すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

生籐山

2019-12-21 10:26:11 | 山歩き
 藤野駅に下りたらあたりはすっかりガスっていて、寒々しく薄暗かった。このまま引き返そうかと一瞬思った。「この時期は気持ちの良い山登りをするのに快晴が絶対条件なのにねえ」「東京は晴れていたのにねえ」と、バスに乗り合わせた登山客と話した。だが、和田に着いたらあたりはまだガスの中だが、そのガスを通して山の上の方は朝日に輝いているらしいのが見える。ほっと安心した。
 今日(20日)は、8日に歩いたコースの続きだ。和田から、まず、前回下山した「山の神」をめざす。廃屋になりかかった「一軒家」までは、林道とはいいがたいが、山道というには広い、幅1.5mほどの緩やかな登り。そこから先が山道だ。今日このコースを登っているのはぼく一人らしい。蜘蛛の糸があるし、歩くのが遅いぼくを追い抜いていく人もいないから。
 山の神からは、なだらかな、展望の良い、まことに快適な尾根道。左手、つまり真南に、丹沢山塊が見える。大山から丹沢三峯、蛭ヶ岳、檜洞丸、大室山、畦が丸…全部見える。陽も出て、快晴だ。絶好の登山日和になった。中央線方面を見下ろすと雲で埋まっている。下は相変わらずガスの中なのだろう。
 やがて、丹沢の右側に真っ白な富士山が現れた。そのさらに右に連なるのは、滝子山から大菩薩の峰々だろう。落ち葉を踏みながら暖かい雑木林を一人辿るのは、静けさを好む心に、最高の御馳走のひとつだ。
 連行峰をなんなく超え、次の茅丸1019mは短いが急な階段上り。今日初めて、息の上がるところだ。ところが次の生籐山は、これも短いが、今までとは様子の一変した岩尾根の急登。息切れしながら登った山頂はベンチこそあるものの、狭く、防火用水の赤錆びたドラム缶が並んでいるだけの、殺風景な場所。何でここがこのあたりを代表する山名なのか理解に苦しむ。標高だって、茅丸の方が高いのに。
 すぐ先の三国山のテーブルで、富士山を眺めながらお昼を食べた。若いころ奥多摩の三頭山から生籐山までは歩いているから、これでやっと高尾山から奥多摩湖までがつながったことになる。ぼくのような陣馬山から生籐山までが登り残しになる人は多いのらしい。そういえば、バスの中の二人も、下山中の二人もそう言っていた。
 皆さん、人生の中で登り残しはありませんか?
 浅間峠まで「笹尾根」の道を続ける。ここも気持ちの良い道だが、午前よりもアップダウンはやや多い。それに日陰がちになるので、陽だまり山行を楽しみたい人は生籐山から南に下った方が良いかもしれない。
 午後もほとんど人に会わずに、上川乗のバス停に下山した。今日は体調がよかったし、日の長い時期なら笛吹(うずしき)峠あたりまで行けたかもしれない。バスが1時間待ちだったし、まだ力が余っていたので、柏木野まで歩いた。
 来年は、先を続けて再び奥多摩湖まで歩くことにしよう。若い頃は一日で歩けたコースだが、今はゆっくり、陣馬から何回に分けて歩くことになるだろうか。

参考所要時間:和田バス停スタート 8:30、一軒家 9:14、山の神 10:02、連行峰 10:46、茅丸 11:07、生籐山 11:24、三国山 11:32 昼食、再スタート 12:00、浅間峠 13:14、上川乗 14:03、柏木野 15:02

(追記)一軒家にも、山道の脇に墓地がある。前に書いた「入山至誠居士」(12/10)の墓地よりもさらに遠く、バス停から40分かかる。この家はどうしてここに建てたのだろう。大きいとは言えないが、土蔵まである家だ。話題のTV番組「ぽつんと一軒家」みたいだ。日当たりの良い、しかし急勾配の谷の上にあって、家の下には茶畑がある。茶の木はちゃんとかまぼこ型に刈り揃えてあるが、端の方ではその上に落ち葉が積もっているのを見ると、手入れに人が上がってくることは少ないのだろう。
 一番手前の新しい墓石は。明治42年生まれの「積堂自善居士」という戒名の人で、平成9年に建てられている。建てた人は、家の荒れ方から考えて、都会に出ていってしまったのだろう。墓地のすぐそば、山道を挟んで屋根の大きさが方1mほどの小さなお堂もある。覗いてみると、「御神酒」というラベルの小さな酒瓶が二つある。ひとつはまだ開封されていないものらしい。出ていってしまった人が、盆などに来てお供えするのだろう。人というものの営みを思う。
コメント
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