史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

上野 ⅩⅡ

2022年04月23日 | 東京都

(西照寺)

 地下鉄稲荷町駅から地上に出て直ぐのところに西照寺がある(台東区東上野6‐2‐4)。ここに人力車を発明した鈴木徳次郎の墓があるというので、墓地を歩いた。鈴木家の墓は複数発見したが、徳次郎の名前は見つけることができなかった。

 

西照寺

 

(唯念寺)

 唯念寺には加賀藩医藤井方亭(ほうてい)の墓がある(台東区元浅草2‐7‐12)。墓地は本堂の道を挟んで向かい側にある。

 

唯念寺

 

藤井家之墓(藤井方亭の墓)

 

 藤井家の墓は新しく建て替えられているが、側面に「瓊岡院亀淵楽易居士 弘化二年八月八日 俗名方亭 行年六十八才」とある。

 藤井方亭は、安永七年(1778)、伊勢奄芸郡大野田の生まれ。江戸に出て宇田川玄真のもとでオランダ医学を学んだ。蘭語学習の一面としては「道普華児麻」を手写したことが伝えられている。異業は浅草鳥越町に開いていたが、文化六年(1809)、玄真の推薦で吉田長淑とともに加賀藩の侍医となった。天保元年(1830)、坪井信道が私信の中で方亭のことに触れ、「官事忙しく、殊に大志も無之」としている。天保七年(1836)、老年のため藩医を辞し、弘化二年(1845)、本郷加賀藩用邸に没した。年六十八。

 

(誓教寺)

 誓教寺には「富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎の墓がある(台東区元浅草4‐6‐9)。

 

誓教寺

 

葛飾北斎翁

 

画狂老人卍墓(葛飾北斎の墓)

 

 北斎は宝暦十年(1760)、江戸本所割下水(現・墨田区亀沢)に生まれた。十九歳のとき、浮世絵師勝川春章の門に入り、本格的に絵画の修行を始めた。そのとき勝川春朗の名を与えられた。画号は春朗のほか、宗理、画狂人、卍翁など(約三十種類あるとも)。寛政四年(1792)、春章が没すると勝川派を離れ、狩野派、土佐派、淋派や西洋画なども学び、独自の画境を開いた。住居を九十三回も移し、奇行に富んだ。嘉永二年(1849)、江戸浅草聖天町の長屋で長女阿栄(葛飾應為)に看取られて亡くなった。墓石側面には「ひと魂でゆく気散じや夏の原」という辞世が刻まれている。

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