東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

ゆ党

2013年11月29日 | インポート

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 東京教組の教育研究集会で講演してくださった伊藤真さんが所長を務める
 法学館憲法研究所のホームページはなかなか充実している。(http://www.jicl.jp/
その顧問の浦部法穂さんが、今の政治について次のように述べている。

いまの日本の政治は、「与党」・「野党」というくくりで何かを語れるような「まともな」政治ではない。「野党」とは、国語辞書では非政権党のことだとされているが、英語でいえばopposition partyである。つまり、単に政権に加わっていないというだけでなく、oppositionすなわち政権党の政策への明確な対抗軸をもっているのが、本物の「野党」なのである。しかし、いまの日本の「野党」は、政権に加わっていないというだけで決してoppositionとはいえないものが、うじゃうじゃしている。「与党」である自民党に対抗するのでなく、それを補完する「野党」が、いくつもうごめいているのである。たとえば、安倍自民党は「改憲」に意欲をみせるが、「世論」の反応などを見つつ、「与党」=政権党としては慎重に進めざるをえないという部分もある。これに対し、「改憲」をもっと積極的に進めるべきだと主張する「野党」は、「与党」自民党の煮え切らない姿勢を攻撃するかぎりでは、表面上「与党」に対抗しているようにみえるが、それは「改憲」をめざす「与党」自民党の政策に反対するものではなく、むしろそれを補完するものである。
だから、そのような「野党」は、非政権党ではあってもoppositionではなく、したがって本物の「野党」ではないのである。いまの日本では、そういう「擬似野党」が非政権党の相当数を占めている。

 特定秘密保護法案で自民党と合意した「みんなの党」「維新の会」など疑似ではなく偽装野党だろう。「脱官僚」をかかげるみんなの党が官僚に操られる特定秘密保護法に賛成ではやっていけないと離党する議員も後を絶たない。
 26日の脱原発集会で佐高信さんは、今の「や党」を「よ党」との間の「ゆ党」と揶揄して会場を笑いに包んだ。民主党の一部の国会議員には、「ゆ党」連携で自公政権の集団的自衛権行使を後押ししようする者までいる。
 私たちはどうすればいいのか?浦部さんは、「自分基準」を提唱している。

「国防軍」をもつことが自分にとってどういう意味をもつのか。その「国防軍」には誰が入るのか。自分や自分の子どもが徴兵されて場合によっては戦地に送られることになってもいいのか。というように考えれば、そう簡単にこのような「改憲」には賛成できないはずである。「自分基準」はなんとなく身勝手な議論のようで後ろめたく感じるかもしれない。しかし、すべてそれだけでいいとは言わないが、まずは自分にとってどうなのか、そこから考えることで問題の核心が見えてくると思うのである。

 自分基準を失わなければ、戦争を誰かのせいにしたり、「一億総懺悔」を繰り返すことはない。それが個人の尊厳だろう。
ケイトウ


生活保護基準の引き下げは

2013年11月28日 | 国際・政治

 生活保護基準の引き下げが今年の8月から始まり、3年間で、最大10%カットされることになった。この議論の始まりが、「不正受給」問題だった。さらに、一部の政治家が年金生活者や最低賃金勤労者との「逆転現象」を、「不公平だ」と言い立てたのだった。
「逆転現象」が不公平なら、最低賃金をアップさせるということも考えられるのに、実施されたのは、「生活保護基準の引き下げ」だったのである。

 昨日この問題について、弁護士さんの講演を伺う機会があった。それによると、生活保護基準の引き下げは、さまざまな波及効果をもたらすそうだ。重要なポイントは3つで、
①生活保護基準を目安にして、利用条件を設定している制度が利用できなくる。
例えば、就学援助
②住民税の非課税基準が下がり、今まで無税だった人が課税される。
③住民非課税だと安く済んでいた負担が増える。
例えば、保育料は、9000円から19500円に上昇(自治体によって上乗せ援助あり)

 こうしたことを考えると、基準の引き下げにより、「正直者が、もっとバカを見る」社会になってしまうことになるそうだ。

講師の資料の資料にあった当事者(ある生活保護家庭の高校生)声を紹介する。
「私は、通学に1時間半かかる高校に通っていて、朝は4時半に起きて弁当を作り、学校帰りにそのままバイトに行き、帰宅するのは22時ごろ。(中略)私がおかしいと思うのは、バイト代が、保護費から差し引かれることと、扶養義務についてです。私は、専門学校への進学を考えてバイトを始めました。高校生のバイト代が生活費として差し引かれるのは当たり前のように、思われていますが、学校に通い成績上位をキープしながらバイトをするということがどんなに大変なことかわかっていただきたい。そしてバイトをするのは、決して私腹を肥やすためではないことを。(中略)Photo_116thumb1
ただでさえ切り詰めた生活をしているのに、これ以上何を我慢すればいいのでしょうか。景気が上がれば、物価は上がるのに、保護費は減額?私がどうしても伝えたいことは、生活保護受給家庭の子どもは、自分の意志で受給しているわけではないということです。生活保護への偏見を子どもに向けるのは、おかしいです。不正受給ばかりが目につき、本当に苦しんでいる人のことが見えなくなっていませんか。」

実態をしっかりと調べ、当事者の声を聞き、どのような影響が出るのかを十分に考えて政策を決めなければならないはずだが、「決められる政治」の実態は、結局のところ「弱者の切り捨て」ではないのだろうか。 (ハツユキソウ)


奨学金から見えてくる若者の貧困

2013年11月26日 | インポート

先日、たまたま病院で隣り合わせた学生と奨学金について話しをした。「奨学金の返済が大変だという話しを聞いているんだけど…」と水を向けると、たくさんの話しをしてくれた。要約すると「自分のまわりの友達はみんな奨学金を借りて何とか大学に通っている。大体みんな卒業するときに500万円くらい借りていると思う。自分は、大学院を卒業するので、800万円くらいになる。卒業後、45歳で返済が完了する。それでも僕は、就職が決まっているので良い方だ。卒業しても就職が決まらず、派遣社員などではとても返せないと思う」とのことだった。社会に出て行くときにすでに800万円の借金をかかえている、このような事情は聞いてはいたが、実際に本人を前にして聞くと改めて驚いた。

大学生の奨学金受給者は、1998年の23.9%から2010年には50%を突破(学部昼間50.7%、大学院修士課程59.5%、大学院博士課程65.5%)し、急激に増加している。現在、奨学金の事業を実施しているのは日本学生支援機構で、無利子の「第一種奨学金」と利子付きの「第二種奨学金」が設定されている。2012年の奨学金受給者134万人の内訳は、無利子奨学金者38万人に対して、有利子奨学金者96万人と圧倒的に有利子の奨学金受給者が多くなっている。教育職の返済免除も1998年に廃止された。

Dsc_4511 大学の学費は、90年代に入って急激に上昇している。1979年入学(現在52歳)の方の初年度納付金は、国立大学22万4000円(入学金8万円、授業料14万4000円)、私立大学64万8637円(入学金17万5999円、授業料32万5198円、施設・設備費14万7440円)でしたが、2010年では、国立大学81万7800円(入学金28万2000円、授業料53万5800円)、私立大学文系約120万円、理系約150万円と、学費の急上昇とともに、国立大学の学費が急上昇し、私立大学との差がなくなってしまった。
それに比して、家計の状況は1990年代後半以降縮まる一方だ。世帯収入(中央値)は、1998年の544万円をピークに、2000年には500万円、2005年には458万円となり、2009年には438万円とわずか12年で100万円以上の減少となっている。世帯収入に占める大学の学費の比重は重くなり、しかも、かかる費用は学費だけではなく(仕送りなど)、必然として学生は奨学金無しには大学で学ぶことは出来ないわけだ。

第二種奨学金(有利息)を毎月10万円借りると、貸与総額は480万円となる。返還年数を20年とすると、利率が3%なので、返還総額は6,459,510円もの高額となる。月賦返還額26,914円で、すぐに払い始めたとしても返還終了は43歳となる。しかも、返還を滞納した場合、年利10%という高額な延滞金が発生する。延滞金発生後の返済では、返済金はまず延滞金の支払いに充当され、次いで利息、そして最後に元本に充当されることになり、元本を減らすことが非常に困難となり、元本の10%以上のお金が出せなければ、半永久的に延滞金を支払い続けることとなってしまうわけだ。このように、有利子の奨学金は、もはや奨学金とは呼べず、学費ローンそのものとなっている。そのため、卒業後、返済できない人が続出している。 

非正規雇用の増加、周辺的正規雇用労働者の増加によって、日本学生支援機構の奨学金において、2011年度の滞納額は約4700億円(2001年の約3倍)にものぼっていまる。返還の滞納が3ヶ月になると、個人信用情報機関への登録(いわゆるブラックリスト化)が行われるが、その数も1万人を超えている。ブラックリスト化されるとローンやクレジットカード利用が困難になる。一度登録されてしまうと、返済し終えたとしても記録は5年間残ってしまう。奨学金の返済が遅れている要返還者と未返還者を足した人数は、2004年の198万人に対して、2011年が334万人と7年間で130万人以上増えている。また、裁判所を使った「支払督促」を申し立てられる奨学金滞納者も急増している。2004年にはわずか200件だった申立件数が、2011年には1万件とこの7年間で50倍にも拡大しているのだ。

OECD加盟30カ国の中で、給付型の奨学金がなく大学の学費も有料な国は日本しかない。このまま貸与型の奨学金しかなく、かつ救済手段の限られた奨学金しかなければ、高校や大学進学を断念せざるを得ない人たちが増え続けることになるだろう。教育の機会均等は崩れ、格差と貧困が広がることになる。当面、返済を猶予する制度の拡充や、奨学金を給付制にするなど制度の抜本的な改革が必要だ。格差と貧困の連鎖を断ち切らなければならない。


消費税5%のときに買っては損!?

2013年11月25日 | インポート

Photo 来年4月に消費税が8%になるので、駆け込み需要をねらった宣伝が目につく。
 ところが、大工の棟梁の話では消費税が8%になった後のほうが安くて品質もいいという。
 なぜか?
 建設業界は震災復興、アベノミクスの金余り建設ラッシュで人手も資材も足りない状況。従って、いい職人が揃わない中でい消費税は5%でも、言い値で粗悪な工事をされてしまう。増税後になれば、発注も減り、職人も戻ってくるので値引きも効き、いい工事が期待できるという訳だ。
 1000万円のリフォームで考えれば、5%消費税で1050万円。値引きで950万になれば8%の消費税でも1026万で24万円もお得という訳だ。
 さて、その消費税だが、正確には付加価値税で消費者が払う税金ではなく事業者が儲け(売上額-仕入れ額)に対して払う税金ということだ。価格に上乗せできない中小零細商店が滞納したり倒産したりする訳だ。
 ところが、輸出販売について税率0%というカラクリがある。
 例えば自動車を国内で500億円(消費税25億円)、海外輸出で500億円(消費税0円)売り上げ、その仕入れ額が800億円(消費税分40億円)とすると、40億円-25億円=15億円が還付金として企業に入ってくる仕組みだ。だから、輸出大企業があつまる経団連は、消費税増税推進なのだ。ちなみに、トヨタは、2246億円の還付金を得ている(2010年分)。この還付金、年間約3兆円、消費税総額の25%にもなる。消費税が大企業を潤し、中小零細企業や庶民を苦しめる所以だ。
キク


家庭秘密保護法?

2013年11月22日 | インポート

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 国家の秘密を保護するなら家庭の秘密も保護すべきだと、家庭秘密法(通称、ホームプライバシー法)が制定され、巷で次々と裁判が起きたという架空のお話。

 不正を見すごしてはいけないと学校で教えられた子どもが、強盗と万引きを家業とする両親のことを警察に通報して、逆に親から(家庭秘密法違反で)訴えられて罰せられた。このため、親子そろって留置場ぐらしとなったが、もう驚く人は少なくなった。ただ、子どもを「共謀し、教唆し、又は煽動した」として同じくつかまった教師が、同じ獄にいるため、家庭教師付きとなったその子の境遇を、獄外の保護者たちが羨んだ。

 このコラムは、自民党が成立を目論んだ「スパイ防止法(国家機密法)」(1985年廃案)のときに筑紫哲也さんが書いたものを週刊金曜日の編集部が「特定秘密法」に置き換えて掲載したものだ。(週刊金曜日968号)
 思わず笑ってしまいながらゾッとするパロディだ。さて、その「スパイ防止法」は、全野党のみならず自民党の谷垣禎一も反対、もちろんマスコミもこぞって反対したため廃案となった。30年近く前の話だが、隔世の感がある。
 今回は、世論で悪法を廃案にしなければ、日本は「法治国家」ではなくなる。
(キク)


高校授業料の無償制度は

2013年11月21日 | 国際・政治

 昨年9月日本政府は、「国際人権A規約第13条の2」の留保を撤回した。政権が再度交代する前、民主党政権の下での留保撤回だった。「国際人権A規約第13条の2」というのは、「中等教育・高等教育の漸進的無償化条項」のことで、つまりは、義務教育以降の中等・高等教育も、「段階を追って無償化しましょう」という規定だ。この規約は、1966年に国連総会で採択され、日本は、1979年(私がまだ大学生だったころだ)に批准したものの、この「中等・高等教育の無償教育の漸進的な導入と機会均等」に関する条項について、30年以上も「留保」を続けてきたのだった。

 さて、昨年の段階で、この条項を留保していた国は、いくつあっただろうか?驚くことに、日本を含めて2つしかなかった。あと一つは、マダガスカルである。人権規約の締約国は、約160か国あり、その中で、たったの二か国だったのだ。つまり、中等教育・高等教育の無償化というのは、「グローバルスタンダード」なのだ。

 日本政府が「留保を撤回」したのは、言うまでもなく「高校授業料無償制度」ができたからだ。もちろん、朝鮮高校が適用を受けないという大問題があった。国連人権委員会も、『明らかに民族差別だ』と、是正を求めた。しかし、現在の安倍政権は、是正するどころか、この制度を従来の「高等学校就学支援金制度」に変えてしまい、「所得制限」を導入することにした。そして、その「改正案」が15日に、衆議院を通過してしまったのだ。Photo_116thumb1

 所得制限の基準は、910万円とされ(これは政令で定める)、なんと、来年度の新入学生から適用されるという。今まさに、進路選択に直面している中学校3年生やその保護者、進路指導を担当している教職員に、この事実がしっかりと伝えられているだろうか?国会議員は当事者の声をしっかり聴いたのだろうか?

 「所得のある人からは、授業料をとっても問題はない」と考える人も多いだろう。しかしそれは、「所得税の累進制」を強化して、行えばよいことだと思う。今後、審議は参議院に移るが、「良識の府」としての審議は、どうなるだろうか。

(ハツユキソウ)https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/gallery/manage?__mode=edit_photo&photo_id=41858576


朝鮮学校への補助金不支給決定に抗議する

2013年11月21日 | インポート
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 猪瀬直樹東京都知事は、去る11月1日、2010年度から「凍結」していた朝鮮学校10校への補助金(私立外国人学校教育運営費補助金)について、「調査」に基づいて最終的に不支給にすると発表した。11月19日、朝鮮学校への公的助成を求める連絡会・東京(代表:長谷川和男)は、この決定に抗議する声明を発表した。
 私立学校法第1条に「私立学校の自主性を尊重するため、所轄庁(この場合は知事)の権限を国公立の学校の場合に比べて限定する(同法5条)とともに、所轄庁がその権限を行使する際にも、大学設置・学校法人審議会又は私立学校審議会の意見を聞かなければならないこととし・・・」(文科省HPより)とあり、都の「調査」はこのルールに反するものと声明は断じている。
 「アメリカン・スクールで原爆投下はどう教えられ、中華学校の教科書に南京大虐殺はどう記されているか。それらが問われないのは、価値観や歴史認識が異なるからといって、教育内容に政治干渉をすべきではないとの大前提があるからだ」と神奈川新聞の社説(2013年2月2日)も論じているとおり、朝鮮学校だけを狙い撃ちにしたことは許されない差別である。
 日本政府も高校無償化からの朝鮮学校除外を断行したが、国連・社会権規約委員会が日本政府報告を審査の「総括所見」では、「差別の禁止は教育の全ての側面に完全かつ直ちに適用され、全ての国際的に禁止される差別事由を禁止の事由に包含することを想起し、締約国[日本]に対して、高等学校等就学支援金制度は朝鮮学校に通学する生徒にも適用されるよう要求する」(外務省訳)と勧告されている。
 「東京オリンピック」を主催する東京都が朝鮮学校差別を行うことを、国際社会は容認していない。
 朝鮮学校で真剣に学んでいる子どもたちの顔を思い起こし、猪瀬知事に、政策の再考を強く求める。
 声明は、「貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」という言葉で結んでいる。
(柿啄む 印度鸚哥の 艶やかさ) 



Japan’s illiberal secrecy law(日本の反自由主義的な秘密保護法案)

2013年11月19日 | インポート

今朝の朝日新聞によれば、特定秘密保護法案で与党自民党・公明党は、「秘密指定に首相の同意」を求めるみんなの党との修正協議で、大筋合意したと報じられている。しかし、与党は法案の根幹部分を譲っておらず、秘密が恣意的に指定されるという法案の問題点はまったく解消していない。

内田樹さんのHPで、ニューヨークタイムズが法案についての批判記事を掲載していたということを知った。10月30日のニューヨークタイムズに「日本の反自由主義的な秘密保護法案」(Japan’s illiberal secrecy law)という社説が掲載されている。illiberal は「リベラルでない」という政治的な意味の他に「狭量な、教養のない、下品な」という人格の瑕疵についても用いられるきわめて否定的な形容詞だそうである。せっかくなので、全文をご紹介しよう。

「日本政府は国民の知る権利を冒す秘密保護法案の制定をめざしている。この法律はすべての政府省庁に防衛、外交、防諜、対テロにかかわる情報を国家機密に指定する権限を賦与するもののだが、秘密の指定要件についてのガイドラインが存在しない。この定義の欠如は政府があらゆる不都合な情報を秘密指定できるということを意味している。
提案された法案によると、機密を漏洩した国家公務員は10年以下の懲役刑を受ける。このような規定があれば、公務員は秘密公開のリスクを取るよりは文書を秘密に区分するようになるだろう。
現在まで、情報を“防衛機密”に指定できる権限を持っていたのは防衛省のみであるが、その記録は底なしの闇に消えている。2006年から11年にかけて防衛省が秘密指定した文書は55000あるが、そのうち34000が文書ごとに定められた非公開期間の終了後に廃棄されている。情報公開された文書はただ一件だけである。
新法案はこの非公開期間を無限に延長することを可能にするものである。そればかりか、国会議員との秘密情報の共有についての明確な規定がないため、政府の説明責任はいっそう限定的なものになる。
法律はさらに「無根拠」(invalid)で「不当な」(wrongful)な方法で情報収集を行ったジャーナリストに対しても5年以下の懲役を科すとしている。このような脅迫によって政府の実体は一層不明瞭なものとなるだろう。
Dsc01829 日本の新聞はジャーナリストと公務員の間のコミュニケーションが著しく阻害されることを懸念しており、世論調査は国民がこの法律とその適用範囲に対して懐疑的であることを示しているが、安倍晋三首相はこの法律の迅速な制定を切望している。
安倍氏はアメリカ式のNSC(国家安全会議)のようなものを設立したがっているのであるが、これはワシントンは日本が十分な情報管理が果たせないのであればこれ以上の情報共有はできないということを通告したためである。安倍氏が提案している安全会議の6部局のうちの一つは中国と北朝鮮を管轄し、他の部局は同盟国その他の国を管轄する。
この法案制定の動きは安倍政府が中国に対して示している対立姿勢と政権のタカ派的外交政策を反映しているが、法律は市民の自由を侵害しかねないものであり、東アジアにおける日本に対する不信をいや増すことになるであろう。」

内田さんは、このニューヨークタイムスの記事を「ホワイトハウスからのひとつのシグナルとして解読されねばならない。記事そのものにそれだけの影響力があるということではなく、この記事がワシントンにおける『日本に対するそのつどのドミナントな判断』を伝えているからである。」と分析している。みなさんはどのように読み取りますか。


マタハラ、パタハラ・・・くるみん

2013年11月18日 | インポート

 「スマホ」「ファミマ」「ミスド」「スタバ」「イケメン」「イクメン」「パワハラ」「マタハラ」「パタハラ」・・・日本は略語天国だ。
 「パタハラ」は知らなかった。
 パタニティー・ハラスメントの略で、パタニティー(Paternity)は英語で“父性”を意味する。男性が育児参加を通じて自らの父性を発揮する権利や機会を、職場の上司や同僚などが侵害する言動におよぶことを、パタニティー・ハラスメントという。女性社員の妊娠・出産が業務に支障をきたすとして退職を促すなどの嫌がらせをすることを指すマタハラ(マタニティー・ハラスメント)に対して、パタハラは男性社員が育児休業をとったり、育児支援目的の短時間勤務やフレックス勤務を活用したりすることへの妨害、ハラスメント行為。
 「イクメン」も「イケメン」と混同しがちだが、「子育てする男性(メンズ)」の略語。単純に育児中の男性というよりはむしろ「育児休暇を申請する」「育児を趣味と言ってはばからない」など、積極的に子育てを楽しみ、自らも成長する男性を指す。実際には、育児に積極的に参加できていなくても、将来的にそうありたいと願う男性も含まれる。
 2010年6月、長妻昭労働大臣が少子化打開の一助として「イクメンという言葉を流行らせたい」と国会で発言し、男性の子育て参加や育児休業取得促進などを目的とした「イクメンプロジェクト」を始動させたのをきっかけに、同語は一気に浸透した。
 2003年7月に「次世代育成支援対策推進法」が公布され、301名以上の労働者を雇用する事業主は次世代を担う子ども達が健やかに生まれ育成されるようにする為に事業所としても取組を行いその具体案を明記した「一般事業主行動計画」を厚生労働省へ届出する事が義務付けられた。Indexkurumin
 厚生労働省より認定を受けた事業者には「くるみん」ロゴマークの使用が認められる。この愛称は、一般公募で決定したもので、あかちゃんが包まれている「おくるみ」と会社ぐるみ・職場ぐるみで育成に取組み育んでいこう、という意味が込められたロゴマークだ。
 しかし、イクメンは極めて少数どころか、女性が産休・育休を取ることも困難な職場が多いのが実態だ。
 「担任をするなら妊娠は控えなさい」などと平気で言うマタハラ校長も存在する。


何にも学んでないじゃん

2013年11月15日 | インポート

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 山本太郎参議院議員が「子どもと労働者を被ばくから救って下さい」と天皇に手紙を渡した行為で、天皇の政治利用にあたるとの批判がある一方で、田中正造の直訴に例えて、その止まれぬ気持ちを理解する声もある。
右翼団体は、「近日中に刺殺する」
 これはもう犯罪、当然警察はもう捜査と警備をしているだろう。
松田公太議員(みんなの党)は、「右翼からの警備は税金の無駄使い」
 同僚の議員の言葉とは思えない惨さ。
鴻池祥肇議員(自民党)は、「天誅を加えなきゃいかん」
 「天誅」ってテロのことって知っての暴言か?
天皇は、「脅迫事件を新聞記事で読み心配しています」
 天皇にここまで言わせていいのか。

さて、その原発について母親の訴えと中学1年生(13歳)との会話とを紹介する。

息子:あのさ、母ちゃん
母:ん?
息子:ドイツって原発ゼロなんだよね
母:…うん。
息子:それってさ、俺ら(福島原発事故)があったからだよね。
母:…うん。
息子:ドイツは学んだんだよね。
母:…うん。
息子:日本ってどうなの?
母:うん?
息子:日本は学ばないの?
母:……。
息子:俺らは何の為に被害にあったの?
母:……。
息子:原発輸出って何や!!!再稼働って何や!!!何にも学んでないじゃん!!
母:……うん。
息子:他の国は学んだよ。日本は?自国であったことなんだぜ?
母:……。そうだよね。
返す言葉がない。
安倍総理…。
13才の子どもでも理解できる事。
あなたはわかりませんか?
子どもでも出せる答え
あなたは出せませんか?

(エゾリス)


人殺しの正当化

2013年11月14日 | インポート

Photo 人間は、他者には苦痛を与えたくない生き物である。
 しかし、世の中には暴力がはびこっている。
 学校ではイジメも大きな問題になっている。
 一方、他者に苦痛を与えることを何とも思わないことで、成り立つことも残念ながらある。それが、戦争であり、その当事者である兵士である。
 だから、「他者に苦痛を与えてもいい」と信じる正当性が戦争にも兵士にも求められる。そうでなければ、人殺しを繰り返すことはできない。それでも戦闘行為のトラウマに悩まされる元兵士は後を絶たない。
 その兵士を戦場に駆り立てる政府や国民は、戦場で殺人者になる、または、戦死者になる兵士を「やむを得ぬ犠牲」として正当化する加害者である。
 兵士は、「命令された」「任務」「仕事」「敵だから」と人殺しを正当化する。
 人間は本来殺人に対して強い心理的抵抗を持つ。
 第2次世界大戦時は15~20%の兵士しか敵に向かって発砲しなかったが、米軍は訓練法を変え、ベトナム戦争で発砲率を90%まであげた。そのためには、命令と実行の分離による責任の分散(命令者と実行者を分ける)と、相手との距離をとる戦術が兵士の心理的抵抗を乗り越えさせるために必要であると「戦争における『人殺し』の心理学」を著したデーヴ・グロスマンは指摘している。
 命令・任務をより強化するのが国防軍審判所(軍法会議・自民党憲法改正草案)であり、相手との距離をとる戦術が無人爆撃機による殺戮である。
ハツユキソウ


沖縄で考えた

2013年11月13日 | 国際・政治

今年の護憲大会は、「沖縄から問う『平和、人権、いのち』―核も基地も戦争もない世界を!」と題して、沖縄県那覇市で行われた。

初日の3日に行われたシンポジウムでは、琉球新報の特派員として2010年から1年間アメリカに派遣された与那嶺路代記者の話が印象的だった。政権交代で実現するかと思われた普天間基地の「県外移設」をめぐってのワシントンからの報道が、いかに偏ったものであったか。自分が何のために、アメリカに来たかを考え、記者会見の場で質問の形をとりながら、沖縄の現状を伝えたことで、「もっと話を聞かせてほしい」という記者や市民に囲まれたことなどを生き生きと語られた。

さて、最終日のまとめ集会の後、フライトまでの時間を利用して那覇市を歩いてみた。初めて沖縄に行ったのは、もう20年以上も前なので、街の様子はずいぶんと様変わりしていた。おりしも、修学旅行シーズンということで、国際通りには高校生のグループをちょくちょく見かけた。ゆいレールには、「おもろまち」という駅がある。那覇新都心ともいうらしいので、歩いてみた。道路は広々と整備され、高層ビルや商業施設などが整然と並んでいる。いったいどこにこんな土地があったのだろうと思って調べてみると、やはり、元は、米軍の施設(牧港住宅跡地)なのであった。1987年に全面返還されて、その後再開発されたとのことである。

「沖縄は、基地に依存している」などというのは、まったく違うことがわかる。米軍基地は、広さだけでなく、土地利用の面でも、とてもよいところを占めている。沖縄の発展を阻害しているものこそ、米軍基地に他ならない。これが返還されて、県民のために使われれば、経済の自立は可能なのだということが、街を歩いてよくわかった。


戦争が廊下の奧に立っていた

2013年11月12日 | インポート

Facebookをやっていると、様々な情報が集まる。多くの人がそれぞれの「友達」からの情報をシェアすることで、一度もお目にかかったことのない方からの情報も自然と集まってくる。私たち東京教組もFacebookで様々な情報を発信させて頂いている。先日、そうした多くの情報の中で「京大俳句事件」という言葉を目にした。

言論弾圧が俳句にまで及び、多くの逮捕者を出したのが「新興俳句」派の弾圧であったが、そのトップを切ったのが「京大俳句事件」であった。京大俳句会は、京都を中心に、東京・京都・大阪・神戸にそれぞれグループをもち、句会・研究会を開催するとともに機関誌を発行し、検挙時の会員は48名であった。このうち、京都在住の平畑静塔・波止影夫・仁智栄坊ら6名が1940年2月に検挙され、さらに5月から8月にかけて西東三鬼ら7名が各地で検挙されて京都に連行された。検挙総数は15名にものぼり、連日の取調べを受け、それは殆ど拷問だったという。この後、多くの俳句団体に弾圧が広がっていく。

第4次検挙で逮捕された東 京三(秋元不死男)の句に「冬空をふりかぶり鉄を打つ男」というものがある。これに対して、「鉄と言うのは資本主義のことで、プロレタリアがそれを叩き潰すと言う意味なんだろう?」という具合に詰問し、何日も何日も責め立てたという。

「京大俳句事件」で検挙された一人が、表題の句を詠んだ渡辺白泉だ。白泉はとくに政治に関与していたわけでもなく、左翼でもなかった。戦争を嫌い、平和と文学を愛するごくふつうの大学生だった。ところが、特高警察はこの俳句にまで目をつけ、「反戦思想の持ち主だ」と言って、渡辺白泉に治安維持法違反の嫌疑をかけ、投獄した。

「言いたい放題」が「やりたい放題」へと居丈高な振る舞いを強めている安倍政権の下で、特定秘密保護法案Photoが7日、衆院本会議で審議入りした。安倍晋三首相は「早期成立に向けて努める」と表明している。「見ざる言わざる聞かざる」で知らんぷりしていようと、目と耳と口を塞ごうとする力は、向こうから押し寄せてくる。

  戦争が廊下の奧に立っていた

この句は、現代においても不気味な迫力を持っている。


子どもの教科書「無償」と「採択」

2013年11月11日 | インポート
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 教科書が無償になったのは、すべての子どもに無償の義務教育(憲法26条)を求めた同和教育の成果だった。
 そして、教科書無償措置法によって教科書採択の方法が定められている。
 ところが、沖縄の竹富島の子どもたちの教科書が取り上げられようとしている。下山文科大臣が「非常に残念なことですけれども」と、この町が採択した教科書を「違法状態」だとして,地方自治法に基づく「是正要求」をしているからだ。
 沖縄の八重山採択地区は、石垣市と竹富町、与那国町である。同法では、「地区内に複数の市町村がある場合、同一の教科書を使用する。」としている。昨年、育鵬社版の「公民」教科書を石垣市と与那国市が採択したが竹富町は全会一致で不採択したのがことの発端だ。この結果、石垣・与那国では育鵬社の教科書が無償で配布され、竹富では法の適用外の有償で東京書籍の教科書が配布されている。
 小さな町の自治に文科大臣が乗り出して「是正要求」をするのもやりすぎだが、そもそも地方教育行政法では、各市町村に教科書採択権があると明記されている。
 竹富島は、戦時中、軍命で強制移住させられた島民が、飢えやマラリアで苦しめられた歴史を持つ。
 竹富町の慶田教育長は、「篤志家の費用をもって住民が購入した教科書を子どもたち配布している。」「現場は明るくのびのびとやっており、そこに荒波を立てる。こちらの方が残念な思いだ」と話している。
 一方、育鵬社の教科書を採択した石垣市の玉津教育長に対して、石垣市議会は不信任決議を採択している。
 どちらが、地元の支持を受けているかは明らかだ。


ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか

2013年11月08日 | インポート

Photo 1か月ほど前に、新美南吉の「ごんぎつね」について書いたが、「ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか(畑中章宏、晶文社)」は、小学校の教員が教材研究する上でも示唆に富んだ指摘が多い評論だ。
 戦争末期の閉塞した、何とも暗い時代を生き多くの童話を遺した新美は、敗戦を待つことなく早逝した。自らの故郷(知多半島の岩滑)に残る民話を題材にした作品は、「共同体」への熱いまなざしにあふれるとともに、その自己犠牲の表現が戦時下の迎合にもつながった。
 ごん狐のクライマックス、「ぐったり目をつぶったまま、うなずきました」は「赤い鳥」に掲載される際、鈴木三重吉によって改訂されたものだが、新美の初期稿では「権狐は、ぐったりなったまま、うれしくなりました」だったことは以前にも紹介した。「話し相手もいない、誰からも存在を認知されていない、徹底的に弱く孤独な存在だった権狐は、撃ち殺されることで初めて世界と交わったのだ。こんなに悲しい『うれしさ』が、この世にあるだろうか」と山田航(歌人)も、その書評に記している。
 新美のほかの作品「鳥右エ門諸国をめぐる」でも鳥右エ門に両眼を射られた平次の「人のためになることをしてこそえらいといわれるもんさ」という弱きものの毅然とした言葉に、この時代の暴力と狂気にあがなう気持ちが表れているように思う。「狐」という作品では、「僕が、狐になっちゃったら?」と聞く子に、母親は「私たちも人間をやめて狐になる」と答え、「猟師に追われたら?」と聞く子に、「びっこを引いて先に捕まり、坊やとおとうちゃんを逃がす」と答える母。
 畑中さんは、「なしになってしまう」ことを新美はテーマにしていると指摘しつつ、そこに託された新美の思いを「現実の持つ残虐さや惨めさを受け止めつつ、新美南吉は『最も弱いもの』が持つ力を描きだそうとしたのである。」と締めくくっている。
 新美が生きた時代と同じ空気が漂う現在、「ごん狐」を子どもたちとどう学ぶかが問われているような気がする。