すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

朝日鉱泉(続き)

2020-10-27 20:49:18 | 山歩き
 25日、早朝から出かけようと朝食用のおにぎりを昨夜作ってもらっていたのに、夜中に雨。4時半に起きたら外は真っ暗で、葉を打つ雨音が頻り。神様はあくまでも親切だ。でも、昨日散々濡れたから今日はまた濡れたくはないなー、と思いつつ布団の中でぐずぐず。5時過ぎに雨音が小さくなったので、支度をして5:50に鉱泉を出る。幸い上がったようだ。
 吊り橋を渡り、登山道に入る。本当は鳥原山まで行って小朝日と大朝日を間近で見たかったのだが、出発が遅くなったし、姉崎さんと1:00までには戻る約束をしているので、よほど頑張らねば届かない。朝日連峰は山としては若く、浸食が進んでいないので、登り始めから急登だ。
 この道は若いころに何度も登った。あの頃よりも今日の方が体が軽いし、楽だし、周囲も明るく感じる。今日はナップザックひとつだから楽なのは当たり前か。木々の葉がうっそうと茂る真夏の頃よりも軽やかな黄葉の森が明るいのも当たり前か。重装備を担いで大汗をかいて登ったのが懐かしい。夢のように遠い昔だ。年老いた今の方が軽く明るく楽に感じるのは、心持ちの違いもあるかもしれない。あの頃は鬱屈という大荷物も背負っていたのだ。
 青空が見えてきた! 日差しが山腹の黄葉を鮮やかに浮かび上がらせる。
 …と思ったら30分もしたらすっかり曇ってまた降ってきた。でも、気分はハイだ。足も思ったよりも順調に進む。歩き始めて1時間ほどで急登が終わり、尾根上のなだらかな道になった。風が強い。寒風だ。右手に、きのう登った頭殿山がみえる。ゆったりと尾根を広げた立派な山だ。昨日より少し赤みが増したように思える。
 しかし、寒い。時々突風が来る。金山沢に下る手前で、断念して下山することにする。しんじさん(漢字がわからない。信雄さんの次男だから、信次さんか?)の作ってくれたおにぎりを食べる。赤じそふりかけを混ぜたご飯に、昆布と梅干のおにぎりだ。大きくてしっかりと握ってあって、しかもしっとりとして、実に美味い。ウインナとカマボコと、ナスとタクアンがついている。昨夜テルモスに入れたお湯を呑む。まだインスタントコーヒーが飲めるくらいに温かい(粉は持ってないが)。このテルモスは優れものだ。充実したおにぎりに、温かい飲み物はうれしい、
 寒風に負けない活力を取り戻して下った。登山口に出る頃にはまた雨が上がって日が差してきた。神様は本当に親切だ、おかげで雨の森を堪能したし、最後にもういちど大朝日岳も遠望できた。山頂は二日前と違って白くなっていた。
 鉱泉に戻ると、先に帰った田林さんが「昨日の数式は間違いがあったから」と、改めて清書して説明をつけたものを残してくれていた。東京に戻ったら宇宙の膨張についての本と、わかりやすそうな数学の教科書を捜そうか。
 姉崎さんの車で送ってもらい、お宅に寄ってゲストブックにサインをして、寒河江駅の近くで一緒におそばを食べてから、来年は泊めていただく約束をして別れた。
 帰りは新幹線。昨日も今日も4時間ほどしか歩いてないので、あまり疲れていない。加藤周一の「『羊の歌』余聞」を再読した。うーん、加藤周一は何年か前に集中的に読んだつもりだったが、ぼくはまだ社会や文化の見方についてこの人に学ぶべきことが限りなくある。やはり宇宙物理学や数学に寄り道している時間はないな。
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