史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

鴨宮

2012年03月17日 | 神奈川県
(飯泉観音)


飯泉観音(勝福寺)

 JR鴨宮駅北口にある自転車屋で貸自転車を借りて周辺を探索する。このところ寒い日が続いていたが、この日は幾分寒さがやわらいだ。自転車を漕いでいるうちに体が温かくなってきて、途中でマフラーを外した。
 西に十分ほど走ると、飯泉山勝福寺(通称飯泉観音)に行き着く。創立は奈良時代まで遡るという古刹である。
 境内に跪いて手を合わせる少年の像がある。この像は、少年時代の二宮尊徳が、旅僧から観音経を聞き、一念発起した姿を現している。台座には「尊徳先生一代ノ鴻業ハコノ初志ニ徹シ救世ノ大誓願ヲ具現セルノミ」と刻まれている。


二宮金次郎初發願之像

(二宮尊徳夫人生誕地)


二宮尊徳夫人生誕地碑

 飯泉観音から五十メートルほど北の住宅街の中に二宮尊徳夫人岡田波子刀自生誕地の石碑が建てられている。
 浪子は、飯泉村組頭岡田峯右衛門の娘として文化二年(1805)当地に生まれた。文政三年(1820)、十六歳のとき二宮尊徳に嫁いだ。結婚後、歌子と名を変えた。尊徳との間に二子をもうけた。安政三年(1856)、尊徳は今市で亡くなったが、嗣子尊行を励まして遺志を継がせた。明治四年(1871)六十七歳で没したが、その間、ほとんど郷里に帰ることはなかったという。

(小田原藩主大久保忠真 二宮金次郎を表彰の地碑)


小田原藩主大久保忠真
二宮金治郎を表彰の地碑

 酒匂川沿いに南下し、小田原大橋を小田原方面に渡ったところに小さな公園があり、そこに一つの石碑がある。
 文政元年(1818)、大阪城代、京都所司代の重責を果たし、老中に任じられて江戸に向かった小田原藩主小笠原忠真は、その途上、自領に立ち寄り、領民の中から働き者や親孝行な者十三名を表彰した。その中に三十二歳の二宮金治郎(のちに金次郎、尊徳)がいた。こののち二宮金次郎は、忠真の抜擢を受けて藩主分家の宇津家領の下野国桜町の復興を委嘱された。尊徳は十年の歳月を費やし、幾多の迫害と困難を乗り越え、再建を成し遂げた。

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