すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

またしても川の氾濫

2019-10-26 20:14:51 | 社会・現代
 もう、苦しくてTVのニュース見ていられない。言葉を失くす、とか、あまりにもひどい、とか、何と言っても言葉が追い付かない。またまた被害に遭ってしまった人たちは、絶望的な気持ちでいるだろう。その気持ちを思うだけで、画面で見ているだけのぼくたちも胸をかきむしりたくなる。
 それにしてもこの国は、もう天災が常態の国になってしまったのだろうか、と思う。
 そういう国になって良いはずがない。たとえ、人々の苦しみに胸がふさがれる、ということがない人であっても、相次ぐ災害が人々を苦しめ、希望を失わせるだけではなく、国家も苦しみ、疲弊、衰亡するということは、理解せざるを得ないはずだ。国家百年の計の、転轍を切り替えるべき時だ。

 政府に三つの提言をしたい。
 その一. 被災者の支援は復興支援金、とかのレベルでなく、元の生活と同等の生活が無条件で回復できるレベルのものでなければならない。100万円とか200万円とか支給されても、元の生活が取り戻せるものではない。再建のために借金をせざるを得ないようでは、とくに年を取っていれば、希望も気力も持てなくなってしまう。絶望的な思いをした人には、それを上回るだけの希望を持ってもらうべきだ。
 財源は、引き上げたばかりの消費税の増税分を充てればよい。他に使う予定があっただろうが、それは後回しにしても、まず被災者の元の生活の回復だ。
 その二. 先日も少し書いたが、河川に隣接した低地、崖の下などの山崩れを起こしやすい場所、など、本来は継続的な生活を営むには向いていない危険な場所に、家や施設や工場などを立てるのを規制・禁止すること。
 今すぐ立ち退きなさい、とか、都会に引っ越しなさい、ということではなく、自然と親和的な生活を保障すること。時間はかかるかもしれないが、人口減少社会であるこの国では、たとえば30年とか50年あれば、可能なはずだ。
 その三. 国の持てる経済的・技術的全力をかけて、持続可能社会を目指すこと。まず、再生可能エネルギーの研究・実用化を進めること。今ある技術の他にも、地熱発電とか潮力発電とか、研究開発に力を注ぐべき分野はある。そういう技術で世界の先頭に立つのを目指すことは、経済界にとってもメリットがあるはずだ。
 つまり、資本主義からの脱却、を前提としなくても方向転換は可能なはずだ。

コメント
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