかなりあります。
 これに対し、ジャンプに要する時間は20ミリ程度(五十分の一秒)と短いので個人差というものはないとみなすことができます。

 したがって文章を速く読もうとするするならば、ジャンプの距離(一目で読み取れる文字数)を広げることと、停留時間を短くすることであるということになります。
 一目で読み取れる文字数というのは、単に文字を認識できるということではなく、その文字列の意味が理解できるということです。
 文字の一つ一つがハッキリと認識できる範囲を明視野といい、意味が読み取れる範囲を読視野といいますが、読みに慣れないと読視野のほうが明視野より狭い場合があります。
 明視野は7文字程度なのに読むときには3~4文字ずつ注視したりするのですが、慣れるにつれ読視野が広がり、読視野のほうが明視野より広くなることもあります。
 たとえば「おはようございます」という文字は9文字ですが、「おはようござい」までがハッキリ見えて残りの「ます」が多少ぼやけて見えても、「おはようございます」と読めるのです。
 知識や経験がぼやけてしか見えない部分を理解させるので、ハッキリ見える部分以上を見ることを可能にするのです。

 もうひとつの停留時間というのは、何をしているためにかかるのかといえば、文字を読み取っている時間だと考えるでしょう。
 しかし文字は漢字でも10ミリ秒以下の表示で読み取れます。 
 1ミリ秒(千分の一秒)の表示でも読み取れるという実験もあるのですから、200ミリ秒以上も停留して見ている必要はないのです。
 見ることで網膜に文字が映るまでの時間は、誰でも1000分の一秒以下で、
停留時間のほとんどは脳内での処理に使われていることになります。
 脳内の単語と照合して意味を理解するという作業に使われているので、目を速く動かしても見るだけでは、理解が追いつかないということになりかねません。
 停留時間を短くするほうが眼が疲れないのですが、そのためには文字を見てすばやく理解する練習が必要となるのです。


読視野と理解力

2007-12-24 22:13:22 | 文字を読む

 テレビなどに文字が流れるテロップは、実際には上の図のように一つづつ文字がずらされて表示されるものです。
 目には文字が動いているように見えるため、文字の動きに目を合わせようとするため静止している文字を読むより読み取り速度が遅くなります。
 アナウンサーがニュース原稿を読むときの速度は、一分間に400文字程度だということですが、テロップの表示速度はそれ以下です。
 日本人の大人が本を黙読するときの速度は、およそ600文字程度とされているので、テロップはそれに比べるとかなりゆっくりしています。
 それにもかかわらず、ゆっくり感じるどころか逆に速く感じるのですから、文字が動くほうが読み取りにくいのです。

 かりに一分間に300文字の表示であれば、一秒間には5文字ということになり、文字が静止した状態であればかなりゆっくりとした読取速度です。
 文字を読み取るとき一目で読み取れる範囲を読視野といいますが、文字が動いてしまうと読視野ガ狭まってしまうため、一目で読み取れる文字数が少なくなり、読取速度が遅くなるのです。

 まん中の図は文字を7文字ずつ仕切ってあります。
 目を動かさないでハッキリ読み取れる文字数は7文字程度というので、文字をハッキリ見て読み取っていくには、7文字ずつに区切って順に見て行けばよいと考えられます。
 しかし実際に7文字ずつに区切ってから、一桝ずつ読んでいこうとすれば、文字はハッキリ見えても、読み取り速度は桝で区切られている場合よりもかなりおくれてきます。

 心理学の実験では7文字の窓枠を作り、枠に入る7つの文字以外には見えなくするのですが、その場合は文字速度が遅くないと読みきれず、枠がない場合に比べると速度ばかりか理解力が非常に落ちるとされています。
 見える枠が機械的に決められてしまっているため、語句のつながりが不自然に切られてしまっているためですが、ハッキリ見えなくても枠の外の文字が見えないことが影響しているのです。

 まん中の例は単に7文字ごとに囲みを入れているだけで、囲みの外側は見えるのですが、文は読み取りにくくなり、読取速度も落ちます。
 囲みの外側が見えるのに、囲みがあると自然に意識が囲みの中に集中されてしまいます。
 そのため、いつの間にか読視野が狭められ、読み取り速度が落ちてしまい、読解力も落ちてしまうのです。
 読視野(つまり中心視野)だけが文字を読むのに必要なのではなく、解像度の低い周辺視野も文字をスムーズに読むために必要なのがわかります。


連続瞬間視

2007-12-23 23:42:05 | 文字を読む

 テレビ実況では、100メートル競走などは百分の一秒まで経過時間がが表示されます。
 表示されているのを見ても、最後の百分の一秒のところは全部読み取ることはできません。
 十分の一秒間の間に十回と数字がめまぐるしく変わるために、途中の二つか三つの数字が読み取れるだけで、あとは読み取れないのです。
 それどころか右から二番目の十分の一秒のところでも、慣れないとすべての数字が読み取れるわけではありません。
 十分の一秒のところは、一秒間に十回数字が変わるので、目では読み取れているのですが、0123..と意識的に確認しようとすると、途中でついていけなくなるところが出てきて、見落としが発生する場合もあります。
 
 十分の一秒のところは見落とすことがあっても、特定の数字(たとえば4)を見落とすまいとして見れば見落とすことはありません。
 ところが百分の一秒のところでは、見落とすまいとして注意をしていても見落とすことがあります。
 とくに、0123..と初めからスタートすると、前半の数字は読み取りにくく、後半の数字のほうが読み取りやすくなっています。
 数字が速く変化する場合は、あとから出てくる数字が前に出てきた数字の視覚記憶を妨害するためです。

 同じ場所に連続的に表示する場合、文字を表示した後すぐその次の数字を表示したのでは、表示時間が短い場合は前後の文字が重なって見えてしまいます。
 本を読む場合に視線を動かしたとき、視線が次の場所に到着するまで40分の1秒程度かかりますが、その間はなにも見えません。
 そこで文字を一つの文字を一定時間表示して、その文字を消してから次の文字を表示するまで40分の1秒程度間隔をあけてみます。
 そうすると文字は重ならないで見えますが、表示時間が短ければやはり見落とす文字が出てきます。

 表示時間を40分の1秒にすると、表示間隔とあわせて20分の1秒となりますが、この条件では10文字が約二分の1秒で表示されます。
 この場合、漢字はいくつか読み取れますが、連続して二つの漢字を読み取ることは困難です。
 図の例では漢字は二字熟語が五個つながっているのですが、最初から順に連続して一つづつ表示しても、熟語を読み取ることができないのです。
 これは漢字でなくてもひらがなの場合でも、連続して読み取ることが難しく、さらに数字の場合でも連続数字を読み取ることは困難です。
 このようなことから、目を速く動かしても、見ることが速くできるというだけで、見ても読み取れない部分があるということがわかります。
 
 


「見える」と「読み取れる」

2007-12-22 22:49:51 | 文字を読む

 上の図は文字を短時間表示する状態を表現したものです。
 図Aはスクリーンに「会議」という文字をT1ミリ秒表示して消す状態を示しています。
 図Bは「航海」という文字をT1ミリ秒表示し、消してからT2ミリ秒後に「構想」という文字をT1ミリ秒表示して消す状態。
 図Cは「健康」という文字をT1ミリ秒表示し、消してからT2ミリ秒後「究極」という文字をT1ミリ秒表示し、消してからT2ミリ秒後「新聞」という文字をT1ミリ秒表示する状態を示しています。
 つまり同じ場所に表示時間をT1ミリ秒、表示間隔をT2ミリ秒として文字を短時間表示する状態を示しています。

 たとえば文字を10ミリ秒(百分の一秒)とごく短い時間表示した場合でも、「会議」のように二文字であっても読み取ることができます。
 ところがBの場合のように、最初の文字を10ミリ秒表示した後、消してから10ミリ秒とごく短時間後に別の文字を表示した場合、あとに表示した文字は読み取れますが、最初の文字は読み取れません。
 最初の文字が表示されてその文字が目には見えても、読み取る前に別の文字が表示されて、そちらに注意が向けられてしまうために、最初の文字が分らなくなってしまうのです。
 目には一度見えても、脳が読み取り作業をしなければ短時間のうちに視覚記憶が消えてしまうので、どのような文字を見たのか分らなくなるのです。

 もし最初の文字が消えてからすぐに次の文字が表示されるのでなく、0.2秒(200ミリ秒)とか、ある程度間をおいてから次の文字を表示すれば、最初の文字も読み取ることができます。
 見るのはごく短時間でもよいのですが、見たものを脳で処理する読取作業のほうに時間がかかるので、すぐに次の文字が表示されると最初の文字の読み取り作業は実行されず、あるていど間をおけば最初の文字も読み取れるのです。

 それではCの場合のように3回、ごく短時間だけ文字を表示した場合はどうなるでしょうか。
 Bの場合の結果から考えれば、三つ目の文字列だけが読み取れ、前の2つの文字列は読み取れないと推測されます。
 しかし実際に試してみると、二つ目の文字列だけが読み取れたり、最後の文字列だけが読み取れたりします。
 真ん中の文字列だけが読み取れる場合というのは、二つ目の文字列に注意が向けられると、あとから表示される三つ目の文字列は抑圧されて意識されないのです。
 
 文字の表示が3回ぐらいではなく200回とか、多数回連続的に表示された場合はどうなるかというと、この場合は文字が途中何回か、ときどき読み取れます。
 読み取っているとき続く文字は目に入っても意識されず、読取が終わってからそのあと表示される文字に注意が向けられて読み取られるのです。
 本などを読むときも、目を速く動かしてもすべての文字を読み取れるのではなく、ところどころの文字しか脳では読み取れていないのです。


単語の読みと意味処理

2007-12-18 22:58:57 | 文字を読む

 文字を読むとき、たいていの人は音読しなくても、頭の中で文字を音声に変換していわゆる内読をしています。
 文字を見て意味がそのまま分かるのであれば、わざわざ音声に変換しなくてもよいはずです。
 わざわざ音声に変換するのは、そのほうが意味が分かりやすいためで、もともと言葉を覚えるときは文字でなく音声によって覚えているからです。
 文字は後から学習し、文字の読みという形で、音声と結び付けて覚えていますから、文字を見れば自動的に音声化するようになっています。
 たとえば「鳩」という漢字は「鳩」の写真とか実物と結び付けて覚えるのではなく、「ハト」という読みをおぼえます。
 そうして「ハト」という読みを覚えれば、「鳩」という文字を見て「ハト」という読みをして「鳩」の意味をうけとるのです。

 「鳩」という文字を音に変換して読み、トリの「鳩」だと意味を理解するという経験が重なれば、文字を見ただけで音声化しなくても意味が分かるようになるはずです。
 それなのにどうしても心の中で音声化してしまうのは、文字→音声のほうが文字→意味という処理よりも時間が短いせいです。
 音声→意味という処理は言葉を覚え始めてからの処理方法で、文字を覚える以前からのものですから自動化され処理時間が短いものです。
 文字→音声という処理は、文字を覚えるときの処理方法なので訓練によって半ば自動化され短時間で処理されます。

 文字を見るというのは光の速度ですから一瞬に見て取れるのですが、見て意味を理解するという処理は自動化されていないので、処理時間が長くなってしまうのです。
 そのため自動化され、処理時間が速くなっている音声化を、無意識にしてしまうのです。
 したがって、もし見るだけで音声化しないで読む「視読」をしようとするならば、音読に何らかの方法でブレーキをかける必要があります。
 ひとつの方法は、音読をする前に視線を先に動かしてしまう方法で、もうひとつは同時にいくつかの語を見る方法です。
 
 視線を速く動かす意味が把握できないうちに、先に進んでしまうのでほとんど意味が分りません。
 それでも視線を速く動かす訓練を続ければ、脳が順応して意味が読み取れるようになるというのですが、そういう段階に達するまで意味が分からない状態で訓練を続けなければなりません。
 とりあえずはいくつかの単語を同時に見るという方法が、よりストレスが少なく、意味が把握しやすいので良いと思います。
 とくに漢字は音声化の時間が仮名やアルファベットに比べ長く、読みや意味が前後の文脈で変わるので、同時にいくつかの語を視野に入れる読み方が適していると思われます。
 


注意と固視

2007-12-17 23:03:51 | 文字を読む

 意識的にものを見ようとするときは、自然に視線が見ようとするもののほうに向けられます。
 見えると意識されているときは、その方向に注意が向けられ、同時に視線も向けられているというのが普通です。
 しかし視線が向けられているからといって、注意が向けられているとは限りませんし、視線を向けているところとは別の場所に、注意を向けることも可能です。

 新聞や本を読んでいても、何かほかのことに気をとられていると、視線は文字に向けられているのに文字が見えていないということがあります。
 こういう場合は目では文字を見ていても、注意が向けられていないので、意識に上らず、見えていないと同じことになります。
 これとは逆に視線を向けていないのに、注意を向けることで意識的に「見る」事が可能な場合があります。

 上の図で中心の点に視線を向けて注視した状態で、周りの文字を読もうとすれば注意を向けた方向の文字は周辺視で読み取ることができます。
 ところが注意を向けた方向とは違う位置の文字を、同時に読み取ることはなかなかできません。
 中心点を注視しているのですから、周辺視で見えるという点ではどの方向の文字でも同じなのですが、読み取ることができるのは注意を向けた方向の文字だけです。
 
 一度にひとつの方向の文字しか読み取ることができないということは、同時に別の方向に注意を向けにくいということなのですが、それは中心点を固視しているためです。
 たとえば中心点を固視しないで図全体をボンヤリ見ると、同時に二つあるいはそれ以上の位置の文字を読み取ることができます。
 あるいは上下の文字に同時に注意を向けてみれば、「あ」と「こ」のように二つの文字を同時に読み取ることができます。
 また左右の文字に同時に注意を向けてみれば「お」と「み」とを同時に読み取ることができます。

 つまり中心点を固視してしまうと、視野が狭まり注意を向けられる方向が限定されてしまうのです。
 固視を続けると眼が疲れるだけでなく、読取範囲も狭まるのですから、出来ることなら文字を読む際に固視をしないですむのが望ましいのです。
 難しい文字や単語にぶつかれば固視をしてしまうのはやむをえないのですが、単に文字を読むとき習慣で固視をしてしまうというのであれば、固視の習慣を取り除くべきでしょう。


視覚的注意の幅

2007-12-16 22:51:26 | 文字を読む

 二十分の一秒という短い時間だけ表示された文字を見た場合、一番上の例でもすべて記憶することは難しいでしょう。
 4文字程度というのが普通ですが、二番目の例のように文字が漢字になると4つはおろか、3つも難しくなります。
 どちらの場合でもすべての文字が見えるのに、すべてを思い出すことができないのは、文字が散らばっているので瞬間的に見たとき、すべてに注意を向けることができないためです。
 これが3番目の例のように、文字間隔が狭められていると同じ文字数であっても記憶しやすくなります。

 同じように無意味な文字列であっても、文字が接近しているので瞬間的に注意を向けることができるためです。
 この場合もひらがなであればほとんどすべて記憶できても、漢字となるとそうはいきません。
 同じように注意の範囲の中に入っているはずなのに、漢字のほうが少ない数しか記憶でできないのは、漢字のほうが脳の記憶との照合に手間取るためです。
 ひらがなの方が漢字より数が少なく、そのため使用頻度がはるかに高いので記憶との照合がすばやく自動的に行われるからです。

 漢字が百分の一以下の表示でも認識が出来る(千分の一秒の表示でもできる)というのは、文字がひとつだけ表示された場合で、表示文字数が複数になってくるとそうはいきません。
 表示文字数がひとつであれば、記憶との照合に手間取っても、その一文字だけの問題なので忘れることはありません。
 しかし文字が二つ以上であれば、一つの文字を記憶と照合している間にほかの文字を忘れてしまいます。
 ひらがななら見た文字と脳に貯蔵されている記憶との照合が瞬間的にできるので、忘れる前に次々と照合できるからいくつかの文字を記憶することができるのです。

 漢字は右脳で処理されるという説があり、右脳は左脳の何万倍もの処理能力があるなどといわれたりします。
 しかしこのような例で見る限り、漢字の処理はひらがなに比べ遅く、瞬間的に処理できる文字数はひらがなより少なくなっています。

 注意の範囲は線的な範囲と面的な範囲がありますが、どちらが有効かは人によって違いますが、一番下の2行3列の文字と、その上の1行6文字のどちらが記憶しやすいか試してみると分ります。
 単純に文字を記憶するということだけであればどちらでもよいのですが、文章を読むという点では、まず線的な注意の範囲を広げることが必要です。
 実際の文章は単語や文節で構成されているので、4単語とか4文節となれば4文字ではなく10文字以上となりますから、一度に10文字以上に注意を向けることができるようにすべきです。