史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

蕨 Ⅲ

2022年01月08日 | 埼玉県

(河鍋暁斎記念美術館つづき)

 二か月前に訪問した際には休館だった河鍋暁斎記念美術館を拝観することができた。蕨駅前から蕨市が運営しているコミュニティバスが通っているが、待てどもバスが来ない。時刻表には「15」と書いてあったので、てっきり十五分間隔でバスが運行されているのかと思ったが、それは全くの勘違いであった。一時間に一本、毎時15分に蕨市を出るということらしく、タイミングが合わなければ使い勝手はあまりよくない。あまり辛抱強い方ではない私は、待ちきれずに電車で一駅移動して、最寄りの西川口駅から歩いた。二十分くらいで到着する。

 西川口駅は、川口市に所在しているが、少し西に行くと戸田市である。河鍋暁斎記念館は市境の蕨市に位置している。西川口駅周辺には、タイ語や韓国語の看板が並び、街を行く人も外国語を話している人が多い。ひと言でいうと猥雑な印象の街であるが、何だか暁斎の多様で雑多な画風にも通じるところがある。

 河鍋暁斎は、狩野派の絵師に分類されているが、伝統的な日本画のみならず、水墨画風の絵も描けば、おどろおどろしい残酷絵や風刺画(現代でいえば、漫画に近い)まで、多様な作品を残した。その背後にはあらゆる技法に通じた暁斎の高度な技術があった。この記念館では暁斎の残した下絵(今風にいうと、デッサン)を中心に展示されているが、ほとんど描き直した形跡がなく、暁斎の確かなデッサン力を物語っている。

 ほかに客はいなかったので、一人占めであった。記念館にはミュージアム・ショップも併設されている。私はここで暁斎筆「百鬼夜行図屏風」と「蛙の人力車と郵便夫」の絵ハガキを購入した。いずれも「鳥獣戯画」を連想させるユーモラスな風刺画である。

 

「百鬼夜行図屏風」

 

(塚越稲荷神社)

 蕨駅から東へ徒歩十分。塚越稲荷神社の境内に高橋新五郎夫妻を祀る機(はた)神社がある。

 

塚越稲荷神社

 

機神社

 

 高橋新五郎は寛政四年(1792)の生まれ。高橋家は代々武蔵国足立郡塚越村の農家で、先代から農閑期には余業として機織りをしていた。新五郎は文化十三年(1816)から父の遺志を継いで鋭意機業の改良に着手し、各地の機織りを参考にして高機を工夫し、青縞織の製造を伝授し、爾来「東屋」の家号をもって栄え、天保八年(1837)には高機一〇二台、藍甕三〇〇余を備えた工場を構えた。その技術を聞いて遠近から伝習に来る者も多く、その人々が開いた弟子機屋、孫機屋と称するものが百数十に及んだという。没後、機祖神として祀られ、毎年七月七日の開業日には祭典が行われている。安政四年(1857)、年六十六で没。

 機神社には、高橋新五郎とその妻いせの座像が置かれているが、合わせて反物や糸取りの道具も納められ木綿糸が巻かれている。また前身は関東大権現社であり、徳川家の葵の御紋も本殿正面に掲げられている。家康の座像も祀られているという。

 

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