水一合 米八勺を 炊きあげて うから三たりの 朝餉ととのふ 有若亡
少子化の影響で、学部学科の再編だの改称だの、どこの大学も頭を悩ませているという。「国際グローバル学部」という名前を考えた御仁があったげな。それ「腹痛のはらいた」みたいな言葉よねと、娘が嗤っておった。「いにしへの昔の武士のさむらいが、馬からおちて落馬して…」の趣向である。
しかし、こういうのは文選読みと称して、我が国では昔々から存したのである。「蟋蟀のきりぎりす」の類ですな。
古語の「きりぎりす」は、今のコオロギのことだ。時代によって、名と実体が変わったりするから面倒くさい。「きりぎりす」のように「~す」という形の鳥や虫は、その鳴き声から来ているらしい。なるほど、「からす」は「カラ」と鳴き、「うぐひす」は「ゥクフィ」と鳴くのだろう。「きりぎりす」は「キリギリ」と鳴くというわけだな。昔、卒論指導を担当した女子学生が就職した会社は、「タマノヰ」と鳴くところらしく、たまたま健康酢の飲料をたくさんいただいたことがあった。「クマノイ」なら、胃腸によかっただろうが…。
「ちどり」が「チンチン」と鳴くとは、山口仲美先生のご本にて知る。「雁」も「カリカリ」と鳴くことが、後撰集の「ひたすらに我が思はなくにおのれさへかりかりとのみ鳴き渡るらむ」の和歌で分かる。カリカリは、別にベーコンを焼く様だけではない。「ひたすらに我が食はなくにベーコンをかりかりとのみ焼きわたるらむ」…いまいち!
最近作中の自讃の一首は、「やくもたつ出雲ほし柿箱づめに干し柿つるすそのほし柿を 有無亡」である。畑の干し柿を詠んだものでござんす。宣伝に使ってくれんかな?