史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

伊勢原

2009年12月19日 | 神奈川県
(大山阿夫利神社)

 この土曜日は、早起きをして茨城県方面に遠征しようと予定していた。しかし、連日の(忘年会の)疲れが取れず、寝過してしまった。このまま、家の中で一日を過ごすには惜しい天気だったので、計画を変更して伊勢原市大山と大磯を訪ねることとした。


阿夫利神社下社

 伊勢原市大山の阿夫利神社は、千年に及ぶ歴史を有する古社である。大山の中腹(標高六百七十九㍍)に下社、頂上(標高千二百七十二㍍)に本社があり、眺望が素晴らしい。
 良弁橋付近に自動車を停めて、二十分ほどケーブルカーの駅まで歩く。参道の両側には、土産屋や名物の豆腐料理の店が軒を連ねる。境内からの眺めは、高尾山よりずっと優れているように思うが、交通の便の悪さが影響しているのだろうか。人の数は高尾山より遥かに少なく、土産物屋も料理屋も手持無沙汰な様子であるし、ケーブルカーもガラガラであった。
 阿夫利神社までケーブルカーで七~八分くらいである(片道四百五十円)。終点の阿夫利神社駅から下社まで、数分で行き着く。


阿夫利神社より関東平野を一望する

 阿夫利神社下社の神殿の前に、権田直助の座像がある。本日、はるばると阿夫利神社を訪ねた目的は、この権田直助の像と対面するためであった。
 権田直助は、維新後、新政府に出仕していたが、明治四年(1871)国事犯の嫌疑を受けて、矢野玄道、丸山作楽らとともに加賀に幽閉された。明治五年(1872)九月に宥免され、その後は、大山阿夫利神社の祠官としてこの地に永住した。権田直助は、春日大社から古代神楽の系譜をひく倭舞(やまとまい)、巫女舞(みこまい)を伝えた。この舞は今でも毎年八月には神前に奉納されているという。


権田直助座像

 大山ケーブル駅から参道を下って、良弁橋を渡ると権田公園と書かれた大きな看板が目に入る。この奥に権田直助の墓がある。権田直助は、明治二十年(1888)、七十九歳でこの世を去った。明治四十年(1907)、特旨をもって正五位を追贈された。


権田公園


権田直助可美真千知大人之墓
(権田直助の墓)

 墓に刻まれた「可美真千知大人」とは、権田直助の謚号である。右手の小さい墓石は、夫人のものである。

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