いまちょっとプロモーションの時期なのかな。それとも今年はアウトプットの年と決めている?最近、彼の名前を目にすることが多かったのだが、『新潮2005年3月号』(※1)でも連作短編がスタートした。
「東京奇譚集」。その第1回の作品名は「偶然の旅人」である。短い作品なので10分くらいで読み終えたのだが、そのタイトルから容易に想像できるいやな予感が的中してしまった。
もちろんディティールの表現については、おそらくこれまで以上にていねいに書かれており文体としてはかなり好感がもてる。基本的には、村上春樹は読み続けるべきだと思わせる巧みさはあいかわらずである。
また、「僕=村上はこの文章の著者である。」という驚きの書き出しは、『アフターダーク』で奇妙な視点を提示した後だけあって、なにか新しいことをやってくれるのか?『アフターダーク』のアンサーなのか?それともあいかわらず幼く「視点」というものについて迷っているのか?といろいろ考える余地を残す。それともたんなるエッセイか?という、拍子抜けの回答も含めて。
問題はストーリー・ラインだ。ここではくわしくは書かない。しかし、これではまるでポール・オースターではないか?もっというと『トゥルー・ストーリーズ』じゃないか、というとその内容のほどは理解いただけるだろう。世の中には考えられないような「偶然」がたくさんあり、そのことが生き方を大きく変えていくこともある、というのは、オースターの真骨頂であり、しかしじつはいまや過度な自己模倣となり食傷気味ともいえいるテーマだ。顕著には『ムーン・パレス』に始まり、『偶然の音楽』で大団円(?)を迎えたため、次からは新しいテーマに取り組むのかと思いきや、先述の『トゥルー・ストーリーズ』で総集編みたいなことをやってしまい、そればかりか最新作の『Oracle Night』も、(未訳のためまだ読みきれていないが)基本的には偶然に左右される人生、予言的な不条理といったことがテーマになっている。
ここまで、オースターがやりつくしてしまったことを、いま村上春樹がなぜ取り組まねばならないといけないのか?年始、阪神淡路大震災についての朝日新聞のエッセイ(※2)で、再びふれたノモンハンの臨死地震体験(←ちょっと正しい言い方がわからないので。しかしNear Earthquake experienceという言い方は正しそう)との関係はなんとなくは読み取れる。もちろん、偶然おこりえる日常の暴力への恐怖(今回の物語は、逆でまったくもってハッピーな偶然だが)からのつながりというのもあるだろう。
しかし。
しかし、正直なところ、この小説を議論していいのかどうかわからない。議論に足るほどの含意があるのかどうかもわからない。連作なので様子を見るしかない。以前にもふれたが3月発売予定『象の消滅』も「なぜいま?」「それとも例によって大幅加筆?」と、謎が多い。最近、ほんとうに村上春樹はわからなくなってしまった。
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その点で『ふしぎな図書館』は、屈託なく読めるか。『図書館奇譚』(「トレフル」1982年6月号~11月号連載を改稿。タイトルが新作とかぶっているなあ)は読んだことがなく、でもまあ買うほどのことはないか、と思いつつ書店で手にしたが、その瞬間、なんともいえない触感に少しだけエンドルフィンが漏れ、レジに向かってしまいました。書店で手にとっていだけば、その感覚がわかってもらえるかもしれない。
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(※1)『新潮』はこのほか、伊井直行の中編、ジュンパ・ラヒリの短編、『極西文学論』の評、『アルカロイド・ラヴァーズ』の評、あいかわらずの保坂和志の難題連載。しかし、もし春樹がなければ、今月もパスだっただろう。それに引き換え本年度頑張っているのは『文学界』。今月は当然のように阿部和重で、『群像』でもインタビューが掲載されているがやはり、『文学界』での蓮實 重彦との対談ほか青山真治ほかの寄稿から中原昌也との映画新企画まで含めた特集「阿部和重とのこの時代」のほうが格段に興味深い。長くなるとなんなので、今月号の文学誌については、日をあらためて。
(※2)詳細は、当BLOGのバックナンバー「 『極西文学論』の難題。 」にて。
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↑今日は、短くしてみました。
↑いかがなもんでしょう?「良い!」なら
↓本と読書のblogランキングサイトへ。
「東京奇譚集」。その第1回の作品名は「偶然の旅人」である。短い作品なので10分くらいで読み終えたのだが、そのタイトルから容易に想像できるいやな予感が的中してしまった。
もちろんディティールの表現については、おそらくこれまで以上にていねいに書かれており文体としてはかなり好感がもてる。基本的には、村上春樹は読み続けるべきだと思わせる巧みさはあいかわらずである。
また、「僕=村上はこの文章の著者である。」という驚きの書き出しは、『アフターダーク』で奇妙な視点を提示した後だけあって、なにか新しいことをやってくれるのか?『アフターダーク』のアンサーなのか?それともあいかわらず幼く「視点」というものについて迷っているのか?といろいろ考える余地を残す。それともたんなるエッセイか?という、拍子抜けの回答も含めて。
問題はストーリー・ラインだ。ここではくわしくは書かない。しかし、これではまるでポール・オースターではないか?もっというと『トゥルー・ストーリーズ』じゃないか、というとその内容のほどは理解いただけるだろう。世の中には考えられないような「偶然」がたくさんあり、そのことが生き方を大きく変えていくこともある、というのは、オースターの真骨頂であり、しかしじつはいまや過度な自己模倣となり食傷気味ともいえいるテーマだ。顕著には『ムーン・パレス』に始まり、『偶然の音楽』で大団円(?)を迎えたため、次からは新しいテーマに取り組むのかと思いきや、先述の『トゥルー・ストーリーズ』で総集編みたいなことをやってしまい、そればかりか最新作の『Oracle Night』も、(未訳のためまだ読みきれていないが)基本的には偶然に左右される人生、予言的な不条理といったことがテーマになっている。
ここまで、オースターがやりつくしてしまったことを、いま村上春樹がなぜ取り組まねばならないといけないのか?年始、阪神淡路大震災についての朝日新聞のエッセイ(※2)で、再びふれたノモンハンの臨死地震体験(←ちょっと正しい言い方がわからないので。しかしNear Earthquake experienceという言い方は正しそう)との関係はなんとなくは読み取れる。もちろん、偶然おこりえる日常の暴力への恐怖(今回の物語は、逆でまったくもってハッピーな偶然だが)からのつながりというのもあるだろう。
しかし。
しかし、正直なところ、この小説を議論していいのかどうかわからない。議論に足るほどの含意があるのかどうかもわからない。連作なので様子を見るしかない。以前にもふれたが3月発売予定『象の消滅』も「なぜいま?」「それとも例によって大幅加筆?」と、謎が多い。最近、ほんとうに村上春樹はわからなくなってしまった。
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その点で『ふしぎな図書館』は、屈託なく読めるか。『図書館奇譚』(「トレフル」1982年6月号~11月号連載を改稿。タイトルが新作とかぶっているなあ)は読んだことがなく、でもまあ買うほどのことはないか、と思いつつ書店で手にしたが、その瞬間、なんともいえない触感に少しだけエンドルフィンが漏れ、レジに向かってしまいました。書店で手にとっていだけば、その感覚がわかってもらえるかもしれない。
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(※1)『新潮』はこのほか、伊井直行の中編、ジュンパ・ラヒリの短編、『極西文学論』の評、『アルカロイド・ラヴァーズ』の評、あいかわらずの保坂和志の難題連載。しかし、もし春樹がなければ、今月もパスだっただろう。それに引き換え本年度頑張っているのは『文学界』。今月は当然のように阿部和重で、『群像』でもインタビューが掲載されているがやはり、『文学界』での蓮實 重彦との対談ほか青山真治ほかの寄稿から中原昌也との映画新企画まで含めた特集「阿部和重とのこの時代」のほうが格段に興味深い。長くなるとなんなので、今月号の文学誌については、日をあらためて。
(※2)詳細は、当BLOGのバックナンバー「 『極西文学論』の難題。 」にて。
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ところで白石一文氏は46歳の男性作家です。
父・白石一郎氏は直木賞作家(受賞作=『海狼伝』)、双子の弟の白石文郎氏も『寵児』『ぼくは微動だにしないで立ちつくす』などの著書のある作家です。
やっぱり食わず嫌いはだめですね。猛省して、白石氏、読んでみます。