すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

空洞

2019-09-28 00:00:06 | 自分を考える
 今のぼくは、物を考えてはいない。本を読んで、いっぱい線を引く。でもそれは、誰か別の人が考えたことにぼくが同意・疑問するだけのことだ。ぼく自身の考えではない。ぼくは時々人に会って話をする。頭の回転が鈍いから、少し経って、話が別の話題に移ってしまってから、あるいは話が終わって別れてきてしまってから、「ああ、ああいえばよかったんだ」とか思うことはしょっちゅうだ。追いかけていって、「ごめん、さっき言いたかったのはこういうことなんだよ」と縋りつきたくなる。でも、実際にはそうしない。
 ぼくは自分の今の生活、来し方、ぼくの社会についての考え方…みたいなものを、形にならない断片、もしくは、モヤモヤとして、意識に思い浮かべることはある。でもそれは、形にならないままに捨てられてしまう。
 そして、そのようにして結局は物を考えていないぼくは、抜け殻である。ぼくのように、論理的に速やかにものを考えるのでない、ただたらたらとあっちに行ったりこっちに行ったりしながらまとまらないことを考えたり投げ出したりするだけの人間においても、やはりそれは、いっそう人間の抜け殻である。
 ぼくは毎日少し読書をし、すこし音楽の練習をし、少し山に登り、すこし人に会う。そして毎日、空洞の周りをまわっているような気持ちでいる。その空洞が何なのか、何の意味があるのか、何かで満たすことができるのかぼくは知らない。それを知るためには、考えなければならない。
 ぼくの生きている意味や、ぼくの来し方行く末や、ぼくの運命や、ぼくの罪について考えるばかりではなく、この社会の在り方に、未来に生きる人たちの運命に、苦しんでいる人や困っている人の力になれるように、物を考えて、行動していきたい。でもどうしたら良いかは解らない。読書会がしたいな、とも思う。でも、誰を誘って、どう進めればよいのだろうか?
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