すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

映画「蜜蜂と遠雷」

2019-10-04 22:11:58 | 音楽の楽しみ
 封切りの初日に映画館に行くなんて、たぶん今までに一度もなかったことだ。
 それだけ期待度が高かったってことだが、残念ながらすごく違和感があった。。
 どこにどのように違和感を持ったかを具体的に書くことは、まだ封切り初日が終わったばかりだからやめておく。ぼくの書くものが客足に影響を及ぼすなんてことは心配していないが、制作した人たち、演じた人たちに対して失礼だから。
 映画の最後に、映画版の主人公の栄伝亜夜によるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の演奏場面が長くでてきたが、原作では彼女が弾き始める前に小説が終わっているから、これは映画だけ。ここの演奏は、映画だからもちろん断片ではあるが、素晴らしかった。
 2時間の映画では原作に出て来る膨大な音楽を十分には扱えっこないのは当然だから、映画製作者はこの場面を描き切ることで、原作とは違う映画としての作品のまとまりをつくろうとしたのだろう。そういう意味では成功していると言える。
 原作を読んで映画館に来た人が、はじめのうち「あれ、これ、違うよね」とか思いながら居心地悪い思いで見ていて、最後は安心して席を立つ、という意味では。
 今夜ちょうど、Eテレの「らららクラシック」で、この映画を取り上げていた。
 作品中に出て来る「春と修羅」を、河村尚子が弾いていた。現代曲って、ぼくは好きだなあ。古典にはない、硬質な、しかもものすごく純度の高い響き。生き物の温さのしない、それでいて弾く者の、あるいは聴く者の、感覚をきちんと表現することのできる音楽。
 ふだんは自然を愛しながら、いっぽうでそんなことを感じているぼくは矛盾しているかもしれないが、両方があるというのは事実だ。
コメント
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