すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ピッケルが戻ってきた

2019-12-04 22:41:25 | 山歩き
 およそ20年前にフランスに行くときに友人に預かってもらったピッケルが戻ってきた。以前から「返すよ」と言われていたのだが、「いやいや、返してもらうとまた雪山に行きたくなるかもしれないから、返してもらわなくていい」と返事していたのだ。
 もう体力が落ちているから雪山は危険性が高いかもしれないし、もともと冷え性だったのが歳をとってますます手足の末端に血が回らなくなってきているので、雪の中を歩くのはますます辛いかもしれない。
 でもまあ、預けっぱなしというのも無責任なので、引き取ることにして、先日会って酒を飲む序でに持ってきてもらった。
 久しぶりに手にして、その重さにびっくりした。若い頃は、こんなものを苦も無く使っていたのだ! 石突きの部分と、ヘッドをシャフトに埋め込んである部分の金属の表面に少し錆が浮いているが、ブレードもピックもピカピカで、とくにブレードは鋭利な刃物のように鋭い。うっかり触ると怪我をしそうなくらい、十分凶器になるくらいに鋭い。登山の格好もせずに交通機関をこれだけを持ち歩いていて、よく職務質問されないものだ。
 シャフトはストレートで、非常にがっしりした木でつくられている。SapporoKADOTAの刻印と、No.485という通し番号が入っている。ビンテージもの、と言ってもいいくらいの、非常に良いものだ。当時、安月給の一ヶ月分ぐらいはしたのだ。
 ただしぼくは若い頃も、このピッケルを使って穂高とか槍とかの本格的な雪山には登っていない。登ったのは覚えている限り、八ヶ岳の天狗岳とか、飯豊連峰とか、日光白根山とか、甲子温泉からの那須連峰とか島々からの徳本峠越えとかだ。その頃も冷え性の酷かったぼくは、登山靴の中に唐辛子を入れて、懐にベンジンの行火を入れて登ったのだ。
 飯豊連峰ではこのピッケルで命拾いをした。
 あれは1977年の6月初めだった。記録も付けていないのになぜ覚えているかというと、30歳になる直前だったからだ。今はその倍をはるかに超えて生きてしまったが、あの頃のぼくには、30は越えられるか越えられないかわからない大きな坂だったのだ。それで、思い切って大きな坂に登りに行ったのだ。山を始めたのが25 で、ピッケルは買ったばかりだった。というより、そのために買ったのだ。
 6月初めと言えば、本来は残雪の山だ。でもその冬は何十年ぶりとか言う豪雪だったのだそうで、4日間、完全に雪の中だった。川入から入山して縦走して梶川尾根を下山する予定だったのだが、尾根の途中で踏み跡が消えて道が分からなくなり、やむなく稜線に引き返して門内小屋という避難小屋に入ったら、先客がいた。ぼくと同じに道がわからなくて引き返してきたのだ。
 彼と相談して、「石転び沢大雪渓を一緒に下るしかないでしょう」、ということになった。標高差1000mの、その名のとおり落石の多い雪渓だが、道に迷う心配はない。翌朝、二人で、と言ってもザイルなどがあるわけではないからひとりひとりなわけだが、下り始めた。最初のうちは、ものすごい急降下だ。「滑落したらひとたまりもないな」、と緊張した。慎重に、ピッケルを胸の前に構えて、かかとを一歩一歩けり込みながら下る。一番急なところは通過したかな、と思うあたりで、右足を左足に(だったか逆だったか)引っかけた。アッ、と思った瞬間に、転んでいた。ぐるっと天地が一回転して、次の瞬間に気が付いたら、ピックを雪に突き刺して斜面にへばりついていた。教科書に書いてある通りの見事な(?)制動だった。
 その場で二人へたり込んで、大笑いした。緊張が一気に解けて安心した。あとは順調に下って、沢の出会いで別れた。手紙のやり取りを少ししたが、それから会うことはなかった。
 あの時、ぼくはアイゼンを持っていなくて、つぼ足で降った気がする。降り始める前に確か彼が、「大丈夫ですか?」と心配してくれたと思う。でも、残雪とはいえ雪山に行くのにピッケルは持ってアイゼンは持たないで行くわけはないから、ぼくの記憶違いなのだろう。それくらい昔のことなのだ。
 …さて、現在に戻る。本体はしっかりしているがヘッドカバーと石附きのカバーの革がボロボロになっているので、好日山荘に買いに行った。今はピッケルも進化してずっと小振りで軽く、振りやすくなっていて、店員さんがすごく親切にいろいろ試してみてくれたが、ヘッドカバーは合うようなものはなかった。ひとつ買ってきて切って繋ぎ合わせてみることにした。門田という会社は今はないのだそうだ。「昔はピッケルの名品と言えばKADOTAだったけど、今の人は名前さえ知らないでしょう」とのことだった。
 そうだ、この冬は体力をつけなおして、天狗岳にでも行ってみよう。あそこなら、渋の湯から登って黒百合ヒュッテに泊まれば、今の老いぼれのぼくでもなんとか行けるかもしれない。
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