すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

バランス・岩・トレーニング

2019-09-26 20:28:29 | 山歩き
 ぼくは走るのも球技も、跳び箱や鉄棒なども、運動はたいていは苦手で、体育の時間とか運動会とかは嫌いだった。でもひとつだけ得意があった。バランス感覚だ。小学生の頃、「大きくなったら何になりたい?」と訊かれて、あの当時だからたいていの男の子は「野球選手」とか「電車の運転手さん」とか「おまわりさん」とか答えたのだろうが、ぼくは「サーカスの玉乗り」だった(変な子供だよね)。甲府の舞鶴城址公園で見た木下大サーカスの玉乗りに、というか、玉乗りのお姉さんに、すっかり憧れてしまったのだ。
 若い頃は、サッカーボールの上に乗って、両手を離して立ち、そのまま立ったりしゃがんだりできた。大学の文学部の4階建ての校舎の屋上の周囲を囲む壁、幅15㎝くらいだったか、の上を一回りできたら1000円、という賭けを友人として勝ったこともある。命がけと言えばそうだが、「バランスを崩しそうになったら内側に落ちればいいや」と思っていた。今でもたぶん、できるのではないかなと思っている。試みないが。
 …こんなことを書いたのは、ぼくは本来、岩場のようなところを歩くのには向いているのではないかと思ったからだ。
 北アルプスの「不帰の嶮」も「八峰キレット」も、行きたいけれどまだ果たしていない。果たして果たすかどうかわからない。槍穂の縦走だけは若い頃にやった。あれは、「鎖には掴まらずに登ろう」と思って、一か所だけをやむなく例外として、後は鎖なしで凌いだ。
 ロッククライミングはやらないが、一般ルートの岩場でも十分面白い。西湖の北の節刀ヶ岳から十二ヶ岳に行く途中で、「これは失敗したら落っこちて死ぬな」と思う箇所がひとつあったが、本当に緊張したのはそこだけだ。(もちろん、一般ルート専門の素人の話だ。)
 先日大日三山に行ったが、去年の当初の計画は、剱岳の早月尾根を登って、別山尾根を下ろう、というものだった。先日あらためて思った。バランス感覚はともかく、今はもう、それに必要な体力がない。
 体を鍛えなおすことはまだできなくはないだろうが、そのためにはそれを第一優先に、他のことはすべて後回し、にしなければならないだろう。読書も、音楽も、ブログを書くことも。そのかわりに足首に重りをつけて、リュックに重りを入れて、日々励まなければならない。そこまではやる気になれない。三浦雄一郎が、そういうトレーニング法の本を出しているが、いやなこった。
 ぼくは、山登りから完全に離れていた時期が長いので、しかも同じ山に繰り返し登るのが好きだったので、行ってないところで行きたいところがいっぱいある。あと何年行けるだろうか。まあ焦っても仕方がない。
 それにしても、トレーニングがなあ。昨日、体育館でへとへとになって、帰ってきて昼寝を3時間してしまった。
 歳をとるということは、断念する、ということでもある。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 同行二人 | トップ | 空洞 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山歩き」カテゴリの最新記事