そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

3月4日(火)ブーメラン

2014年03月04日 | 公開

  朝は新宿の痛風の病院へ行く。主治医のY先生に、太ったでしょ?と言われた。ええ~、そんなことないですよ~、85㎏…と申し上ぐれば、やっぱり2㎏太ったんじゃないですか!と指摘された。そのことを同居人にメールしたら、もう禁酒しろと言われる。禁酒したら死んでしまいますがな。(汗 じゃあサラミとか食うな!ですと。サ~ラ~ミ~…これからは隠れて食おう!

  そのまま東京駅へ移動し、新幹線で高校へ向かう。14:00から来訪者の予定で、早めに着けたから近所の蕎麦屋へ行く。まだ周辺には雪が残っていた。窓辺のスチュワーデス人形はそのままだった。

  同じ学校法人内の某科長殿が、お供を3人引き連れてお見えあそばした。1時間余お話しする。非常に危機感を抱いておられることがよくわかったし、ウチの高校の卒業生がこの方面で存外好成績をあげていることも嬉しい情報だった。しかし、何でも個人情報、個人情報で、同じ法人内だというのに情報が共有化できないのは、いかがなものかと思うが如何? とにかくwin winの関係で行きましょうと、こちらもご協力するが、そちらも既に申し入れてある懸案の件を真剣に考えてくださいよとしつこく、しつこく申し上げた。このあたりは大橋弘昌さんのご本で学んだ交渉術である。(笑

  科長ご一行様は予定通りお帰りあそばしたので、私も16:00前の新幹線で東京駅へとって返す。地下中央改札にてO社長、ならびに見学?のUさんと落ち合い、近所のカラオケに駆け込んで3月16日の習礼を行う。O社長と2人で亡父の実家の神社で行われる披講をすることになっているのだ。私が読師講師講頌で、O社長には発声をお願いした。なにしろシタテルヒメの詠は夷歌で、音数が整っていないものとされるが、実は短歌の披講譜で申せば、初句二句、初句二句、三句、三句、四句五句と考えると(かなり字余りの句もあるけれど)、ほぼきれいに扱えるのである。私が博士(譜)を付けたものを詠吟してみたがうまく行ったと思う。

  やれやれ、これで目途が立った。習礼は20分ちょっとで終わったから、カラオケで何曲か唄った(1時間借りたのでな)。モスラの歌難しかったジンジロゲならパーフェクトに覚えているんだが。結局、チューリップとか唄っちゃいますな、我々の世代は。ウスクダラは難しすぎ。

  では食事を…ということで、O社長ご案内で四川料理店へ行く。並びの「俺の…」は客が並んでいたが、地下のお店は我々だけで、しかし、山椒が効いた美味しい料理だった。

  Uさんのお話には笑った。大学の卒業証書の裏に、小三治にサインしてもらったんだそうである。いやはや! 抱腹絶倒とはこのこと。

   O社長とは、点前の稽古というのは要するに、ただ只管プロトコールの練習なんだという点で意見が一致した。そういえば新幹線の中で読んだ野村雄次郎著『天麩羅通』に次の一節があったが、なかなか玩味深い言葉だと思う。

  木村さん(注:パンの木村屋の第三代だった儀四郎が、常々私におっしゃっていた言葉に、「待たれるお客になれ」というのがありました。私は全く至言だと感心して、未だに肝に銘じて忘れません。何もむやみに死に金を撒く必要はありません。角々だけキチンとしておいて、気障なことをいわず、心持のよい客だと思わせればそれでよいのだ。「もういらっしゃりそうなものだ」と云われるようになるのが、客としては一番得な行き方ではありますまいか。