(大陽寺)
大陽寺
清雲寺で殺害された大炊御門尊正らが目指した大陽寺を見学するため、秩父大滝へ車を走らせた。秩父市街も十分山の中にあるが、大滝はそこからさらに山奥に入る。国道140号線(彩甲斐街道)を山梨県方面に進行していると、大陽寺への分岐点に出会う。ここから大陽寺まで未だ八㌔以上、山の中を走らなくてはならない。
この寺は、古くは袋養寺と書かれたが、いつしか大陽寺という漢字を充てられるようになった。女人禁制の山が多い中で「東国の女人高野」と称され、多くの女性参詣客が訪れた。私が訪問したときも、女性客が何人も逗留しており、それと知らずに闖入した私はまるで異星人のようであった。
大炊御門尊正は、この寺を仮御殿にしようと企図していたというが、どうしてこのような山奥深い場所を拠点にしようとしたのだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/dd/76c8c36e93b270838d192508e4e76a36.jpg)
大陽寺
清雲寺で殺害された大炊御門尊正らが目指した大陽寺を見学するため、秩父大滝へ車を走らせた。秩父市街も十分山の中にあるが、大滝はそこからさらに山奥に入る。国道140号線(彩甲斐街道)を山梨県方面に進行していると、大陽寺への分岐点に出会う。ここから大陽寺まで未だ八㌔以上、山の中を走らなくてはならない。
この寺は、古くは袋養寺と書かれたが、いつしか大陽寺という漢字を充てられるようになった。女人禁制の山が多い中で「東国の女人高野」と称され、多くの女性参詣客が訪れた。私が訪問したときも、女性客が何人も逗留しており、それと知らずに闖入した私はまるで異星人のようであった。
大炊御門尊正は、この寺を仮御殿にしようと企図していたというが、どうしてこのような山奥深い場所を拠点にしようとしたのだろうか。
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