明治時代にはゲーテ(Goethe)のことをギョエテとかゴエテと表記したということがおかしな話として伝えられています。
いまはゲーテと表記するのが通り相場となっているので、明治時代にいろんな読み方で表記されたのを見て、ずいぶん滑稽な読み方をした人もいるものだと感じてしまいます。
シカシ、ドイツ語など知られていなかった時代では、綴りを見てどのように発音してよいかわからないけれども、カナ表記しなければならないので、なんとか当て推量で表記したのでしょう。
読み方が分からないでヘンな表記をするぐらいなら、原語のままアルファベットで表記すればよいと思うかもしれませんが、読みを与えないと頭に入らないので、無理にでも読みをつけてしまったのです。
ヘンな読みを与えてしまっても、意味がかわるわけでなく、ギョエテと表記したところで、Goetheはファウストの作者であることに変わりはありません。
漢字の場合でも、正式な読み方がわからないまま、当て推量で自己流に読んでそれが頭の中に定着してしまうという例があります。
たとえば「生食」は「せいしょく」と読み、「なましょく」と読むと間違いとされていました。
実際広辞苑などの国語辞典で、「なましょく」と引くと該当語がでてこないで、もちろん「生食」という語はでてきません。
しかし実際には生のままで食べることを、現在では「せいしょく」というより「なましょく」という人のほうが多いようです。
書き言葉では「生食」と書けばどのように読むにせよ「生のままで食べる」ことだと意味が伝わりますが、話し言葉では「せいしょく」ではわかりにくいという問題があります。
「せいしょく」と聞けば生食だけでなく、生殖、聖職、青色、生色、声色、星食などといった語があって一瞬どんな漢字か迷ってしまいます。
もちろん文脈を考えれば、「生食」と他の単語は意味が違うので紛らわしくはないといえるのですが、聞いてすぐにわからないという人も多いのです。
そこで正規の読みではない「なましょく」いう読み方が導入され、この方が感覚的にわかりやすくて定着したのではないかと思われます。
逆に「甘食」という言葉は、「かんしょく」ではなく「あましょく」が正解ですから、漢字の読みは難しいものです。
「盛土」を「もりど」と読むのは間違いということになっていますが、正しいとされる「もりつち」よりも「もりど」という方がすっきりしているの、で誤っているはずの「もりど」という呼び方が広がってしまったのでしょう。
最近、総理大臣が「踏襲」を「とうしゅう」と読まず、「ふしゅう」と読んでしまったということで、ずいぶん話題になりましたが、正式な読みが分からないでとりあえず当て読みしていたのが頭の中で定着してしまっていたのでしょう。
もちろん意味がわからなかったわけではないのでしょうが、ほかから注意されないと間違ったままでいることになります。
小説家でも「場末」を「ばまつ」と読んでいた人がいるので、こうした間違いは誰でもありがちなことかもしれません。
総理の場合は、かなり前から間違い読みをしていたことが知れていたそうですが、地位の高い人には注意する人がいないため、直らないままだったものと思われます。
「踏襲」とか「未曾有」という言葉は、書き言葉で話し言葉に頻繁に登場するするものではないので、読み方の間違いには気がつかなかったのかもしれません。
漢字は目で覚えられるといわれていますが、実際には間違っていても読みが与えられないと覚えにくいものです。
たとえば子供にタケノコの絵を見せて、「筍」という字を同時に見せれば、筍という字を簡単に覚えるというのですが、この場合「タケノコ」という音声言葉を知っているから漢字を覚えられるのであって、知らなければ読みが分からないで漢字を覚えるのはずっと難しくなります。
もちろん絵と漢字をつないで覚えるというやり方では、筍のほかの意味である「ほぞ」とか「かけざお」といった意味を覚えるのはさらに困難です。
読みと切り離して漢字を記憶するのが難しいので、間違った読みであっても結び付けて記憶してしまうものだということがわかるのです。