夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

やり残しはないか・・・

2013-02-12 07:22:29 | つれづれなるままに
2月12日(火)

 昨日というのか今朝方というのか、頭の隅に夢の片鱗がこびりついている。何だったのだろうか?という想いは、いつものことだが、鮮明に残っている夢の記憶もある。
 夢であって欲しいと思うことや、正夢だったらどうしようと思うこともある。夢でも日常とつながっていることだってある。

 この度の記憶は夢にしておけない記憶なのではないかと、顔を洗いながら思っている。
 それは「重症心身障害児(者)」という、重度の知的遅れと重度の身体障害、そしていくつかの生活障害をあわせて持っているある人達のことである。

 私が手がけた障害者福祉は確かに一定の成果を上げ、着実に広がってきている。しかしながら、重症心身障害児(者)への課題は、たくさんあって、とてもむずかしい課題も多い。
 横浜市の「訪問の家・朋」の理事長だった「日浦 美智江さん」がかつて私に言った言葉それは「重心の人たちのライフステージの終局にあるものは医療的ケア」という言葉である。
 
 そして重心の人たちの生活の質(QOL)をどのように高めていけばよいのか・・・。まだまだ彼らの可能性を見極めたわけではないのだから、これからそれを1つずつ具体化すべき時が来ている。
 佐井村の19歳の青年は、自傷行為で額と頬が肉が盛り上がっていた。祖母と二人で下北の突端の村で、家の中に篭り続けていたあの日。巡回療育相談で訪ねた時、会場までの車の中で、彼はとても嬉しそうに笑顔を見せてくれた。たったこれだけのことで、彼はとても嬉しそうに笑っていたのだ。同乗した祖母は、彼の笑顔をどのように感じたのだろうか?福祉の光がこの村にいつ届くのだろうか・・・。そして私のやり残したことが、ここに原点があるのかもしれない。