すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

那須(続き)

2020-10-16 17:25:21 | 山歩き
 東の空が美しい(やや禍々しい)朝焼けに染まっていた。女将さんが首を傾げて「風が心配ですね」という。旅館の前の木はわずかに葉が揺れる程度だ。冬場の那須の稜線は強風で有名なのだ。ぼくも過去に体験している。天気予報では午前中は曇り、午後は雨の可能性、降水確率40%。
 とりあえずは空は明るい。登山道はロープウエイ山麓駅を経由して峠の茶屋までは高原道路を縫って上がっている。紅葉の季節なので平日なのに次々に車が上がっていく。「今年の紅葉は特に見事です」と女将さんが言っていた。
 夕べの寝不足で、友人についてゆくのがきつい。茶屋のすぐ上の登山指導所からいよいよ、大きな谷沿いに登る強風帯に入る。この谷が風の通り道なのだ。対岸に朝日岳の山腹が美しい。高いところは霧がかかって見えないが、山腹の上部は荒々しい露岩帯で、その下が鮮やかな赤と緑の低木の帯。その下が黄葉の高木の帯で、深い谷はまだほとんど緑だ。風は強い。が、進むのに難渋、というほどではない。寒いので薄いウインドブレーカーを着る。登山道は火山帯で荒涼としているが、所々にナナカマドの紅が鮮やかだ。
 思わず、「生きていてよかったなあ」と口にしてしまったら、友人が「なんだ、死にたいとでも思っていたのか?」と訊く。そういうわけではないが、今ここを登っている誰もが、とりあえずはコロナ禍を生き延びているのではある。「また山に来られてよかったなあ」というべきだっただろうが、ぼくはしばしば生と死のことを思うのでもある。
 霧の中に峰の茶屋跡の避難小屋がちらりと見えて消えた。まだ遠いな、と思ったが、すぐに着いた。風が強いので小屋陰で休み、雨具に着替える。防水透湿性の高い高性能のものだ。ここでカロリーメイト、羊羹などを食べる。今日は弁当は持ってきていない。
 気合を入れなおして風の中に出る。目の前にそびえる剣が峰は東側を捲くのでいっとき穏やかだが、その先は山腹の西側を登るので強風が吹きあげて寒い。霧で何も見えない。この辺りは岩場で、右側は酸化した赤い岩壁。その岩が風化してできたのだろうか、登山道は赤っぽい土が岩の上について霧に濡れて滑りやすい。左側は切れ落ちている箇所があり、丈夫な鎖がつけられている。若いころは鎖場を鎖を使わずに通過するのが楽しみだったのだが、もう足元のしっかりしない老人ゆえ、しっかりつかまって進む。
 45分ほどで分岐に出た。三本槍が岳まで行く予定だったのだが、天気が悪いのでここに荷物を置いて朝日岳をピストンし、引き返すことにした。山頂までは7,8分だ。展望雄大のはずなのだが、何ひとつ見えなかった。そそくさと引き返す。
 峰の茶屋まで戻り、茶臼岳を目指す。霧が上がり、ついさっき往復した朝日岳が荒々しい全容を現わす。あれを登ったのが嘘みたいに鋭く高い。茶臼岳にはたくさんの人がいた。中学生らしい団体が登ってくる。ぼくも初めて登ったのは中学2年の林間学校だった。まだ理科少年だった。今からおよそ60年前。あの時は快晴。湯元から7時間以上かけて歩いて往復して、宿舎についたらチョコレート色のおしっこが出てびっくりしたっけ。
 下りはロープウエイを使った。再びガスってきて、残念ながら山腹の紅葉は少しも見えなかった。
 黒磯駅で友人と別れ、経費節約のために鈍行で帰った。車内でヘッセの「青春はうるわし」と、テニスンの「イノック・アーデン」を読んだ。時間のある時は鈍行も良い。
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