そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

1月2日(月)上京

2012年01月02日 | 公開

 どうせ駅伝も結果が知れているし、朝から退屈なので田部美術館へ行く。今年最初の入館者だと言われた。その前に、小泉八雲記念館の前で観光客様お二人連れの記念撮影をして差し上げたが、完全に地元のオジサンだと思われたに違いない。

 第二展示室に、雲州蔵帳収載の茶入「京わらべ」が出ていた。これは、政治的な理由で糸原家から田部家へ移ったという、いわく付きの名品であるそうな。茶入とは、昔も今も、政治的な道具だったんだなあ。不昧公作の茶杓「山里」は、歌銘「住は又すまれこそせめ山里のかけひの水のあるにまかせて」(為氏)によるが、「住は」は歌意からすれば未然形プラス接続助詞「ば」だよなあ…と首を傾げつつ拝見する。というのも、いただいたパンフレットにはわざわざ「住めば」と書いてあったからね。こりゃ、いけませんわ。でもまあ、係の方に指摘するのはやめにしておく(「かけひ」も「かけい」となっていました)。

 帰りは、稲荷橋の先から北惣門橋のところまで、藪の中の道を行く。ここは、観光客はほとんど来ない静かな散歩道である。

 

 手前が宇賀橋で、向こうが北堀橋。その向こうは普門院さん。

 松江歴史館裏の中の丁の通りは、石畳風に舗装されたが、原発マネーによるのだそうである。実家の前もかかる仕儀とあいなって、道が白く見えるものだから、朝起きると、雪が積もったかと見紛うばかり。ここから原発まで8㎞ほどじゃないかな。事故が起こったら、実家は確実に壊滅するなあ。

 駅伝は案の定で、面白くなかった。いや、ムーミン大学さんは、おめでとうございます。布団を片付けたので、炉に炭を入れて、棚の点前の稽古を2度させてもらう。駅前15:00発のバスで空港へ。非常勤でお世話になっている蜜蜂大学のN先生へ、八千矛をお送りした。一両日中には着くことと存じ候。さて、16:20発の東京行きは定刻に離陸し、定刻羽田に着く。優秀、優秀。19:00ちょうどに帰宅する。