史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

大磯 Ⅱ

2009年12月19日 | 神奈川県
(大運寺)


大運寺

 大運寺は、大磯駅からほどない場所に位置している。本堂の左手に中島信行とその夫人の墓がある。


長城中島君墓(左)中島湘烟之墓

 中島信行は、弘化三年(1846)、土佐の高岡郡新居村に生まれた。通称は作太郎。性格は温厚で、学問を好み、勤王の志が篤かった。元治元年(1864)、中島與一郎、細木核太郎らと脱藩した。のち海援隊に入り、いろは丸事件では紀州藩との交渉のために長崎に赴いた。報告のために神戸に着いたところで坂本龍馬の死を知ったという。
 戊辰戦争、会津戦争に参加したのち、新政府に仕えて通商正、出納正、租税権頭などを歴任。明治十四年(1881)、自由党が結成されると、副総理となり板垣退助を助けて立憲政体の建設を主張した。その後も初代衆議院議長、イタリア公使、貴族院勅撰議員を歴任した。明治三十二年(1899)、年五十四で没。

 夫人中島湘烟は、筆名岸田俊子といい、女権拡張活動家、作家として活躍した。中島信行は最初陸奥宗光の妹を娶ったが、その死後、湘烟が後妻となった。信行が亡くなった二年後、後を追うように逝去。三十九歳。

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