そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月12日(水)音たかさご

2014年03月12日 | 公開

  昨日、その辺で摘んできたような貧相な蕗の薹がバカに安い値段で売れていたので、思わず購入し、亡父を想いながら蕗の薹味噌を作った。いつも春先には家族のために作ってくれたのだった。なにしろ貧相な蕗の薹だから、そのまま洗って塩水で茹で、ささっと水に晒すにとどめた。こんなもの、品よく仕立てても仕方がない。フライパンに味噌と味醂と砂糖と酒を適当に入れ、まったりするまで熱を加えたら、絞った茹で蕗の薹をザクザク刻んでフライパンにぶち込み、混ぜ合わせれば一丁あがり。姑殿と同居人が、あら~春の香りだわァとずいぶん喜んでくれたが、少し甘くし過ぎたようだ。亡父の味とは程遠し。修行が足りんタリンはエストニアの首都だがね。

  ベッドの中で同居人が屁をこいた。音たかさご!と言い訳みたいなことを叫ぶ。尾上の鹿の鳴き声か?と応えて、山のかひより出づるオナラだ!(尻は双丘なればなり)と非難する。国文学者と国語学者の閨の睦言は難解である、南海はホークスだったが、今は無い。尻の方菊門を出づれば良人たまらん!と作ったら、ちょっと非道過ぎようか?

  あなたがプ~なら、私はピ~♫ は、痴楽の「妻を語る」だがな。 江戸の昔に生まれ合わせていたならば、おいらは絶対、狂歌師にはなれたと思うぞ。