東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

ウンコに学べ!

2014年05月21日 | インポート

Photo  東京に来た砂漠の王様に、お土産に何がいいか聞いたら「水道の蛇口」を指して、これが欲しいと言ったという。砂漠の民だけでなく、飲料水を手に入れるのは大変で、紀元前3世紀にローマ人は雨水が地下にしみわたり自然に濾過されたきれいな無処理の水を都市に供給するために六〇〇キロメートルに及ぶアッピア水道を作ったという。
 ところが日本は、江戸時代にほとんどの城下町に水道がひかれた、世界で最も上水道が完備された国だったようだ。江戸には玉川上水、神田上水がひかれ、糞尿は肥として近郊農家が買い求めるなど上下水道とも完備した清潔な街で、ペリーをはじめ幕末に江戸を訪れた西洋人を驚ろかせた。現在も、「湯水のごとく」などという形容もあるくらい、私たちは水を相当贅沢に使っている。その東京の水は塩素消毒と高次の浄化処理によって作られているが、「トリハロメタンも出さず、また脱リン・脱窒などの高次処理も行ない、さらには浄水までしてくれるような、そんな高性能な上下水一貫処理場はできないものであろうか。それが、実在するのである。水田である。水田こそ、究極の浄化槽であり、夢の浄水場なのである。」と「ウンコに学べ!」(有田正光、石村多門・ちくま新書)が紹介している。
 この本、都市の環境問題を「ウンコ」から考察した名著である。もう一つ、本書からエピソードを紹介する。

ウンコの値段には五段階の価格差があり、大名屋敷が特上で牢屋のウンコが最低。長屋のウンコは下から二番目のDランクであった。大名屋敷の人は栄養のあるものを食べているからウンコも肥料としての効果も高かったのである。このようにウンコはひり出されても差別されたのである。ちなみに尾張藩市谷屋敷の上物の肥えを汲む権利は年三五両にも巨額に上ったそうである(文化五年、一八一〇年)。こうした汲取りの権利は売買され(安藤優一郎「東京市区改正以前の屎尿処理対策」石弘之他編『環境と歴史』新世社)。肥取引には仲買人も介在した。集荷された肥えは、肥船に乗って千葉や埼玉に送られ、各地の河岸には売り捌き人もいたという。

ヘレボルス


最新の画像もっと見る

コメントを投稿