そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

1月25日(水)予備、後備、国民兵役

2012年01月25日 | 公開

 11:00に大学院の教務に呼び出される。いろいろ不手際があって平身低頭する。すぐ処理できるかと思いきや、存外時間がかかったので、15分遅らせてもらった学生との面談が、さらに15分遅くなった。

 その面談とは、12月の卒論仮指導の結果、より適切な教員へ指導変更すべきケースが若干生じたうちの1件であり、J教授から私へ変更の学生にお会いしたという次第。今まで私の担当科目は全く履修していないというが、まあ、よいでしょう。

 12:20から教室会議。1時間ちょっとかかった。今日は欠席者が目立つ。

 14:00から来月の重要業務に関する説明会が行われ、すべからく出席すべしとのお達しである。今回は兵力払底のため、予備役、後備役どころか国民兵役まで召集されるらしい。敗戦間際のドイツ第三帝国みたいだ。担当教務主任のご説明は、大学全体の方針にところどころ疑義を呈するというか、異をとなえるの体で、まあ、フランスなんぞを専門とする御仁らしい至極誠実な態度なのだろうが、兵として動員される者としては、命令は単純化していただかなくてはたまったものではない。「官僚的」とは、我ら人民の受け取り方を斟酌しないことなのであ~る。

 問題は携帯電話なのだ。携帯を鳴らしたり、振動させることを「鳴動」と称するとは、恥ずかしながら初めて知った。「携帯鳴動して不正一件」と言ったら、隣に座っていた日本史の女性教授が、はははとお笑いになりましたぞなもし。

 引き続いて教授会。これは存外早く済むぞと思った通りで、17:30には終わった。副学部長殿の甲高く間断の無いお話しぶりには、途中で吐き気をもよおしてたが、受忍限度の内で済んだ。

 とっとと帰宅する。先日K君にいただいた「姥捨正宗」で晩酌した。

 大阪へいらしたというK教授からいただいた「阿闍梨餅」も、さっそく家族でいただいた。でも、京都へいらしたのかなあ?