すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

目をつむると・・・(2)

2018-09-27 08:39:23 | 自分を考える
 砂浜を見るようになったのは、多分もう10年以上前だろう。
 初めは、そのころ凝っていた自己催眠暗示法の一環のイメージ・トレーニングだった。
 なるべく明るいポジティヴなイメージを思い浮かべるようにする。暗いネガティヴなイメージが浮かんだら、それを明るいイメージに置き換えていく。それによって心を明るくし、感じ方や考え方を前向きなものにする、というものだ。
 自己催眠暗示法それ自体は、緊張を緩めたり、疲労感を軽くしたり、挫けかかったやる気を取り戻したり、気分転換を図るのにかなりの効果がある。さらには、花粉症の症状を軽くしたりさえもできる(最近は、薬の方が手っ取り早いから耳鼻科に行っているが)。
 しかし、イメージ・トレーニングの方は、ぼくの場合、明るいイメージに置き換えていくのはうまくいかなかった。
 例えば、暗い砂浜が浮かんだら、その代わりに、花のいっぱいに咲く草原を思い浮かべようとする。すると、最初は思い浮かぶ。遠くには雪をかぶった山々が見える。草原と山並みの上の空は明るく晴れている…
 ところが、情景の下半分が見えてきてしまうのだ。
 花咲く草原の下に土の層が見える。層の上部は草花の根っこなどが密生しているが、その下はモグラやミミズの棲む腐葉土になり、さらにその下に、大きな暗い空洞が見える。空洞は地面の下にだんだん広がってゆき、光を呑み込むようにどんどん真っ暗になって、間もなく情景全体を覆い尽くす。ぼくの目の前にあるのは暗闇だけだ。
 そこでぼくは、あわてて目を開けて、体を揺すったり立ち上がったりして、その暗闇を振るい落とす。
 実際に山登りなどに行って目の前の草原の下に暗い空洞などが見えたらたまったものではないが、幸いそういうことはない。部屋などで、イメージを思い浮かべようとするときだけだ。
 あれはひょっとしたら、山梨の田舎での幼年時代の、まだ土葬だったころのお墓の無意識的記憶かもしれない。
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