これが私の生きる道

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悲しい真実

2011年10月10日 21時21分45秒 | 思うこと
最近、期待していたことが裏目に出ることが多く
これからは何事に対しても、ハードルをめい一杯下げることにしました。
人が喜びを感じるポイントは、
設定したハードルの位置からどれほど上にあがれるかで
その物事の絶対的な価値とは
また別のところにあるような気がします。
逆にハードルを上げておいて
それが客観的には普通の出来でも
がっかりしたことは誰にでもあることです。

こんなことを書くと随分後ろ向きかもしれませんが
自分自身の中だけの問題だとすれば
特に害もありません。
これを他の人に「これはつまらないかもしれない」とか
やたらマイナス思考なことを言うのは
良くないことでしょう。
たまにこういう人がいると、すごく嫌な気分になるものです。

「信じていれば夢は叶う」なんてことはあるわけもなく
信じる信じないに関わらず
それに向かって行動を起こすか起こさないかの違いに係っています。
願っているだけで行動を起こさない人の多さといったら。
絶対に復興する、って何かの呪文の最近よく耳にしますが
そんな掛け声より手を動かさなきゃいけないです。

最大のメンタルトレーニングというのは
過去も未来も切り離して、
現在今している行動にだけ目を向けることで
力を出し切れないのはその先の未来に思考が飛んでいるからです。
現在の行動の積み重ねがイコール未来なのだから
その行動を阻害する緊張などはすれば損するだけです。
今みたいにプレッシャーのないときには
そう思えるのですが、いざその場にたつと
中々そう上手くいかないのは難しいものです。

自分に纏わる様々なことを運命的なことのように考えたい気持ちは
痛いほどよく分かるけど(実際自分にもそう思いたいことがあるので)
一動物でしかない我々がそんな大層な物体であるわけもなく
でもみんな自分のことはそう思いたくないから
運命とか使命とか生まれてきた意味だとか作り話をでっち上げて
それがあたかも本当に存在する物語のように語り継いできて
人間社会を成立させているのは
どうやら間違いないように思います。
たまたま生まれてきて、たまたまここで育ち
そう考えれば期待もせず、心穏やかに生きていけます。

我々感じるストレスの源は、
人間は選ばれた存在で、あたかも神の次にえらいと勘違いしている
こういった傲慢さから来るのではないかと感じることがあります。
全ての人が本当の意味での謙虚さを手に入れたのなら
必ず幸せに暮らしていけるに違いありませんが
往々にしてそういう人たちは弱者として扱われるのは
皮肉としかいいようがありません。


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