すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「入山至誠」

2019-12-10 10:29:33 | 山歩き
 家族連れハイキングに手頃な陣馬山(遠足で登ったことのある人もいるだろう)の登山コースの中でも一番楽なのは、藤野駅からバスに乗って和田から歩くコースだろう。最初と最後にやや急登があるだけで、あとはほとんど、なだらかな登りだ。和田からは二本のコースがあるが、手前の大きな石の標識から右折すると、農家の庭みたいなところを通って、コンクリート舗装の急な坂道が始まる。ほんの10分程度なのだが、歩き始めで体が慣れていないせいもあって、これがなかなかキツイ。
 展望は良い。緩やかな谷を挟んで向こう側に生籐山から派生する尾根が伸び、茶畑と竹林が見える。このあたりは茶とタケノコの山地なのだ。例年より遅い紅葉もまだ目を楽しませてくれる。体が温まっていないので寒く、手が冷たいが、空は青く、陽光は麗らかで心地良い。
 道の途中にお墓がいくつかある。いつだったか、雪の日にここを通って、「うわ、ここのお墓はお参りも管理も大変だろうな」と思った。開けた急斜面に立っているいくつかの墓地の最後のひとつ、そこから先は舗装が終わって登山道が杉林に入る(つまりこの舗装は、このお墓のためにあるのだろう)ところで、景色を見ながら息を整える。
 四、五歩入ってお墓の前に立ってみる。一番手前の黒御影石にいくつかの戒名と年月が刻まれている。一番新しいのは、平成28年、とある。まだつい最近だ。これは忘れられた墓ではなく、まだこれからも一族の誰かがここに埋葬され、誰かが花を手向けに登ってくるものなのだ。
 いくつかの墓石の並ぶ中で中央のいちばん立派なのには、戒名が「入山至誠居士」と彫ってある(並んで「~大姉」とあったが、忘れた)。
 「戒名なんて坊さんが故人の人となりもわからずに好い加減につけるものなんだな」とおもっていた。
 この戒名もたぶん、ヒラメキでつけられたものだろう。だが、この人はこの家系の中の中心的人物で、地元の寺の坊さんは、故人の人となりをある程度は知っていたに違いない。
 たぶんこの人はこの山里で生まれ、このあたりの山に植林をし、あるいは炭焼きをし、山菜を取り、斜面を開墾して茶や竹を育て、一家の支えになってここで一生を終えた人なのだ。黙々と山仕事に精出すその人が目に浮かぶような気がする。 
 そして彼は、一生を過ごした集落を見下ろす、この見晴らしの良い急斜面の墓に葬られた。
 …「ここに眠っている」とは言わない。人は亡くなったあと眠りにつくとは、ぼくは思っていないからだ。いま生きている一族の人達にとっての彼の思い出が、彼の人となりが、ここに眠っていて、その人たちがここを訪れるときによみがえるのだ。
 彼はひょっとしたら頑固で家父長的で気難しい人だったかもしれない。誰にでも慕われるやさしい好々爺だったかもしれない。そこまで想像する必要はないし、何の根拠もない。だが彼は誠を尽くして山仕事に従事した人だったのだろう。彼を知っていた坊さんが、彼の人となりからかけ離れた戒名をつけるとは思えないからだ。 
 「入山至誠居士」…そのような人生をたいへん好もしいものに思うが、そのような生き方をしなかったぼくは、気を取り直して山道を続けなければならない。

参考所要時間:和田バス停スタート 9:40、尾根道に合流 10:25、陣馬山頂 11:07、 昼食、再スタート 11:40、和田峠 11:55、醍醐峠 12:30、醍醐丸 12:55、山の神 13:37、和田バス停
14:40、藤野駅到着 15:55

追記:陣馬山はかなりの人出だったが、和田峠から先は静かな山道だった。陽当たりの良い中を落ち葉を踏みながら一人で(あるいは友と)静かに歩くのは本当に気持ちの良いものだ。生籐山まで行きたかったが、一年でいちばん日の短い時期なので、無理はせずに下山した。藤野までの歩道がいちばんこたえた。
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