日本語には英語のaとかtheのような冠詞はありませんが、養老孟司「バカの壁」では、日本語にも冠詞の機能をするものがあり、それは日本語では格助詞の「が」と「は」だとしています。
たとえば①のような英文は「机の上にリンゴがある。そのリンゴは...」ということですが、この場合のan appleは特定のリンゴでなくリンゴという概念を指し、The appleは具体的な特定のリンゴを指すとしています。
つまり冠詞のaとtheは概念と具体的なものを分ける機能を持っているのですが、日本語でもそういう区別をする機能があって、それは「が」と「は」と言う助詞が果たしていると言います。
その証拠として②の文が上げられていて、最初の「おじいさんとおばあさんが」というときはまだ、どのおじいさん、おばあさんと決まっていないので、不特定の「おじいさんとおばあさん」(という概念)で、つぎの「おじいさんは」というときは、特定の「おじいさんとおばあさん」をさすので、「が」と「は」が冠詞と同じ役割を果たしていると言うのです。
ところが例にあげられている文には、「山」とか「芝刈り」という名詞が出ていて、「芝刈り」はともかくとして「山」には英語なら冠詞がつくはずです。
日本語のほうには「山へ」と「へ」という助詞がついていて、「が」とか「は」となっていません。
この山がa mountainなら「山が」となり、the mountainなら「山は」となるはずですが、そういう日本語表現はありません。
「おじいさんは山が芝刈りに」も「おじいさんは山は芝刈りに」も意味がわからなくなります。
aとtheが「は」と「が」に対応するといっても、たまたまそういう例があったということにすぎず、短絡した説なのです。
write a letter in the sandというのを「手紙が砂は書いた」と訳したのでは何のことやらわかりません。
簡単なthis is a penにしたところで、「これがペンです」とは訳さず「これはペンです」と訳すので、aは「が」に対応するというわけではありません。
またaが概念、theが特定のものに対応するというのも、一概に言えることではなく、③の例のような例では、aでもtheでもいずれも特定のものを示しているのではなく、[ビーバーはダムを作る」と一般論を述べています。
冠詞は名詞の前に来るのに、日本語の格助詞は名詞のあとに来ているので、単純に考えても機能が違うことが予想できるのですが、著者は機能がまったく同じだとし、「ギリシャ語を調べると冠詞は助詞の後にきてよいことになっている」と主張しています。
ギリシャ語がどうだからといって、日本語の助詞が冠詞と同じ機能だという根拠にはなりません。
ギリシャ語などを持ち出されれば、普通の人はわけがわかりませんから「そんなものか」と思うかもしれませんが、こういうメクラマシは感心しません。
ギリシャ語などまったく知らないので、一応ギリシャ語の解説書などをのぞいてみると、ギリシャ語には名詞+冠詞+形容詞という形もあると(名詞の後に冠詞が来るということとは違うようです)書いてあります。
ただギリシャ語は名詞が格変化をするので、日本語の格助詞の機能は名詞の各変化の中に織り込まれているため、冠詞とは関係なく「が」とか「は」という意味を得ることができます(ギリシャ語では名詞がたとえば「おじいさんが」「おじいさんの」「おじいさんを」「おじいさんに」というふうに語尾変化するのです)。
名詞ばかりか冠詞も形容詞も格変化するのでギリシャ語は、語順を変えても意味が通じるということで、さらに英語のthis is a penのaのような不定冠詞は使われないともいいます。
英語のa,theと「が」「は」が対応しているように見える例がたまたまあったところからヒラメイた説なのでしょうが、ヒラメキが面白いとそれにに目がくらんで固執してしまい、付会に走るのはこまりものです。