すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

歳末

2021-12-18 12:57:34 | 社会・現代

 駅前の舗道にこの頃、国境なき医師団も世界食糧計画も難民高等弁務官事務所もユニセフも、この時期にはよく見かける救世軍もいない。一年でいちばん、困窮した人たちのことを思いやったり思い出したりする季節なのに。
 今日は駅ビルの前に自転車一台も停められていない。排除通知の貼り紙が二枚、鉄のバリケードにつけられている。昨日、処分が行われたのだ(ここらあたりは駐輪場が全く足りないので、ぼくもたまに停めることがある)。
 空っぽの、きれいさっぱりとした舗道。
 寄付を呼び掛けていた人たちも排除されたのだろうか? あの人たちを排除して、どうしようというのだろうか? 今さらクリスマスや年越しのイルミネーションではないだろう。
 「道行く人たちの邪魔や事故のもとにならないように」だろうか? 「街の美化運動」だろうか? 「さっぱりとした新年を迎えたい」のだろうか? 困っている人たちの力になりたい人たちを排除して?
 助け合うべき、あるいは連帯すべき、あるいはせめて共感すべき人々は、お互いにそっぽを向いて歩いている。他人にはなるべく目線を合わせないように(ぼくも、そのうちの一人だ)。
 (山で野生の猿に出会ったら、決して目を合わせてはいけないのだそうだ。)
 現代社会が終わろうとしているのに、ぼくは何をどうしたらよいかわからない。
 だからぼくはふさぎ込み、むかっ腹を立て、それにもかかわらず、退屈までしている。

 

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