そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

1月10日(火)大学は休みなのに

2012年01月10日 | 公開

 なぜか大学は休みである。学期15回の授業実施が厳守される結果、火曜に「つり」が生じたということだろう。しかし、授業は出来るだけ詰めて欲しいんだよね。

 授業は休みだが、打ち合わせのため大学近くのRホテルへ赴く。10:20にロビーで苺白書大学のH先生と待ち合わせて、打ち合わせを3件。3件目はP先生もおいでになり、ご挨拶を受ける。11:00からは出版物についての打ち合わせ。

 授業は休みだが、社会人向け講座はなぜかお休みではない。地下鉄でセンターへ向かう。蕎麦をたぐる時間がとれず、まぐろカツサンドなどという面妖なものを郵便局の隣のパン屋で買って、講師控え室にて紅茶を淹れて流し込む。

 社会人講座は今まで、最少催行人数ぎりぎりという仕儀であったが、今期はなぜか受講者が倍増した。2月が多忙でスケジュールが見通せないため、1月の4回だけにさせてもらったせいだろうか。回数が少ない分、受講料も低廉となる。初日から全員ご出席とは幸先がよい。

 上野で買い物をして帰宅。家人中一番早く帰ったので、当然夕食の準備をする。マンナンヒカリを加えて御飯を炊く(ダイエットに効果覿面)。冷蔵庫の野菜室にある半端な野菜を片っ端から刻み、ルクエのスチームケースで下ごしらえをしてから、ミキサーで砕いてペースト状に。それを鍋に移してオリーブ油と挽肉とカレー粉を加え火にかける。ブロッコリーの固い茎の部分も入れてやった。味は塩麹で調える。また、お歳暮にいただいたインスタントコーヒーを加えるのがコツ。以上、調理に要した時間はほぼ30分なり。

 昔々、文化大革命の頃、中国で「批林批孔」ということが言われたが、「孔子なき中国」は「格子なき牢獄」の駄洒落になるわいなあ…と、T教授の『儒教入門』を拝読しつつふと思った次第。


1月7日(土)学会始?

2012年01月07日 | 公開

 W文学会の例会に赴くべく、下高井戸下車。3日連続で新宿へ出たことになる。新年懇親会があるので委員会が13:00開始で、資料展観もあるから、小1時間早く駅に着いた。すると、例会委員長殿が、脇道のラーメン屋から出ておいでになる。行きつけのお店だとか。しばらく道を行くと、今度は越後大学のY氏がやはりラーメン屋から出ておいでになった。駅伝、大活躍でしたねと、愛想を申し上げた。Y氏と一緒に展観会場へ入ると、ちょうど日野切を展示ケースに掛けている最中だった。天の端の右に「十四」と書いてあったが、丁数であろうか? 百人一首関係を中心とした展観であった。

 委員会はたいした議題もなかったが、私が連絡員を務めている協議会への対応について、議すべき事柄があったのである。

 さて研究発表を聴く。総合司会は同居人の同僚T教授で、前座はウチの研究室のK君。十分に下準備したのだが、Nさんから痛いところを突かれた。2本目の司会者はT教授のお嬢様で、なんだか手近だなあと思う。そしてトリのK先生(例会委員長のご父君)の司会を、おおけなくも仰せつかった。いやはや、手近感?いっぱいだあ!

 昨年春のなかむかし文学会大会での論議の続きという内容だった。その時は、今回総合司会のT教授が司会をされていたよし。私はその大会はサボって聴いていないから、司会者としては不適格だったと思う。要するにテクニカル・タームの問題で、「しょうわ」という用語が必ずしも適切ではないということだったから、最後に、「しょうわ」がダメなら「へいせい」というわけにもいきませんわなあと駄洒落で閉めたら、聴衆はぽかんとして、全然ウケなかった。学会の司会がこんなことを言うのは、「至りての後」であるぞなもし。しかし、今回は大失敗、落ち込みましたわ。…じゃあ贈答は「たいしょう」なのか?と聞かれたら、対象が限定されますから…とオチまで考えておったのだがね。独詠は明示されましょうし…。

 会場校は10日が仕事始めなのだそうで、懇親会場まで真っ暗な階段を降りた。ウチの研究室の関係者も、10名ほどが出席。1時間半ほどで料理が無くなったので、終了となる。

 発表者K君と、修士論文提出者の慰労を兼ねて、新宿で軽く二次会。10名では入れないかなと思ったが、首尾よく「ぼるが」1階奥の席に入ることができた。ここは私が学生時代に通った頃と、基本的には店内全く変わっていない。私しゃ西新宿に下宿していたので、この辺はホームグラウンドであったという次第。

 修論の提出者は、なんだかんだで、当初予定の半分とあいなったよし。まあ、中途半端なものを出すよりは、きちんと時間をかけて、遺漏遺憾無きを期すべきであり、私自身3年かけて書いたし(実は当初計画が挫折したので、10カ月ほどで新たにでっち上げたのだが)、博士課程の試験に落っこちてさらに1年浪人したから、あんまり焦ることもないと思うのだがねえ。まあ、「ぼるが」の店内とは違って、私らの頃とは意識が少し違うかもしれないが…。早く頭を切り替えて、次のステップへgo。

 ところで、Oさんは、いい加減修論のエッセンスを論文にして発表しなさいよね! 勤務先に紀要は無いのか?


1月6日(金)年明け授業初日

2012年01月06日 | 公開

 小中学生はまだお休みなのに、大学は授業開始日である。

 昨年末予約していた歯科医へ行く。左奥歯の下の歯茎が炎症を起こしたため、被せてある義歯を外して消毒してもらった。細菌が外から入ったのか中から入ったのかを判断して、中からだと大ごとになるらしい。

 昼食は高田馬場辺で摂った。混雑していて、メニューには売り切れが多かった。ご繁盛である。すると、。心理学のT教授が、坊ちゃん連れで入って来られた。相席になって少しお話をする。心理学は、同じ文学部のコースといっても、私らの専門分野とはかなり相違する。論文も専ら英語で書くようだし、T先生は統計学がご専門である。漬物の器が変わったので、女将さんに新物ですか?とお尋ねしたら、前からあったもので、大将がお作りになったものではないとのこと。火襷が美しい備前である。

 14:00からK君の研究指導を予定していたが、急に会議が入ったとかで30分前倒しで始める。前半が終わったこところでNさんが来てくれたので、一緒に後半を聴いてもらう。それからK君は会議へと赴き、私は16:30からの演習に行く。早めに仕舞いにして研究室に戻ると、K君も帰って来ていたので、Nさんにもう一度前半部を聴いてもらった。19:00近くになったので、「すずはん」で軽く飲む。常任理事のお一人がお連れと飲んでおいでだった。駅伝、全然ダメでしたねえとご挨拶した。


1月5日(木)お通夜

2012年01月05日 | 公開

 年末に急逝された故I先生の奥様のお通夜に行く。幡ヶ谷駅から徒歩間もなくの葬祭場に着いたのは、17:00少し過ぎだった。人手が足りなそうだったので、初めは遊軍をと言われたが、結局受付のお手伝いをする。大勢の方が見え、式場に入りきれなかった。A先生、M先生、K先生などのお歴々のほか、福岡のI副学長はお正月休みでこちらに帰省されていたのであろう。明日11:00からの告別式は、授業等があるので、お手伝いができない。Wさんに万事をお願いする。


1月4日(水)年始客あり

2012年01月04日 | 公開

 同居人は正月早々ひどい腰痛に襲われ、もう大変。近寄ると噛みつかんばかりに悪態をつく。本人はギックリ腰だとのたまふが、それならば全然動けないだろうに。腰に簡易鍼を打ちまくっている。

 朝、苺白書大学のH先生からお電話。A君のことや、翻訳の補助について相談したいとの仰せであった。そういえばA君は、亜爾然丁から年賀のメールをくださった。

 今週末提出の修論にかかっている院生が多いのだが、中国からの留学生もおり、修士課程の院生限定で自宅に招いたら4人ばかりやって来た。お屠蘇を用意していなかったので、李白の江戸時代復元酒を使って格好だけ体験してもらう。Tさんに「田原神社」の授かり品を差し上げたので、その他の諸君にもそれぞれ相応の「変なもの」を、お年賀に差し上げた。

 N先生から八千矛が届いたとお電話あり。松の内に間に合ってよかった。いつもかりんとうでは芸がありませんからね。


1月3日(火)おかきの好きな~♪

2012年01月03日 | 公開

 おかきの好きなバカ娘~♪ いつもおかきをバリバリと…

 「初笑い東西寄席」の「昭和のいるこいる」を見そびれた。「横山ホットブラザーズ」は見た。どうして娘は、じいさんの芸人が好きなのか???

 お年賀にいつも、小倉屋製菓のお煎餅を頂戴する。お煎餅自体の味もさることながら、紙箱が年賀状入れに丁度よいので、毎年重宝にしている。


1月2日(月)上京

2012年01月02日 | 公開

 どうせ駅伝も結果が知れているし、朝から退屈なので田部美術館へ行く。今年最初の入館者だと言われた。その前に、小泉八雲記念館の前で観光客様お二人連れの記念撮影をして差し上げたが、完全に地元のオジサンだと思われたに違いない。

 第二展示室に、雲州蔵帳収載の茶入「京わらべ」が出ていた。これは、政治的な理由で糸原家から田部家へ移ったという、いわく付きの名品であるそうな。茶入とは、昔も今も、政治的な道具だったんだなあ。不昧公作の茶杓「山里」は、歌銘「住は又すまれこそせめ山里のかけひの水のあるにまかせて」(為氏)によるが、「住は」は歌意からすれば未然形プラス接続助詞「ば」だよなあ…と首を傾げつつ拝見する。というのも、いただいたパンフレットにはわざわざ「住めば」と書いてあったからね。こりゃ、いけませんわ。でもまあ、係の方に指摘するのはやめにしておく(「かけひ」も「かけい」となっていました)。

 帰りは、稲荷橋の先から北惣門橋のところまで、藪の中の道を行く。ここは、観光客はほとんど来ない静かな散歩道である。

 

 手前が宇賀橋で、向こうが北堀橋。その向こうは普門院さん。

 松江歴史館裏の中の丁の通りは、石畳風に舗装されたが、原発マネーによるのだそうである。実家の前もかかる仕儀とあいなって、道が白く見えるものだから、朝起きると、雪が積もったかと見紛うばかり。ここから原発まで8㎞ほどじゃないかな。事故が起こったら、実家は確実に壊滅するなあ。

 駅伝は案の定で、面白くなかった。いや、ムーミン大学さんは、おめでとうございます。布団を片付けたので、炉に炭を入れて、棚の点前の稽古を2度させてもらう。駅前15:00発のバスで空港へ。非常勤でお世話になっている蜜蜂大学のN先生へ、八千矛をお送りした。一両日中には着くことと存じ候。さて、16:20発の東京行きは定刻に離陸し、定刻羽田に着く。優秀、優秀。19:00ちょうどに帰宅する。