7月8日は午後からの研修前に、国会近くの「日本財団」を訪問した。この日は朝から暑い日ざしが照りつけ、たちまちタオル地のハンカチを濡らした。国会付近は内閣府や官邸などもあるためか、あちこち警察官だらけである。
日本財団ビルの正面には、障害者のパン屋「スワンベーカリー」が開店していた。受付で来訪を告げて担当者が来るのを待った。日本財団は今春開業のケアホーム「SEEDS]の補助金を交付していただいたことから、お礼の挨拶訪問と今後の助成についての情報収集もあった。担当の方は女性の方で、好感の持てる対応で私たちの必要な情報を提供してくれた。
日本財団を後にして、一路千葉県の幕張にある研修会場を目指した。「ケアホーム・グループホーム」の全国研修会が午後から開催されるのだ。そして翌日は友人の勤務する施設を訪問見学して、久しぶりに交流を深めることになっていた。
友人Kさんは私と年齢は一緒であるが、彼の福祉暦では数年先輩である。因縁はカミサン同士が同じ福祉大学の友達であり、また私たち4人は同じ職場(障害児施設)が人生のスタート地点である。 彼は後半の人生を、他の障害者施設を転々としている。奥さんは実母を引き取って職場を辞め、介護の日々である。子どもたちは私の娘たちと同じ年齢で、皆福祉や看護の職業についている。家内は二十年ぶりくらいにカミサン同士で再会することになったことから、今回の私の出張に同伴したのだ。
初日の研修会は「記念講演」から始まり、ケアホームの情勢報告」「シンポジューム」をPM5時30分まで聞いた。ことに印象深かったのは記念講演で、視覚障害者でありながらも社会福祉士の国家資格を取得して、千葉県の差別禁止条例策定委員でもある方の講演であった。
障害者差別のない社会作りをするために、差別をする側とされる側と言う対立軸を問題にするのではなく、総ての人々が暮らしやすい社会を作るためにはどうすればよいのかという問題意識を、障害のある人も無い人も共有することを目指している。
たとえ話として、もしもこの世が少数者の社会だったらという仮説は、大きなヒントを与えている。
視覚障害者が9割の社会では、目の見える人たち(晴眼者)は少数派である。そこで、その眼の見える人たちのために電気や街灯をつけるのは、社会にとって無駄であるという発想が生まれる。この発想こそ、現在の少数派の困難を如実に表す事例となる。その少数派の人たちの生活がどのような天で困難なのかを当事者から学び、共通理解をすることが棲みやすい社会作りの第一歩であるという考え方を強いインパクトで胸に収めることができたのである。
たまたまこの研修会の私の参加する分科会も、全体のシンポジュームも、友人Kさんの所属する法人理事長がお話をすることになっていて、彼の法人の活動内容を身近にすることもできたのである。
日本が「障害者権利条約批准」をしたことから、それを法的な整備に結び付けなければならないが、当事者から学ぶという千葉県の取り組みは全国の自治体でも十分参考にしてほしいと痛感した。
障害のある人が障害のない人たちと社会のあらゆる場面で、同等の権利行使や生活保障をされる社会作りこそが、ユニバーサルな社会作りの前提なのである。
友人Kさんと再会して、千葉県の津田沼で深夜遅くまで語り合い、そして東京駅では写真のようなこれから私たちのお店でも参考になる商品販売方法などを見て歩いた。
日本財団ビルの正面には、障害者のパン屋「スワンベーカリー」が開店していた。受付で来訪を告げて担当者が来るのを待った。日本財団は今春開業のケアホーム「SEEDS]の補助金を交付していただいたことから、お礼の挨拶訪問と今後の助成についての情報収集もあった。担当の方は女性の方で、好感の持てる対応で私たちの必要な情報を提供してくれた。
日本財団を後にして、一路千葉県の幕張にある研修会場を目指した。「ケアホーム・グループホーム」の全国研修会が午後から開催されるのだ。そして翌日は友人の勤務する施設を訪問見学して、久しぶりに交流を深めることになっていた。
友人Kさんは私と年齢は一緒であるが、彼の福祉暦では数年先輩である。因縁はカミサン同士が同じ福祉大学の友達であり、また私たち4人は同じ職場(障害児施設)が人生のスタート地点である。 彼は後半の人生を、他の障害者施設を転々としている。奥さんは実母を引き取って職場を辞め、介護の日々である。子どもたちは私の娘たちと同じ年齢で、皆福祉や看護の職業についている。家内は二十年ぶりくらいにカミサン同士で再会することになったことから、今回の私の出張に同伴したのだ。
初日の研修会は「記念講演」から始まり、ケアホームの情勢報告」「シンポジューム」をPM5時30分まで聞いた。ことに印象深かったのは記念講演で、視覚障害者でありながらも社会福祉士の国家資格を取得して、千葉県の差別禁止条例策定委員でもある方の講演であった。
障害者差別のない社会作りをするために、差別をする側とされる側と言う対立軸を問題にするのではなく、総ての人々が暮らしやすい社会を作るためにはどうすればよいのかという問題意識を、障害のある人も無い人も共有することを目指している。
たとえ話として、もしもこの世が少数者の社会だったらという仮説は、大きなヒントを与えている。
視覚障害者が9割の社会では、目の見える人たち(晴眼者)は少数派である。そこで、その眼の見える人たちのために電気や街灯をつけるのは、社会にとって無駄であるという発想が生まれる。この発想こそ、現在の少数派の困難を如実に表す事例となる。その少数派の人たちの生活がどのような天で困難なのかを当事者から学び、共通理解をすることが棲みやすい社会作りの第一歩であるという考え方を強いインパクトで胸に収めることができたのである。
たまたまこの研修会の私の参加する分科会も、全体のシンポジュームも、友人Kさんの所属する法人理事長がお話をすることになっていて、彼の法人の活動内容を身近にすることもできたのである。
日本が「障害者権利条約批准」をしたことから、それを法的な整備に結び付けなければならないが、当事者から学ぶという千葉県の取り組みは全国の自治体でも十分参考にしてほしいと痛感した。
障害のある人が障害のない人たちと社会のあらゆる場面で、同等の権利行使や生活保障をされる社会作りこそが、ユニバーサルな社会作りの前提なのである。
友人Kさんと再会して、千葉県の津田沼で深夜遅くまで語り合い、そして東京駅では写真のようなこれから私たちのお店でも参考になる商品販売方法などを見て歩いた。