すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

那須

2020-10-14 20:10:54 | 山歩き
 一昨日・昨日と那須に登りに行ってきた。今年初めての宿泊を伴う旅行だ。山小屋の大部屋は、間隔を取って泊めているようだが、まだやや心配なので、今回は個室の確保できる旅館泊で計画した。日・月の予定だったが、台風で一日延期した。
 京都からくる友人(高校の同級生)と東京駅で待ち合わせ。那須塩原でバスに乗るときにはごく細かい雨が降り始めていた。麓はやっと紅葉が始まったところ。山は雲の中。今日は足慣らしにロープウエイ利用で茶臼岳山頂往復の予定だったのだが、山頂は荒天のようだし登っても何も見えなそうなので中止。
 ぼくは環境が変わると寝られないたちなので、体を動かして疲れておきたいと思い、直接旅館に向かう友人と別れて那須湯元でバスを降り、歩くことにした。那須高原道路をたどっても登れるが、それを縫うように山道がついている。殺生石の右手から登る。旅館は那須で一番高いところにある。那須は5回ほど来ている。上から下りてくるときはどんどん下ればよいだけなのだが、遊歩道が枝分かれしたり何度も高原道路を横切ったりするので、登りの方がかえって分かりにくい(普通は逆)。
 大きな吊り橋を渡ったあたりから雨が強くなった。登山用の性能の良い上下の雨具も持っているが、稜線歩きではないし、1時間半もすれば旅館だし、傘を差しただけで歩き続ける。一昨年もちょうど今頃、北八ヶ岳のもう少しきつい道を雨に濡れて歩いた。あの時は傘をさしていては危ないので、両手を空けるために途中で雨具を着た。
 今日は、観光地でこんな雨の中を歩いている人は誰もいない。ぼくは雨の中の一人歩きが本当に好きなのだな、と、ちょっと可笑しくなる。歌でも歌いたいくらい、気分は上々だ。
 でも考えてみれば、「天気予報が雨だから中止・延期しよう」というのとは矛盾している。雨の山登りが好きなわけではなくて、雨の森の生命感が好きなのだ。さらに、雨に濡れることによってぼくたちは病気になったり、死ぬことだってある。雨は生命に水という恵みを与えてくれるが、生命を浸潤する脅威でもある。
 「雨の中歩くのが好き」というのは、今のところ、安全な範囲でのアマイ認識に過ぎない。「好きだ」と主張するためには、もっと体力をつけて(つけなおして)もっと厳しい条件のところまでいけるようにしなければならないだろう。これは恋愛と一緒かもしれない。
 …などと考えながら、1時間45分ほどで旅館に着いた。下着までびしょ濡れだ。先に着いてロビーで待っていてくれた(温泉が大好きな)友人に、悪いが先に入らせてもらって着替えることにした。
 露天風呂はやや小さいが、落ち着いた良いお湯だ。雨は小降りになったが、雨の降る中の露天風呂も面白い。ぼくの他に誰もいないし、今日はそもそも泊り客はほとんどいなそうなので(ぼくは他に客がいるとひどく居心地が悪い)、久しぶりにゆっくり楽しんだ。
 山小屋と料金はさして変わらないのに、食事もおいしかった。たまにはこういうのも良い。でも歩き足りなかったのでやはりよく眠れなかった。(続く)
コメント
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