すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「夜と霧」

2019-01-18 11:09:34 | 音楽の楽しみー歌
 昨日のついでに、ナチスドイツによるユダヤ人迫害を歌った、ジャン・フェラの歌。

彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
装甲された列車の中で、裸で震えていた。
爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
彼らは二十人、百人、いや、何千人だった。
  自分では人間のつもりでいたが、もう数でしかなかった。
  とっくの昔に彼らの運命のサイは投げられていた。
  上げた腕が再び下ろされると後にはもう影しか残っていない。
  彼らは二度と、夏にめぐり合うことはなかった。

逃避行は長く、単調だった。
あと一日、せめて一時間、生き延びること。
車輪はどれだけ回転し、止まり、また回ったか。
絶え間なく、わずかな希望を蒸発させながら。
  彼らはジャン・ピエール、ナターシャ、あるいはサミュエルという名だった。
  ある者はイエスに、あるいはイェホバやヴィシュヌに祈った。
  祈らない者もいた。でも何を信仰しようと彼らの願いはひとつ
  もうひざまずいたまま生きたくはないということだった。

旅の終わりに着かない者もいた。
生き残って戻ってきた者も幸せになれたろうか?
彼らは忘れようと努めた。そして驚くのだった、その年齢で
腕の血管がすっかり青く膨れ上がってしまったことに。
  胸壁の上でドイツ兵たちが見張っていた。
  月は口をつぐんだ、君たちが遠くを見ながら
  外を見ながら口をつぐんだように。 
  君たちの肉はやつらの警察犬には柔らかだった。

今、人々はぼくに言う、「もうそんなことに耳を貸すものはいない。  
恋の歌だけ歌っていたほうが良い」と
「血は歴史に組み込まれるとすぐに乾いてしまうのだ」と。
「(そんな歌を歌うために)ギターを手にしても何にもならない」と。
  でも、誰がぼくを思いとどまらせることができよう。
  いま、夏が再びめぐって来て、影は消えて人になったが、
  ぼくは必要ならばいくらでも言葉を紡ごう
  君たちが誰だったかを、いつか子供たちに知らせるために。

  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。
  装甲された列車の中で、裸で震えていた。
  爪を打ちつけて夜を引き裂いていた。
  君たちは二十人、百人、いや、何千人だった。

 日本でも、これくらいの歌が書かれて、それが大ヒットするくらいの文化的な下地があればよいのにね。それこそ、「恋の歌だけ」じゃなく。
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