そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

11月8日(火)時間潰し

2011年11月08日 | 公開

 社会人講座の前に、「築地布恒更科」で蕎麦をたぐることにする。壁の品書きを見ると「牡蠣天」があったので、その天もりにしてもらった。私は柿(熟柿)も好物ぢゃが、牡蠣も好きでのう。

 講師控室で茶を飲んでいると、同じ時間にご担当のストレッチの先生がおいでになって、またお話しした。この先生と話すと実にタメになる。どうも腱鞘炎みたいに手首が痛くてたまらんのですが…と申し上ぐれば、それはむしろ筋肉を使っていないからではと言われた。空港のマーシャラー(飛行機の誘導員)に肩こりの人はいませんよ、と言われれば道理で、身体は使わないと錆びてくるのである。大学教授なんて最も不健康な商売である。

 さて、今日の講義はもっぱら近衛基熙筆の写本を読む。なにせ江戸・東京というコンセプトをどこかで具現せにゃならん講座だからね。読みやすい、りっぱなくずし字だった。

 昨日はあんなにびっしりのスケジュールだったのに、今日は14:30に講義を終えた後、18:00の編集会議までぽっかり時間が空いた。そこで、ぶらぶらして、散財してしまった。御徒町で電車を降り、「文行堂」へ行く。飛鳥井雅章の和歌入り書状幅が掛かっていたが、その前の短冊を物色。安~い為村があったので、こりゃどうして半額なのかな?とよくよく吟味すれば、歌題の右にシミがある。しかし、三つ折り跡がしっかりついており、綴穴まで開いていた。さらによく見ると、なんと墨でついた指紋がうっすら確認できるっではないか! ありゃりゃ、これは冷泉為村卿の指紋である可能性が高いぞなもし。こういうのは実に、研究者向きの資料といふべし。他に土岐善麿の短冊にも心が動いたが(わたしゃそのかみ、善麿の葬式の受付をさせられたからな)、今日は為村だけにしておく。TVで時々お見かけする鑑定師の先生が奥にどかっと腰をかけておいでだった。

 それから、久しぶりに2k540を覗けば、お店がずいぶん増えている。「鬼丸雪山窯元」へ寄ったら、すてきな飯椀があり、これもついついいただいた。なんだかんだで15,000円ほどの散財となる。

 

 編集会議は存外手こずって21:10までかかった。F先生にご自宅の柿を1個いただく。

 TG大のS先生と電車でご一緒して帰る。近世の三下り半は女性を解放するための文書だったとは、昔何かの本で読んだ記憶があるが、三下り半をもらった女性が信州から江戸見物に来た旅日記が面白いとのお話をうかがう。見物するコースは今のはとバスとほぼ同じだとか。それから、寺子屋の師匠の日記というのも面白く、悪ガキどものイタズラが度し難く、机の上にのぼって性器を露出するなど、も~大変な内容だとか。以上、TG大で最近講演された、江戸東京博物館の館長さんの話の中身だそうだ。うちの大学でもご講演願うかな。でも、今年の後援者は佐佐木幸綱先生となっておる。

 帰宅したら、同居人も大阪から帰宅していた。駅前の酒屋で「菊水の辛口」の小瓶を買ってきたから、一緒に飲む。あては高島屋の地下に今津の「西友」が出店していて、案内をもらったから買ってきた「小鮎醤油煮」を、1尾だけ食った。同居人は大阪で文楽を観たそうだが、も~三味線の糸は下がったままだし、あれが人間国宝か!?というようなひどい仕儀であったとか。世界文化遺産文楽も、もうおしまいなのだそうである。

 そこで三味線の箸置きを取りいだす。盃は入れ子式の茶杯で、一番外側のはチェイサーにちょうどよい。