東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

光のうつしえ

2014年01月31日 | インポート

Kif_0631うつしえに 戦死せし子と 並びたる 
少女よいずくに 母となりいる
朝日新聞の歌壇にたびたび選ばれた小山ひとみさんの短歌だ。

 この歌を軸に被ばく25年後の廣島の中学生を描いた「光のうつしえ-廣島 ヒロシマ 広島-」(朽木祥著、講談社)は、刊行されたばかりの原爆文学だ。杇木さんは、児童文学で活躍されてきた作家だが、被曝2世でもある。
 若い世代が被ばくを語り継ぎ表現していくストーリーに、表現が抑圧され戦争へと突き進む状況への警告が描かれていて、フクイチ後の文学としても読みごたえのある本だった。
 被ばくした無辜の民、一人ひとり記憶(歴史)から発する表現を抜きに戦争を止めることはできない。
「半ズボン 汚し帰りし 幼な子を 叱りいたりき 戦死せしかな」
「しんしん と雪降る夜なり 戦地より 子の魂ひとり 寝る窓をたたく」
「はてしなく 青澄める空 戦死せし子 と吾を結ぶ 永久の色かも」
 などの戦死した子どもを思う小山ひとみさんの歌も本文に出てくるが、そこからどんな物語がつむぎだされるか、是非一読してほしい。
Kif_0632
 正田篠枝さんの「太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨集まれり」は、平和公園の彫像にも刻まれている有名な歌だが、その歌についての物語もある。
 戦争は、その役に立たない美術や音楽から無くしていく。表現が押しつぶされるのだ。

 東京教組の「ヒロシマ子ども派遣団」(3月27~29日)も30周年を迎え、その募集の締切が迫っている。ぜひ多くの子どもたちに参加してほしい。http://tokyokyouso.org/flex/archives/287


東京の学校のパワハラ

2014年01月30日 | インポート

Photo_2 東京教組青年部が行ったアンケートで、パワーハラスメントについても、深刻な実態が浮き彫りにされました。
 100名以上の回答者の2割近くの教職員がパワハラ受けていると感じていました。内容にも深刻なきものがあり、人権を侵害しているような内容もあります。
皆さんから寄せられた声の一部をお伝えします。
・管理職の攻撃的な言葉遣いなどが恐怖です。
・複数の主任を兼務しているにもかかわらず、18時前に退勤する場合があると、もっと仕事量を増やすべきだと中間面接で叱責された。
・子育て中に初任者で役に立たないと言われた。
・特に権利を主張したことはないが、権利を主張しすぎだと言われた。
・希望を通してほしいなら、3年間子どもを産むな。妊婦だらけの学校になってしまう。と言われた。
・校長から退職強要された。アポなしで教育委員会の指導課長が来て、遠回しの退職強要をされた。
・職員打ち合わせで勤務時間について質問したらどなられた。
・「人として最低だ」「あのさ・・・あり得ないから」などと言われた。
・管理職の気分で物事が進む。男尊女卑や担任優位なものの言い方をする。
・週案に批判を書かれる。
・4月の教員紹介で「期限付き教諭の〇〇」と呼び、生徒もその教員を一段下に見るようになった。
・「疲れたと言うな」と言われた。
・1年目なのに、過員と言うことで異動を強要された。
・若い女性にはデレデレする一方、少し年齢が高いと感情的に指導する管理職。
・家庭や通勤事情を考慮に入れず「もう帰るんだ」と言う(もちろん勤務時間は終わっている)
・業績評価の開示請求をすると「なぜ公開するのか」と強く問われた。
・半年の育児休業を受け入れてもらえない。
・職員朝会で質問をしたら、校長室に呼ばれ「朝会は質問をする場ではない」と言われた。
・パワハラを受けていたが、組合に加入した後から、パワハラを受けることが減った。
・期限付き教員の不安定さ。使い捨ての駒のように感じる。

 若い教職員のみなさん。苦しかったら助けてと言ってください。おかしなことはおかしいと声をあげてください。絶対に1人で苦しまないでください。
 東京教組は、学校現場で働く仲間です。働く一人ひとりが力を合わせれば、大きな課題も解決できます。仕事への不安や不満があるときは、いつでもお知らせください。一人の仲間として、皆さんのそばに行き、解決のために尽力します。
(白梅「鶯の谷」)


障害者権利条約を批准

2014年01月28日 | インポート

日本政府は20日、障害者の差別禁止や社会参加を促す国連の障害者権利条約を批准した。政府は2012年に障害者総合支援法を、今年6月には障害者差別解消法を成立させるなど、批准に向けて国内法令を整備してきた。条約発効から5年余りでようやく日本の批准が実現した。2月19日から日本でも効力が生じる。

条約は2006年12月に国連総会で採択され、08年5月に発効した。「障害に基づくあらゆる差別」の禁止や、障害者の権利・尊厳を守ることをうたう。締結国は、公共施設を使いやすくするなど、さまざまな分野で対応を求められる。

Photo 吉川元偉・国連大使が20日、国連本部を訪れ、批准書を国連のビジャルパンド条約課長に手渡した。国連によると、日本の批准は世界141番目(欧州連合を含む)。中国や韓国などはすでに批准しており、吉川大使は「たいへん長い時間がかかってしまい、国際的に誇れることではないが、模範的な締約国となれるべく努力していきたい」と語った。

批准するために必要とされた障害者制度改革(障害者基本法の改正、障害者総合支援法の制定、障害者差別解消法の制定)については、障害を社会モデルとして定義する等評価される部分もあるが、差別解消の実効性等の課題が残されている。また、条文の「和訳」(日本政府公定訳)ではインクルーシブ教育を「障害者を包容するあらゆる段階の教育制度」としており、「包容」では障害者を権利の主体とされないことが懸念される。

また、この条約を日本が批准したことはもちろん、その内容も一般にはあまり知られていない。これでは、実効性が危ぶまれる。この条約の対象となる「障害者」の範囲は、一般の人が想定する範囲よりもはるかに広い。たとえば、「がんサバイバー(がんの急性期から復帰して寛解状態を維持している人)」や認知症患者にも及ぶ可能性を秘めている。すべての人に、関心を持ってもらいたい条約である。


驚くべき教員の勤務実態

2014年01月27日 | インポート

Photo_4
 東京教組青年部が行ったアンケートに、100人以上の若手の教職員が答えてくれた。
 アンケートは、勤務時間、研修、パワハラ、困っていること・不安や疑問、知りたいことなど多岐にわたるが、その中で驚くべき長時間労働の実態が明らかになっている。
 平均勤務時間は、12時間30%が最も多く、続いて11時間20%、13時間と10時間が16%となっている。
 労働安全衛生法に基づき面接指導が必要な超過勤務月80時間(毎日12時間以上の勤務時間)以上の人が57%。医師による面接指導が義務付けられている100時間以上の人が27%もいる実態が判明した。過労死ラインとして設定されているのが月80時間の残業だ。半数以上の人が、過労死の危険と隣り合わせで働いている現状であることがわかる。
 これは、2007年の文科省の勤務実態調査より悪化している。2007年の調査において、中学校では、夏季休業期の8月分を除くと平均で1日11時間2分の勤務で、2時間13分の残業(超過勤務月約43時間)、小学校教員は、平均10時間30分の勤務で1時間40分(同、月約37時間)の残業との結果が出ていた。
 年を追うごとに忙しいと肌で感じていたことが、アンケートによってリアルな数字として突きつけられた感じだ。青年部は、教育委員会に是正を求めていく。
ロウバイ


再び、英語教育を問う

2014年01月24日 | インポート

Photo
 昨日の漱石の引用は、江利川春雄さん(言語の認知科学)の論文に教えられたものだ。(英語教育、迫り来る破綻・ひつじ書房)
 この本は、英語教育の専門家4氏が英語教育政策の現状に危機感を抱き緊急出版したものだ。実に明快に、今の英語教育の課題と政府が強行しようとしている英語教育政策の危険性を指摘している。すべての教職員が英語教育に関わる事態も考えられる中、お薦めの冊子だ。
 なぜ、今、英語で暮らす日本なのか?江利川さんの論文「『大学入試にTOEFL等』という人災から子どもを守るために」から引用する。

1991年のソビエト崩壊による冷戦体制終焉とアメリカ主導のグローバリズム、それと同時期に進み始めた日本型工業化社会の瓦解によって、日本企業は大企業を中心に多国籍化を進め、いまでは企業活動を地球規模で展開する「超国家企業」へと変貌しつつあります。日本の製造業の海外現地生産比率は1986年の2.6%から2011年の18.4%へと急増しました。日本経団連や経済同友会に加入するような大企業では特にその傾向が著しく、御手洗冨士夫・経団連前会長の出身企業であるキヤノンでは52%、米倉弘昌・経団連現会長の出身企業である住友化学では40% にも達しています(朝日新聞2013年5月6日)oさらに、外国資本による持株比率の急増によって、経団連役員企業の多くがアメリカを中心とする超国家企業や投資家の強い影響下に置かれるようになりました。経団連の正副会長企業の株式に占める外資の割合は1980年には平均2.7%でしたが、2006年には30.7%へと急増しました。キヤノンの株式の51.1%は外国資本に握られました(2005年)。ソニーも50.3%が外資で、筆頭株主はアメリカの投資ファンドです。
 こうしたグローバル企業の内部では、英語が公用語ないし第二言語(ESL)と化しつつあるのです。ですから、日本がアメリカの51番目の州であるかのように、「英語が使えるグローバル人材」の育成に躍起になっているのは、こうした「お家の事情」があるからであって、決して日本の子どもたちの未来のためでも、日本の国益のためでもありません。こうしたグローバル企業で働く日本人はまだわずかであり、仕事で英語を必要とする人もせいぜい1割なのですから。
 超国家企業のグロ―バリストたちは、利益のためなら国民国家の象徴である常備軍や監獄までも民営化・市場化しますから、国民教育の市場化を求めないはずがありません。こうして、1980年半ばの臨教審以降、教育分野での規制緩和と競争原理の導入を進めていきました。彼らは、日本の学校教育のルールを尊重しよう、日本の若者を安定雇用しよう、企業内研修で一人前に育てよう、恩返しに日本国家に納税しよう、などとは考えません。内田樹氏が言うように、「彼らにとって国民国家は『食い尽くすまで』は使いでのある資源」なのです(朝日新聞5月8日「壊れゆく日本という国」)。
 とりわけ英語はグローバル企業の公用語であるため、グローバリストたちは英語運用力の向上について強い要求を課してきました。こうして、従来は企業内研修で行ってきた「英語が使える人材」の育成コストを削減し、公教育である学校教育に要求するようになったのです。ところが、学校は学習指導要領で規制され、英語が苦手な子も多数います。そのため、グロ―バリストたちは生徒全員の学びを平等に保障する国民教育の基本原理そのものが邪魔になり、競争と格差づけで一部の英語が使えるエリートを育成することに特化した政策を要求するようになりました。こうして、経団連は前述の「グローバル時代の人材育成について」(2000)を発表し、文科省がそれを「『英語が使える』日本人のための戦略構想」(2002)で具体化し、同「行動計画」(2003-07)で実行しました。

 TPP同様、多国籍(グローバル)企業は国民国家を超えて存在し始めていて、その要請が子どもたちまで及んでいるということに他ならないことが分かります。経過と状況は分かりました。では、子どもたち、教職員はどうなってしまうのでしょう。さらに引用します。

 無国籍化した超国家企業の経営者たちは、日本人従業員に対しても同胞として温情で接することはありません。利益さえもたらしてくれるならば従業員の国籍は関係ないのです。ですから、社内では英語を公用語にし、母語を捨てさせます。TOEFLのような苛烈な試験を課して競争に勝てた者だけを採用し、あとは使い捨ての非正規労働者でよいと考えるのです。雇うのは、英語ができて辞令一本で海外勤務もいとわない「グローバル人材」というエリートだけ。たとえブラック企業と言われようが、賃金は押し下げ、サービス残業はやらせ放題、辞めれば外国から安くてよく働く労働力を補充します。ユニクロのファーストリテイリングでは、2010年に入社した新卒社員の実に53%が3年以内に辞めています。その穴を埋めるために雇った2012年度の新卒採用者は8割弱が外国籍です。楽天も、採用したエンジニアの7割近くが外国籍です。
 国民国家の破壊は、おいしいビジネスです。ユニクロのファーストリテイリングを経営する柳井正会長兼社長の個人資産は約8,800億円で、日本トップの富豪となりました(2012年)。「大学入試にTOEFL」を主導した楽天の三木谷浩史社長兼会長も、約5,200億円と桁外れの個人資産です。
 こうしたクローバリストの数はどくわずかですが、彼らは政治献金、メディアコントロール、宣伝によって巨大な影響力を行使します。「このままではグローノリレ競争に勝てない」と連呼することで日本全体の危機であるかのように演出し、規制緩和と優遇策を要求します。ちょうどアベノミクスで潤うのがごく一部の富裕層であるのに、なんだか日本経済全体が活性化しているかのように錯覚させられ、気がつけば庶民には増税と貧困、という構図と同じです。
 こうして、「グローバル化には使える英語、ならば入試にTOEFLもアリか」という気持ちを抱く国民感情が形成され、政治家はそこにつけ込みます。しかし、そんな思い込みのない多くの子どもたちは、世界第9位の使用人口をもつ日本語の大海の中で、「英語なんかいらない!」「なんで英語なんかやるの?」と冷めた目をしています。この子たちを相手に、少しでもやる気が出るよう、わかるよう、力がつくよう、英語教師たちは過労死線上の労働環境の中で必死の努力をしています。

では、外国語教育政策をどうすべきか、江利川さんは
①「大学入試にTOEFL等」などという危険な方針を実施させないことです。
②会話で大切なことは語るべき内容の充実度にある。それは良質の英文を読んだり、考えを英語で書くことによって養うことができますから、その訓練と教材内容の充実が必要です。大学で求められる知的な会話力は、入試に会話を課せば向上するというほど単純ではない。
③1990年代以降の会話重視の教育課程を検証し、英文法の明示的な指導、日英比較、英文解釈などを含む、日本人の学習環境にふさわしいEFL(English as a Foreign Language)型の学習法に添った教育課程を再確立する。
④少人数による人間関係力を高める「協同学習」を取り入れた授業改革。
⑤複言語、複文化主義の外国語政策
⑥「教師のゆとり」の保障
⑦英語教育学の専門家集団による教育政策の立案・実行機関を作るべき。
と提案している。
カンザクラ


英語について考える

2014年01月23日 | インポート

Photo 明日から全国教育研究集会が滋賀県で開催される。英語教育のあり方についても論議される。多文化共生のための外国語教育の重要性は論を待たない。しかし、「政府・教育再生会議」の小学校の英語教科化や大学入試などにTOEFL導入などは無茶な提言だ。
 なぜ日本人は、英語を話せないか?答えは簡単。アメリカや、イギリスの植民地ではなかったから。米英以外で英語を話す国々はみんな、その植民地だったところだ。その事を、端的に夏目漱石が書いている。明治政府は、日本の独立と脱亜入欧政策に必至で当時の帝国大学は、英語圏の教授陣をたくさん招き。すべて英語で授業をしていた。漱石は、明治のエリートの英語力低下と教育の国語化に触れて次のように書いている。

私の思ふ所に由ると、英語の力の衰へた一原因は、日本の教育が正当な順序で発達した結果で、一方から云ふと当然の事である。何故かと云ふに吾々の学問をした時代は、総ての普通学は皆英語で遣らせられ、地理、歴史、数学、動植物、その他如何なる学科も皆外国語の教科書で学んだが、吾々より少し以前の人に成ると、答案まで英語で書いたものが多い。(中略)処が「日本」と云ふ頭を持って、独立した国家といふ点から考えると、かゝる教育は一種の屈辱で、恰度、英国の属国印度と云ったやうな感じが起る。日本のnationalityは誰が見ても大切である。英語の知識位と交換の出来る筈のものではない。従つて国家生存の基礎が堅固になるに伴れて、以上の様な教育は自然勢を失ふべきが至当で、又事実として漸々其の地歩を奪はれたのである。実際あらゆる学問を英語の教科書でやるのは、日本では学問をした人がないから已むを得ないと云ふ事に帰着する。学問は普遍的なものだから、日本に学者さへあれば、必ずしも外国製の書物を用ゐないでも、日本人の頭と日本の言語で教へられぬと云ふ筈はない。(「語学養成法」、1911年。出典:『漱石全集第16巻』岩波書店、1986年)

 やっと西洋の人文科学を日本語で考えることができるようにした先人たちの努力に対し、今の政府の提言は日本語では学問も仕事もできないと英語植民地になる宣言をするようなものではないだろうか。
キンギョソウ


稲嶺当選で、本土の民意が問われている

2014年01月20日 | インポート

Photo
 安倍晋三内閣総理大臣殿。
 沖縄の実情を今一度見つめて戴きたい。沖縄県民総意の米軍基地からの「負担軽減」を実行して戴きたい。
 以下、オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村関係4団体、市町村、市町村議会の連名において建白書を提出致します。
1.オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること。
2.米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること。

 
 これは、昨年の1月28日、沖縄県内41市町村のすべての代表が安倍首相に手渡した「建白書」である。
 しかし、沖縄防衛局は米軍普天間飛行場を名護市辺野古に移設するために公有水面の埋め立て承認書を仲井眞沖縄県知事に提出した。このことについて、共同通信が全国世論調査をした結果、55%が「評価する」と回答。「評価しない」は、37.6%だった。
 沖縄タイムスの社説(3/26)は、「建白書」を提出した時の「大手マスコミの報道と沿道の冷淡な反応が、今回、世論調査の数字として表れたとみれば不思議はない。」「落胆と失望を禁じ得ない。切なくなるような数字だ。沖縄と本土の溝をどうすれば埋められるのか。」と報じた。
 そして、昨日。移設反対の稲嶺進さんが名護市長に再選された。札びらで沖縄を屈服させようとした安部首相に、沖縄の民意は、はっきりとNO!をつきつけた。
 問題は、これからである。私たち本土が、沖縄に落胆と失望を与えないよう応えなければならない。
(辺野古の米軍の鉄条網2007年)


 「私らは侮辱のなかに生きている」

2014年01月17日 | インポート

Photo 2011年7月16日の、「さようなら原発10万人集会」(代々木公園)で大江健三郎が中野重治の短編小説『春さきの風』を引用した言葉だ。
 最近の大江さんの著作「晩年様式集」(講談社)で、この事実が記述されていた。その部分を引用する。(語り手は、作家の妹である)

 中野のその文章を、あれだけ大きい集会で聞く意外さが胸に響いたし、周りの見るからに一般市民の参加者にも、感銘は連動してゆくようでした。そこを写します。

もはや春かぜであった。
それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。
風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。
それはケシ粒のように小さく見えた。
母親は最後の行を書いた。
「わたしらは侮辱のなかに生きています。」
 それから母親は眠った。

 兄さんが自分の考えることとして、それに続けたのはこうでした。老年の小説家であるあなたは、これだけナマの感じの文章は『晩年様式集』にも書き入れませんから、会の参加者から拍手があったところを、わたしがビラの裏に書いておいたもので引用します。
 《なによりこの母親の言葉が私を打つのは、原発大事故のなお終息しないなかで、大飯原発を再稼動させた政府に、さらに再稼動をひろげて行こうとする政府に、私はいま自分らが侮辱されていると感じるからです。
 私らは侮辱のなかに生きています。今、まさにその思いを抱いて、私らはここに集まっています。私ら十数万人は、このまま侮辱のなかに生きてゆくのか? あるいはもっと悪く、このまま次の原発事故によって、侮辱のなかで殺されるのか?
 そういうことがあってはならない。そういう体制は打ち破らねばなりません。それは確実に打ち倒しうるし。私らは原発体制の恐怖と侮辱のそとに出て、自由に生きて行けるはずです。そのことを、私は今みなさんを前にして心から信じます。しっかり、やりつづけましょう。》

 この私小説は、3.11以降の同時代の記録としても、大江が自らの作品を丁寧に振り返る内容も興味深かった。

 さて、この「私らは侮辱のなかに生きている」で始まる「永続敗戦論」(白井聡著、太田出版)もすぐれた著作である。戦後は、日本が「敗戦の事実を無意識の彼方へと隠蔽しつつ、戦前の権力構造を相当程度温存」するために「敗戦」を「終戦」と呼びつづけると指摘する。冒頭部分を少し引用すると、

そう、われわれはまさに侮辱のなかに生きている、侮辱のなかに生きることを強いられている。大江のこの発言は、関西電力大飯原子力発電所の再稼働が、高まる抗議の声を押し切るかたちで、しかも「国民の生活を守る」(野田首相・当時)という理由づけによって強行されたことに、直接的には向けられている。だが、その含みはより広い。
 福島第一原発の事故以降引き続いて生じてきた事態、次々と明るみに出てきたさまざまな事柄が示している全体は、この日本列島に住むほとんどの人々に対する「侮辱」と呼ぶほかないものだ。あの事故をきっかけとして、日本という国の社会は、その「本当の」構造を露呈させたと言ってよい。明らかになったのは、その住民がどのような性質の権力によって統治され、生活しているのか、ということだ。そして、悲しいことに、その構造は、「侮辱」と呼ぶにふさわしいものなのである。

3.11から3年、文学、思想として2冊の本が真摯に向き合っている。来週は、都知事選挙が告示される。私たち都民は、侮辱する体制を打ち破ることができるのか問われる。
(ハボタンとシクラメン)


警戒しつつ従属させよ!?

2014年01月16日 | インポート

Photo
 柳澤協二さん(元防衛省官僚)、半田滋さん(東京新聞記者)、屋良朝博さん(沖縄の論客)と立場の違う3人が、安倍政権に戦争ができる国づくりに対して、論文を書き鼎談している本「改憲と国防」(旬報社)は、今の状況に的確に警鐘を鳴らしている。その断片をいくつか、紹介すると、

・ニューヨークタイムズの従軍慰安婦広告に名を連ねた安倍晋三を米国は警戒している。
・安倍の嫌う戦後レジュームは、憲法の平和主義と軍事的対米従属。しかし、対米従属の足かせとなる憲法9条を放棄して「集団的自衛権」(米国の傭兵)になることは、対米従属一辺倒になる矛盾。
・沖縄はアジア経済圏のハブとなる。沖縄を軍事的前線にして戦争の危機を高めるより、歴史的・文化的に日本にとって重要な資産として考えるべき。
・星条旗新聞(米軍の新聞)は、安部は日米同盟強化と言うけど「お願いだから、私たちを、日中でいまやろうとしている、人が住まないような岩の取り合いに巻き込まないでくれ」という論調。
・サンフランシスコ平和条約(1952年4月28日)と日米安保はセットだった。ここで対米従属の意思決定がなされた。
・リムパック(米軍の環太平洋合同演習、日韓なども参加)に中ソも参加する状況で、安倍政権の国防方針は孤立路線ではないか
・日本のアイデンティティーは「米国の同盟国」であるというだけでは情けない。
・沖縄海兵隊に地理的優位性も抑止力もないのは自明である。
・集団的自衛権の行使について、「公海上の米韓防護」は現実に意味をなさないし、「米国向けの可能性のあるミサイル迎撃」は技術的に追撃は不可能である。
・安保5条(米軍が日本を守る)は、精神安定剤にすぎない。
・在日米軍の狙いは日本の再軍備阻止でもある。

 これらの論調は、米国の日本を「警戒しつつ従属させる」政策と戦争前夜の状況への的確な警鐘だと思うが、みなさんどう思いますか?
  (オキザリス


「若い人たちのため、残りわずかな命を(特定秘密保護法)反対に捧げたい」 瀬戸内寂聴さん

2014年01月14日 | インポート

安倍政権が復活してから1年が過ぎました。政権発足直後こそしばらくは慎重な舵取りをしていましたが、参議院議員選挙により衆・参議院ともに過半数を獲得してからは、一気に右にハンドルを切り、アクセルを踏み込んでいます。
秋の臨時国会では、「安全保障会議設置法」(いわゆる日本版NSC)を成立させるやいなや、残された審議日数が全くない中で、度重なる強行採決という暴挙の末、「特定秘密保護法」などの法案を強引に成立させました。特定秘密保護法は、指定される「特定秘密」の範囲が政府の裁量で際限なく広がる危険性を残しており、指定された秘密情報を提供した者にも取得した者にも過度の重罰を科すことを規定しています。これは、憲法によって保障された基本的人権と国民主権をないがしろにするばかりでなく、民主主義の根幹にも関わる表現の自由をも危うくするものであり、断じて廃案とすべきものでした。
年内に施行される特定秘密保護法に対し、作家の瀬戸内寂聴さん(91)が「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」と批判の声を上げました。10日、朝日新聞のインタビューに答え、自らの戦争体験から危険性を訴え、廃止を求めています。ご紹介します。

 

Images_2 表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。
 首相が集団的自衛権の行使容認に意欲を見せ、自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。
 戦争に行く人の家族は、表向きかもしれませんが、みんな「うちもやっと、お国のために尽くせる」と喜んでいました。私の家は男がいなかったので、恥ずかしかったぐらいでした。それは、教育によって思い込まされていたからです。
 そのうえ、実際は負け戦だったのに、国民には「勝った」とウソが知らされ、本当の情報は隠されていました。ウソの情報をみんなが信じ、提灯(ちょうちん)行列で戦勝を祝っていたのです。
 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。
 自分が死ぬと知りながら戦闘機に乗り込み、命を失った若い特攻隊員もたくさんいました。
 私は「生き残っているのが申し訳ない」という気持ちを心の底に抱えて、戦後を生きてきました。だからこそ、戦争を再び招くような法律には絶対反対なのです。
 日本人はあまり自分の意見を言いません。「お上の言うまま」という感覚が身についていて、「辛抱するのが美徳」とする風潮もあります。でも、もっと一人ひとりが、こういう風に生きたい、生きるためにこうしてほしいと心の欲求を口に出すべきです。その手段の一つがデモです。
 ところが自民党の石破茂幹事長は、そのデモがテロ行為に結びつくとブログに書いた。むちゃくちゃな話です。国民の意見を無視する政治は民主主義ではありません。だから、もっと大きなデモが起きてもいいと思うのです。
 いまは株価も上がり、景気が上向きに見えます。首相は自信を持って、憲法改正や集団的自衛権の行使容認に踏み込めると思っているのかもしれません。国民は景気だけを見ていてはいけません。危険性に気づかないといけません。戦争を経験している人はみんな、そう思っているはずです。
 私は、残りわずかな命を秘密法反対に捧げます。でも、私たちのように戦争を生き残った一握りの人間たちだけだと、とても戦えません。若い人たちこそ、歴史の過ちをもう一度振り返ってみてほしい。そして、「これは間違っている」と立ち上がってほしい。


アンダーコントロール

2014年01月10日 | インポート

Photo 今日の報道によると、「東京電力福島第一原発の敷地境界の放射線量について、汚染水タンクなどによる影響が年8ミリシーベルトと同社が推計していることがわかった。基準の8倍の数値にあたる。原子力規制委員会は10日に会合を開き、対策の検討を始める。東電によると、高くなっているのは、敷地の南で高濃度汚染水をためているタンクエリアの近く。昨年4月の地下貯水槽からの汚染水漏れでタンクに高濃度汚染水を移送したことで敷地境界の線量が上昇。5月には同7・8、12月には同8に上がったと推計した。(朝日新聞)」
 つまり、安倍首相がオリンピック招致演説で「
Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,
the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.(フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。)」と言い放った直前にも、その後もコントロールどころではない事態だったということである。
 立ち並ぶタンクのあちこちから汚染水が漏れ、地下水は山側から容赦なく流れ込み、汚染されて海に流れ出ている。汚染水はいま、「アウト・オブ・コントロール(制御不能)」に他ならない。
 安倍首相はノルウェーの委員からなぜそういうことが言えるのかという質問に「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内で完全にブロックされている。日本の食品や水の安全基準は世界でも最も厳しく、健康問題は今もこれからも全く問題ないことを約束する」とも発言した。これは、世界に対する公約と言っていい。世界から嘘つきと言われないよう対応されたい。
サザンカ


積極的平和主義

2014年01月09日 | インポート

Photo
 安倍首相が「積極的平和主義」をとなえているが、最近問題になった食品偽装や、ダイエット誇大広告詐欺と同じ手口ではないか。
 積極的平和(Positive peace)とは、1942年(昭和17年)、クインシー・ライト(社会学者・米国)が執筆した「戦争学」で、「消極的平和」と併せて使ったのが始まりとされる。その後、米国に留学していたヨハン・ガルトゥング(平和学者・ノルウェー)が「消極的平和」を戦争のない状態、「積極的平和」を戦争だけでなく貧困や搾取、差別などの構造的な暴力がなくなった状態、と定義して定着した言葉である。
 安部首相の「積極的平和主義」とは、これと似て非なるものだ。
 彼は、国連総会で「積極的平和主義の立場から、PKOをはじめ、国連の集団安全保障措置に、より積極的に参加できるよう図ってまいります」と演説。所信表明では「『積極的平和主義』こそが、わが国が背負うべき二十一世紀の看板」と強調し、自衛官の海外での活動などに触れ、国家安全保障会議(NSC)の創設を意欲的に語った。また、米国でのスピーチでは、「Proactive Contributor to Peace(率先して平和に貢献する存在)」という言葉を使い、これを首相官邸のホームページ上では「積極的平和主義」と訳している。しかし、前述のガルトゥングの「積極的平和」は「Positive peace」である。従って、安部首相の発言を「積極的平和」と受け止める者は日本以外にはないだろう。それどころか、「Proactive」は軍事用語として「先制攻撃」のニュアンスで使われこともあるそうだ。まさに言葉の偽装にほかならない。
 今日のニュースで、自民党が今年の運動方針原案の「(靖国神社参拝に関し)不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現を削除して「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加したことが明らかになった。
 戦争する国家になるために「英霊」を尊崇することも「積極的平和主義」と言いくるめるのだろうか。

ツワブキ


成功は失敗のもと

2014年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

いきなりなタイトルにしてしまったが、もちろんふつうは「失敗は、成功のもと」である。しかし、歴史を振り返ると、なまじ成功したがために、もっと大きな失敗をしてしまうというケースがあると思う。

よく言われるのが、近頃アニメや映画で取り上げられる「ゼロ戦」だ。登場した時は、その戦闘能力は、抜群だったらしい。しかし、そのために機体を極限まで軽量化したことによって、肝心のパイロットの安全は全く顧みられず、あっという間に、グラマンにやられることになる。「日本海海戦」の成功体験が、忘れられず、巨砲戦艦による海戦での一発勝負にかけた日本海軍も、その一例だろう。

こんなことを考えたのは、「日本型モノづくりの敗北」という本(湯ノ上隆著、文春新書)を読んだからだ。1980年代日本の半導体メモリは、世界を席巻していた。世界シェアの80%を占めて、なおかつ最高品質を誇っていた。しかし2000年代には、主要メーカーは撤退を余儀なくされ、経産省のおこえがかりで作られた「エルピーダメモリ」という合弁会社は、2012年に経営破綻してしまったそうだ。そのほか、デジタルテレビでは、「世界の亀山モデル」をキャッチコピーにしたシャープや、高画質を売り物にしたソニーなど、2000年代の初めには、世界でそれなりのシェアを持っていたが、現在は、サムスン電子とLG電子の韓国メーカーで、世界シェアの40%近くを占めているらしい。

この本を読むと、半導体メーカーや家電メーカーの成功と失敗がとてもよくわかる。また、電子産業における「国策」による失敗についても、事例を挙げて解説している。興味を持った方は、ぜひご一読をお勧めする。


私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」

2014年01月07日 | インポート

私は、チャップリンの映画がとても好きだ。子どもの時には、変なおじさんが可笑しな格好でヘマなことをしているようにしか思えなかった映画が、人への愛と優しさに満ちた映画として魅了されるのに、それほど多くの時間は必要なかった。
昨年、特定秘密保護法が成立させた安倍政権は、すでに武器輸出を原則として禁ずる武器2014年は、非常に厳しい年になるだろう。輸出三原則を撤廃することも決めている。さらに、年頭のテレビ番組で石破茂自民党幹事長は、集団的自衛権の解釈見直しについても「安倍晋三首相も私も、総裁選で、絶対やるといった。やります。」と公言している。このような年の初めに、チャップリンの映画「独裁者」での「大演説」の言葉に耳を傾けることは、けっして無駄なことではない。映画の中で行われた演説はすべてチャップリン自身によって書かれ、歴史上もっとも感動的なスピーチとさえ言われている。

申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。それは私には関わりのないことだ。誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。
私たちは皆、助け合いたいのだ。人間とはそういうものなんだ。私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。
この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。
私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。
知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。
飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。
今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。

私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。

私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。
兵士たちよ。獣たちに身を託してはいけない。君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。
そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。君Chaplin_great_dictator_final_2たちは機械じゃない。君たちは家畜じゃない。君たちは人間だ。君たちは心に人類愛を持った人間だ。憎んではいけない。愛されない者だけが憎むのだ。愛されず、自然に反する者だけだ。
兵士よ。奴隷を作るために闘うな。自由のために闘え。『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての 人間の中なのだ。君たちの中になんだ。君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。
だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。 皆でひとつになろう。 新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。
そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らは嘘をつく。約束を果たさない。これからも果たしはしないだろう。独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷
今こそ、約束を実現させるために闘おう。世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。
理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。兵士たちよ。民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。


あけまして おめでとう ございます

2014年01月06日 | インポート
Img_7038あけまして おめでとう ございます
年の初めに、日本人の源について子どもたちとともに学ぶことのできる沖浦和光さんの文章の冒頭を紹介したい。
「日本人」はどこから来たのか
個々の日本人は多様なルーツをもっている
 日本人の両親のもとに生まれた、あるいは日本で生まれ育った人は、ごく自然に自分を「日本人」だと考えます。しかし、歴史を遡っていくと、私たちはいくつかの異なった民族に分かれます。
 そしてそれぞれの民族集団は、何万年もの間に、北から南から、そして西から東から、順次やってきては根を下ろしました。つまり先にやってきていた民族に戦いをしかけ、征服し、あるいは婚姻し、この日本という土地に根付いていきました。こうしたことが数万年の間に数え切れないほど繰り返された結果が今の日本人です。
 つまり、私たちの言う「日本人」とは、いくつかの異なる系譜をもった民族集団が、複雑にからみあい混じりあっており、決して「日本人」というひとつの系譜にはまとめられない。同様に、日本文化といわれるものも、渡来してきた民族集団がそれぞれ持ち込んだものが混じり合い、あるいは日本の風土に合わせて変化してきたものなのです。
 なぜ、私がこのことを強調したいかというと、ことさらに「日本人」の優秀さを強調したり、「日本人」としてどうあるべきかという精神論、教育論を国民に押しつけようとする風潮が根強くあるからです。これだけ情報にあふれた社会でありながら、「日本人」がどうやって形づくられてきたかは驚くほど知られていません。私たちはまず、私たち一人ひとりのルーツは多様であるという事実を知る必要があります。

 この後、「ヒト」「日本人」の成り立ちについて、わかりやすく説明している。
 混血、混合の民族である日本人だからこそ、憲法9条を産み出す智慧が必要だったことがわかります。
 沖浦さんは、比較文化論、社会思想史の研究者ですが、「10代の人権情報ネットワーク」というブログにこの論文を寄稿されている。このブログには、他にも沖浦さんの「なぜ人は歌い、踊り、演じるのかー芸能の起源について考えるー」や村﨑太郎(猿まわし師)さん、KONISHIKI(小錦)さんなどが寄稿、対談を載せているので、ぜひご一読を。
10代の人権情報ネットワーク(http://www.jinken.ne.jp/be/index.html)
(初日)