すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

もみじ台

2021-12-22 17:33:08 | 山歩き

 心臓が悪くて医者に山登りを禁止されてしまった友人を誘いだして高尾山に行った(いいのかなあ?)。彼は若い頃、ぼくよりはるかにきつい山登りをしていたのだが、最近どうも、一緒に歩いていて、登りで息切れがひどくて辛そうだなあ、と思っていたら、弁に欠陥があって、「山はやめてください」と医者に言われたのだそうだ。
 でも完全にやめてしまうのは寂しいし、本人も「下りなら大丈夫だよ」と言うので、ケーブルカーで上がろうということにした。高尾山のケーブルカーなんて、何十年ぶりだろうただし、8カ月前には隣のリフトに乗っている。4月の下旬に、10日間入院して退院10日目に足慣らしに来た。あのときはリフトに乗るための石段がひどく辛く、降りてからも何でもない4号路の登りが辛く、ストックにすがって何度も休んだり目まいをこらえたりした。あのときに「なるほど、体の辛さと言うのは本人でないと分からないものだな」というのを実感した。
 秋の終りの爽やかに晴れた日で、高尾山口駅には平日にもかかわらず登山客がいっぱいいたが、幸いケーブルカーは一番前に乗ることができた。フロントガラスに張り付くようにして、登って行く斜面を見る。すごい。ここのは勾配が日本一急なのだそうだ。ふもとの駅では完全に冬枯れだった両側の山腹が、登るにつれて陽当りの良いところだけ紅葉がまだ残っている。光を透かして見るとまだ十分美しい。
 降りて、薬王院の庫裏の脇の通称「裏道」を登る。あまり知られていないが、これが山頂に行く最短かつ最も楽な道だ。山頂は思ったよりも空いていた。富士山と丹沢山系が美しい。展望台の下の段に降りると、右手の山並の上に微かに南アルプスの農鳥岳、広河内岳、塩見岳が白く輝いて見える。もう一度あそこに立つことはできるだろうか?
 高尾山頂は避け、もみじ台まで行ったら茶屋が営業していたので、そこでお昼にする。風がないので暖かくのんびりする。富士山もここの方が美しい。なめこ汁を頼んで、ついでについ、ワンカップの日本酒を追加する。熱燗にしたのがあって嬉しい(お腹を冷やすので、山でビールはやめている)。城山のなめこ汁は有名だが、ここのも美味い。色も美しい。
 ここのところ、現代文明は終末に向かっている、次の世代ぐらいには破局が必至だ、という思いが強くて、鬱々した日々を過ごしているのだが、まあ、この日向ぼっこの間ぐらいは、そのことは忘れていよう。相棒はこの頃お酒が入ると、日本及び日本人はいかに素晴らしいか、ということを口癖のように繰り返すのだが、心のよりどころが欲しくてそう思っていたいのだろうから、今日は議論は止しておこう。
 城山まで引っ張りまわすのは心臓に良くないだろうから、ここから戻ることにした。下りは1号路を採った。1号路は石畳み道で、下りは脚に悪い。せっかく山に来ているというのにこんなところ歩くもんじゃないな、と思った。リフトで下ったほうがましだった。
 高尾駅のカフェ「一言堂」で、いつものコーヒーとアップルパイ。相棒はビール。
 彼が山を止めてしまうと、ぼくは誰か仲間が欲しいな。いつもは一人で歩いているが、たまには仲間と歩きたい時もある。
 今年はあと、ソロで2回、かな。

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