夢発電所

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陽春ようやく

2011-04-16 06:41:03 | 福祉について
4月15日(金)この日は何の日?

 ヘレン・アダムス・ケラー(英: Helen Adams Keller、1880年6月27日 - 1968年6月1日)は、アメリカ合衆国の教育家・社会福祉事業家である。自らも重い障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした。

 1937年(昭和12年)4月15日、ポリー(サリバンの後の秘書)とともに横浜港に到着し日本各地を訪問した。
横浜港に到着したあとすぐに新宿御苑へ行き、そこで開催されていた観桜会に出席し昭和天皇に拝謁した。
この来日で彼女は「日本のヘレン・ケラー」と言われた中村久子(四肢のない女性)と会った。
この来日で彼女は秋田犬を所望し、後に2頭を贈られた。
東京盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)、同志社女子大学を訪問。
この来日の時にヘレン・ケラーは横浜港の客船待合室で財布を盗まれてしまった。その事が新聞で報道されると日本全国の多くの人々からヘレン・ケラー宛に現金が寄せられ、その額は彼女が日本を離れる時までに盗まれた額の10倍以上に達していた。
4月19日には大阪、4月30日には埼玉、そして5月に入ると日本各地を次々と旅行して回った。
8月10日に横浜港より秩父丸に乗りアメリカへ帰国した。
1946年、海外盲人アメリカ協会の代表として、ポリーとヨーロッパを訪問。
1948年(昭和23年)、2度目の日本訪問。これを記念して2年後の1950年(昭和25年)、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団(現東京ヘレン・ケラー協会)と、財団法人西日本ヘレンケラー財団(現社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)が設立されている。

 英語の "The Miracle Worker" には「(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人」といった意味があり、アン・サリヴァンのことを指すが、日本ではヘレンのことと誤解され、「奇跡の人」がヘレンの代名詞として用いられることも多い。
“ Life is either a daring adventure or nothing.
       「人生は恐れを知らぬ冒険か、無か」 ”が彼女の言葉としてある。

 幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と両親より教育されていて、1937年に来日した際、記念館を訪れている。(Wikipediaより引用しました)

 ちなみに昨日4月15日は、家内の誕生日でもありました。

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