夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

小春日和

2013-02-15 07:21:26 | つれづれなるままに
2月14日(木)

 日中はお日様が雪を溶かし、外を歩いてもとても気分がいい。こんな日がそう続くとは思えないが、それだけでも希望が見える。もうすぐ春が来る・・・。

 次年度の計画がより具体的になって行く。
 新規事業が始まるのを契機に、書類整理がもう一方で進む。12年分の書類が書庫に詰まっていて、それを片付けないと始まらないが、あまりにも量が多い。
 そんな中、私もその整理の対象となりつつあることに気づいている。
 私の役割が消失して、ウルトラマンの胸に輝く電源切れを示すピコピコマークが点滅し始めているのかもしれない。
 きょうから自分の部屋の、荷物整理から始めようと思っている。
 自分だけの時間がほしい。

母の道は険し

2013-02-14 07:05:03 | つれづれなるままに
 昨日一人の有能な女性スタッフから、退職を申告された。理由は子育てと職業の両立が現状では難しい。具体的には自宅から職場までの1時間という距離が、8時間労働を困難にしている。そしてパートの時間しか働けないと、保育所代も稼げないということだそうである。
 共働きで、尚かつ一児の母として、職場に来てまだ3年ほどだと思う。そしてそのうち出産のためと育児のために2年間を休職しているのだから、無念だと思う。もう一人の女性は4年前に就職をして二児の母となったが、結局連続して出産のために4年間を休職しているのが実状である。
 そして復帰しても子育ての支援がない女性スタッフの場合は、勤務につけずに休む以外に道がない。その結果子どもが欲しくてもいない状態のスタッフのところにそのお鉢が回っていく。いつも勤務がくるくる変えられるのは、子どもがいないかもしくは子育てがやや軽くなりつつある女性スタッフのところに行きやすい。
 調整役の主任者も人が居なければ、その穴埋めに自分が入らずに居られないし、常に固定的な勤務が崩れて、その調整のためにスタッフそれぞれに常に交渉しなければならない。気の休まらない期間が続いている。
 男性も女性も共に、社会的に平等であることは言うまでもない。しかし、津軽の男女間の気風というのか、協力体制はまだまだ女性の仕事には不十分で、なにかあれば女性が仕事を休めという価値観があるのではないだろうか。

 産休や育児支援の制度は法的整備は進んでいても、結局職場への補助がないと代替え機能が働かずに、辞めていかざるをえない状況は変わらないのではないだろうか。そして男女平等の職場は、まだまだ遠い津軽である。

 これからもう少しこの問題の整理と、今後の対策をして行かないと、福祉の職場がますます希望者が来ないという状況は深刻化する気がしてならない。
 その到達点に、少子化問題があるのではないか。

やり残しはないか・・・

2013-02-12 07:22:29 | つれづれなるままに
2月12日(火)

 昨日というのか今朝方というのか、頭の隅に夢の片鱗がこびりついている。何だったのだろうか?という想いは、いつものことだが、鮮明に残っている夢の記憶もある。
 夢であって欲しいと思うことや、正夢だったらどうしようと思うこともある。夢でも日常とつながっていることだってある。

 この度の記憶は夢にしておけない記憶なのではないかと、顔を洗いながら思っている。
 それは「重症心身障害児(者)」という、重度の知的遅れと重度の身体障害、そしていくつかの生活障害をあわせて持っているある人達のことである。

 私が手がけた障害者福祉は確かに一定の成果を上げ、着実に広がってきている。しかしながら、重症心身障害児(者)への課題は、たくさんあって、とてもむずかしい課題も多い。
 横浜市の「訪問の家・朋」の理事長だった「日浦 美智江さん」がかつて私に言った言葉それは「重心の人たちのライフステージの終局にあるものは医療的ケア」という言葉である。
 
 そして重心の人たちの生活の質(QOL)をどのように高めていけばよいのか・・・。まだまだ彼らの可能性を見極めたわけではないのだから、これからそれを1つずつ具体化すべき時が来ている。
 佐井村の19歳の青年は、自傷行為で額と頬が肉が盛り上がっていた。祖母と二人で下北の突端の村で、家の中に篭り続けていたあの日。巡回療育相談で訪ねた時、会場までの車の中で、彼はとても嬉しそうに笑顔を見せてくれた。たったこれだけのことで、彼はとても嬉しそうに笑っていたのだ。同乗した祖母は、彼の笑顔をどのように感じたのだろうか?福祉の光がこの村にいつ届くのだろうか・・・。そして私のやり残したことが、ここに原点があるのかもしれない。

「生きる」ということは

2013-02-10 15:57:37 | 創作(etude)
 
「生きるということは」

生きるということは
未知の自分に出会うこと
生きるということは
生きた分だけ細胞が死んだということ
生きるということは
見知らぬ誰かと出会うこと
生きるということは
昨日の友と別れること
生きるということは
予期しなかったことに出会うこと
生きるということは
悲しい思いに出会うこと
生きるということは
辛い出来事と出会うこと
生きるということは
辛い出来事を乗り越えること
生きるということは
明日に希望を見出すこと
生きるということは
新しい細胞を作ること
生きるということは
生きていたという事実を積み重ねること
生きるということは
共感できる友を作ること
生きるということは
虚しさを味わうこと
生きるということは
想い出を残すこと
生きるということは
唇を噛んで耐え忍ぶこと
生きるということは
誰かにメッセージを伝えること
生きるということは
分かち合うこと
生きるということは
生きて来たという事実を伝えること
生きるということは
正しいと思ってきたことを否定すること
生きるということは
間違いだらけの自分を認めること
生きるということは
ありのままの自分を受け入れること
生きるということは
死んでいく自分を褒めてあげること
生きるということは
限りがあるということを確認すること
生きるということは
想い出の中に浸ること
生きるということは
祈りを捧げること
生きるということは
自分の分身に想いをつなげること
生きるということは
死んでも人々の中に生き続けること
生きるということは
許し続けること
生きるということは
愛する人を守ること
生きるということは
成長すること
生きるということは
忘れ去ること
生きるということは
花吹雪に感動すること
生きるということは
相手の立場に立って見ること
生きるということは
誰かに恋すること
生きるということは
生きるということは
ikirutoiukotoha
イキルトイウコトハ



生活支援ネットワーク「ライフ」研修会

2013-02-10 13:18:31 | 福祉について
2月9日(土)

 八戸市にて「生活支援ネットワーク「ライフ」研修会が開催され、参加して来ました。
 テーマは「地域でともに生きたい~重症心身障害の方のライフステージを考える」
 
 シンポジストとして 医療の立場で「大城先生」家族の立場から「木村さん」そして相談支援員の立場では「中野渡さん」がそれぞれ発言をしました。

 大城先生は「重症心身障害児」の障害特性を説明された後、重症児がライフステージごとにどのような課題と対峙することになるのかを説明されました。
 そして親の為すべきこととして、親に代わってサポートしてくれる人をより多く確保することが大切であることを強調されました。
 そして支援する側にも必要な「顔の見える関係」づくりが大切であることも強調されました。

 木村さんは重症のお子さんとの37年間の歩みを、時系列で紹介されました。木村さんのお子さんは我が家の長女と同じ年であり、青森県守る会をともに立ち上げた仲間でもあります。母一人で重症児を育て上げたことの苦労は、計り知れないと思います。
 我々もそうですが、人生の折々をたくさんのサポーターに助けられながら、現在があるのだと再確認しています。

 冒頭のテーマである「地域で共に生きたい」という思いをどのように実現するのかということがテーマですが、24時間365日とその人生の折々を支援するための仕組みと、社会資源である各団体や機関が、どのように連携してサポートしていくのかが問われています。
 「地域自立支援協議会」の役割が問われていると思います。現実的にはこの協議会がどの市町村も十分にその期待に答えているという話を聞いたことがありません。
 障害者福祉の行政機関、教育機関、福祉団体、当事者などそれぞれの持っている機能や役割を果たすことが求められていますが、現実的には構成されている団体それぞれの勉強不足であったり、実現のための行動に繋がらないという課題が解決されていないようです。

 今後は障害者福祉の分野でも「ケアマネジメント」という、個別支援の専門的なアプローチが今後深まっていくことが求められているようです。
 
 

キャンドルの進化

2013-02-09 08:34:17 | サイクリング
2月9日(土)

 弘前は昨日(8日)横殴りの暴風雪。もちろん県内全域が様々なトラブルに遭遇していたようです。大湊線は強風のために脱線し、奥羽本線も青森弘前間をタクシーでのピストン輸送をしたとか・・・。

 こんな嵐のような日が、私と娘(次女)の誕生日でした。
 家内が手作りで、おいなりさんやロールケーキを作って、ケアホームに出かけました。
 家内が「あっ!キャンドルを忘れた」という一言。私はケーキ用のキャンドルを探しに行きました。スーパーを見て歩きましたがなかなか見つからず、ケーキのキャンドルはケーキ屋さんだと思い直して、ケーキ屋さんに向かいました。するとキャンドルが進化して様々な形や華やかな色に変身していたのです。
 写真は団子の形をしたローソクです。
私はスラリとした細いキャンドルを探していたのですが、売り物にはなくて結局2と8の数字キャンドルを購入しました。店員さんが、「細いキャンドルならサービスしますよ」と言ってくれ、なんとか目的を達成しました。あとで分かったことですが、ローソクといえば、カメヤマローソクが名前に浮かびます。インターネットでホームページを覗いたら、故人の好物品がかなりの種類でキャンドルとして売られているのです。
 一つ勉強になりました。

 さて、次女は今年で35歳になり、好物のコロッケとロールケーキをぺろりと平らげてごきげんでした。ケアホームの皆さんにハッピーバースディを歌っていただきお祝いして頂きました。
 健康でいつまでも明るい笑顔でいてくれることが、親としての一番の願いなのです。 
 夕方6:50分頃彼女は生まれました。てんかん発作などで16歳頃まで、大学病院に夜中に連れて行ったこともありました。昨日は健康診断日で、主治医の女先生に「体調が良さそうでホッとしました」と言われて、有り難いことだと思っています。

 私は61歳となり、今年こそ身体を絞って、健康第一で行こうと思っています。
 

人類の未来はあるか

2013-02-04 06:54:43 | 創作(etude)
繁栄の中の
不満感と虚無感
文明という
一区切りの
過渡期
時代は戻せないか
為政者の
倫理観はあるか
括りを大きくしていくたびに
人は確実に
生きる意欲を失っていく
希望や夢を抱けずに
自らの命を
絶っていく若者たち
地球人口は
70億人と膨れ上がり
200近くもある国家の
どの国をも
模範とできない
21世紀の地球は
その歴史の中で
本当に人類は
進化してきたのだろうか
繰り返す
正義とは名ばかりの
下等な殺戮合戦
大切な限りある自然
見境ない環境破壊の進行
自分だけの
繁栄を夢見て
隣人の貧困への
痛みを感じない政治
地球規模の救済策は
本当にないのだろうか


デパートは春

2013-02-03 07:41:36 | つれづれなるままに
2月2日(土)

 久しぶりの休日のような気がします。昨夜は職員互助会の新年会。二次会にスタッフと久しぶりになだれ込んで、帰宅したのは午前様。
 そして二日酔いの顔で散髪に出かけて、髪を切ってもらいました。私の整髪料はある日からどういうわけか2,800円になっていましたが、私の前の男性は髪の量も多くて3,500円でした。私は特別扱いをされているのかもしれません。喜ぶべきかどうか、やや微妙なところです。

 この日の最高気温は7.8℃と、この時期にしてはかなり高く道路は雪が溶けて、津軽弁で言う「じゃけた道」でした。
 この雪が溶けてまた凍るとそれがまた歩きづらい道路に変わります。
 
 家内と午後買い物に出かけて、デパートに行きました。人がなんでこんなに1階に多いんだろうと思ったら、一階のかなりのスペースでバレンタインディのチョコレート売り場になっており、若い男女が行列を作って買い求めていました。
 家内とチョコレートよりも大福を食べたいねという我々は、対象外のようです。

 洋服売り場に行けば冬物が半額割引・・・。一昨年フリーマーケットで500円で買った冬物をずっと着ていたので、この日は少し高めのもので半額近い冬物をゲット。そして髪の薄くなった頭頂部の保護に、少しかっこいいハンティング帽を購入しました。

 天候もそして暦も間もなく立春、節分と続き、まさに春の予感がいよいよ強まってきています。でも津軽はこの2月が大雪の最後の壁です。

 もう一つ嫌な気配は、「インフルエンザ」の猛攻。一応家族は予防接種していますが、外に出かけたらマスクをしてから出かけるくらいの予防は必要なのかもしれません。

 夜7時から町会の行事「お山参詣」の企画会議を終えて、夜空を見上げると星空がとても美しくきらめいていました。昴は一層大きく輝いています。寒いからこそ美しく見える北国の空です。