すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ドムラ(続2)

2017-08-03 10:54:43 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 フラマンは、少なくとも、いま習っているアメリカの古いダンス音楽のようなものを弾く限りは(初心者用の簡単なアレンジになっているとは思うが)、または、お年寄りたちと一緒に歌うのに懐メロ歌謡曲などのメロディーを弾く限りは、左手は4本の弦を行ったり来たりすれば済む。
 ドムラは、それよりはずっと難しい曲を練習していたのは確かだが、左手を上下に飛ばさなければカヴァーできない。また、高音の美しさが持ち味のひとつでもあるので、特に第一弦(一番細い弦)は、一番低い固定位置ならレからラまでだが、実際にはさらに1オクターヴ上のラくらいまではよく使う。左手は頻繁に飛ばさなければならない。小指である音を押さえて、次にそれより高い音を人差し指で押さえる。ピアノを弾く人は「なんだ、そんなのあたりまえの初歩の初歩」と思うだろうが、なんせ、前に書いたように、ドムラは押さえる位置が1ミリずれたら音が出ない。
 したがって、左手の手元を見ながら弾くことになる。これは上達すれば見ないでも弾けるようにはなるだろうが、そこまで行くのがなかなか遠い。先生も、「目は今指を置いている位置ではなく、次に置く位置をあらかじめ見ていなければなりません」と指導するのだ。
 そうすると、楽譜は見られなくなるし、指揮者も見られなくなるから、目は左手と楽譜と指揮者のあいだを激しく入ったり来たりする。
 そして、自分の弾こうとする曲はまず暗譜しなければならない。だから、弾ける曲はなかなか増えない。
 ぼくは、一時、アマチュアのオーケストラに入れてもらっていたことがあるが(ついていけなくて辞めたのだが)、残念ながら、その期間を通して、ついに左手を見ないで弾けるようにはならなかった。
 手元を見ないで弾くのは初歩の初歩、という観点から言えば、ぼくは初歩の段階から抜けることができなかったわけだが、じつはこれは、ものすごく上手な人でもなかなか難しいことなのだと思う。
 ドムラ奏者の中で最高の名手、“ドムラ王”ツィガンコフ氏の演奏を何度か見たことがある。彼は極端な猫背で、楽器の棹の部分を目の前に持ってきて目を細めて弾いている。あれは、左手と指揮者を同時に見ることができるように構えた癖なのだと、ぼくは思う。
 ドムラを弾いていたころのぼくは、楽譜を見なければ弾けなかった。フラマンに変えた今は、いま練習しているアメリカ音楽も、懐メロ歌謡曲も、見ないで弾ける。このため、弾ける曲が一気に増えた。
 お年寄りの会で、「じゃあ次回は石原裕次郎の特集をやりましょう」とか「ド演歌大会にしましょう」とかいうことができる。
 たいへん楽しい。
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