東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

死の授業

2012年05月31日 | インポート

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 ご覧になった方もおいでになると思いますが。2009年1月25日にNHK「課外授業/ようこそ先輩」で放映された新井満さんの「死の実験と生きる役割」が書籍化された。(「死の授業」講談社)
 新潟地震に遭遇して死に直面したことで、生きる喜びを感じた自身の体験から授業を組み立てている。

 母校の中学生に死を疑似体験させて、生の喜びを実感する授業の筋道はこうだ。

 まず、生徒に自分の大切な人(もの)を絵に描いてもらう。その絵をたき火に入れて燃やすことで、大切な人(もの)を失う気持ちを疑似体験する。現実には、失っていない大切な人(もの)があることを思い起こすことで、生きている今の大切さを実感する。宿題は、家族にインタビューと作文「私の役割って、何?」その作文を見ながら、ひとりひとりと面談する。

 ショッキングな授業だけに、個人面談(カウンセリング)によるフォローをはじめ、生徒への言葉かけも綿密に用意されている。

 こんな授業を、やってみたいと思う。しかし、今の学校の状況で可能だろうか?と思うほど教職員は多忙で、カリキュラムは過密、ゆっくり子どもたちと触れ合う時間も少ないことが心配である。

(猫と菜の花)


長岡の花火

2012年05月30日 | インポート
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 あの裸の大将、山下清画伯が描いた「長岡の花火」という名作があります。1949年(昭和24年)の夏、放浪中の旅ではなく、日本一の花火を見るために山下清は長岡を訪れました。その翌年、脳裏に焼き付けた記憶だけで生まれたのが、あの天才的貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」です。夜空に描かれた大小の花火だけでなく、信濃川の水面に映る花火、ぎっしりと埋め尽くされた観衆まで描かれています。その山下清が素敵な言葉を遺しています。?「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」
「長岡花火」を通して、「平和」、「幸せ」とは何かを問いかける映画「この空の花」-長岡花火物語-(大林宣彦監督作品・6月から全国上映)のコンセプトにも「世界中の爆弾を全て花火に替えたい?二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいから・・・」と結んでいる。
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(シモツケ)


アジサイ電車

2012年05月29日 | インポート

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 「目に青葉 山不如帰 初鰹」とは、あまりにも有名な句だが、今まさに山々は新緑の季節を迎えている。窓の向こうには、様々なグラデーションの緑が山を覆っているのが見える。東京の奥座敷ともいわれる箱根は、平日というのににぎやかだ。

 88パーミル(1000メートル走る間に88メートル登る)という粘着運転では日本最急こう配の箱根登山電車が、ほぼ満員の乗客を乗せて箱根の山を登っていく。あちこちで中国語や韓国語が聞こえるのが時代を物語っている。舌にまとわりつくような発音が印象的なのはタイ語だろうか?
 出山信号場についた登山電車は、急こう配を登るのに進行方向を変える。鉄道ファンならばよく御存じの「スイッチバック」である。箱根の登山電車はこの後、大平台駅・上大平台信号場と計3回のスイッチバックを繰り返して、標高553メートルの強羅駅まで上る。ふもとの箱根湯本駅との標高差は445メートルである。
 スイッチバックは急こう配を登るためにあるのだが、登山電車は登った以上降りてこなくてはならない。それも「安全に」である。1926年(大正15年)1月16日、小涌谷―宮ノ下駅間で箱根湯本行き電車のブレーキが利かなくなり、カーブを曲がりきれず脱線する事故があった。この事故では、17名が死亡し10名が負傷したが、事故原因の詳細は不明とされている。以来、80余年にわたって登山電車の事故は起きていない。登山電車は通常のブレーキ装置に加えてレール圧着ブレーキや、フランジ摩耗防止装置などを備えている。安全運行を担保するのは、こうしたシステムだけではない。そこで働く人々の「安全」への熱意も重要だろう。のんびりと初夏の景色を楽しみながらも原発やツアーバスの事故のことを考えてしまった。

 アジサイ電車としても知られる箱根の登山電車だが、アジサイの見ごろももう間もなくである。

                                    (アジサイ)


He who cannot,teaches.

2012年05月28日 | インポート

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「できるものは自分でやる、できないものが教える"He who can,does. He who cannot,teaches."」と言ったのは、バーナード・ショウ。教える者(教員)にとっては耳の痛い至言だが、教えるとともにできるものでありたい。池澤夏樹さんがプレイボーイに連載した名言集「叡智の断片」(集英社)が刊行されている。

 池澤さんのとっておきは、「ゴルバチョフの名言、迷言?

 『ミッテランには100人の愛人がいるが、その中の一人はエイズである。ブッシュには100人のボディーガードがいるが、その中の一人はテロリストである。私には100人の経済顧問がいるが、その中に一人優秀な者がいる。いずれも誰だかわからない』」
もう一つ「Love is like war : easy to bigin but very hard to stop.」愛は終わらせたくないが、戦争は終わらせたいものですね。 

                                                                                   (ボケ)


都市伝説「モモタロウ」

2012年05月25日 | インポート

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 不確実な世界と人々の不安を反映して都市伝説が広まっている。他愛のないもの(学校の怪談)から、放っておけない(チェーンメール)まで様々だが、伝説には発信する人と意図がある。昔話も同様で、桃太郎伝説の起源を追った「桃太郎と太閤さん(前田晴人、新人物往来社)」は興味深い。
 桃太郎伝説は、江戸時代に秀吉に仕え、島津(薩摩)を平定して熊本を領土とした細川幽斎が創作した話という説。

 天皇制と桃太郎(=秀吉)と鬼(朝鮮侵略等)を結びつけた興味深い論説。家康の二男・秀康が建てた気比神宮(福井)の桃太郎像から、吉備津宮(岡山)の異なる鬼退治(賀陽-伽耶氏と犬養部)の伝説と黍団子を結びつけ、桃太郎の家来になった申・酉・戌は西方を指すなど桃太郎伝説が民間伝承でないことを立証している。古代史の専門家らしく古代大王の権力成立から武士の時代、象徴天皇の起源にも通じる論考だった。いま、新たな侵略の政治的・思想的柱として、桃太郎の再来を人々が望んでいるようで恐ろしい。

                                                                                        (シャガ)


内部被曝に負けない体の作り方

2012年05月24日 | インポート

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被ばく治療の第一人者、肥田舜太郎医師が「内部被曝」を刊行した。(扶桑社新書)

日刊SPA!で、その紹介をしているので引用する。

肥田舜太郎「内部被曝に負けない体の作り方」
 原発事故で、大量の放射性物質が日本中にバラ撒かれた。“1億総被曝時代” となった今、95歳の肥田舜太郎医師の言葉に耳を傾けたい。肥田医師は、広島市への原爆投下により自らも被爆。その後、6000人を超える被爆者を診てきた。67年間にわたる経験から見出した「内部被曝に負けないカラダの作り方」とは?

 低線量被曝・内部被曝」の本当の恐ろしさは、数年後、数十年後にその影響があらわれるところにあります。飲食や呼吸で体内に取り込んだ放射性物質は、内側からじわじわ体を蝕んでいくのです。広島・長崎の原爆でも、直接爆弾に被弾したわけではないのに、多くの人が原因不明の症状に苦しみながら亡くなりました。

 実は「高線量×短時間被曝」よりも「低線量×長時間被曝」のほうが、より細胞組織を壊してしまうという実験結果が数多くあるのです。

――それでは、この内部被曝を防ぐためにはどうしたらいいのでしょうか。

 子供や妊婦のためにはできるだけ安全な食べ物を確保するべきだと思いますが、私たち全員が1年に1000食以上、完全に安全な食べ物を食べるというのも無理な話です。であれば、唯一の方法は「放射線に対する免疫力を弱めない」ことしかありません。

 そもそも「生きる」ことは「放射線と闘う」ということです。約40億年前に地球に生命が誕生してから多くの生物が紫外線と放射線で死に、奇形もどんどん生まれました。しかし長い年月を経て進化を続け、私たちは放射線に抵抗する免疫を高めてきたのです。

 その免疫を弱めないためにいちばん大事なことは「早寝早起き」です。そしてたっぷり時間をかけながらよく噛んで食事をすること。発酵食品で使われる微生物も、人間同様に放射能と闘いながら進化してきました。微生物が生きている発酵食品を積極的にとることもよいでしょう。また、カロリーや塩分を摂りすぎず、腹八分目を心がける。偏った食事をせず、野菜を中心にできるだけ多くの種類の食べ物を少しずつ食べましょう。
 
 これらは一見簡単なことのように思えますが、多くの人は実行していません。その結果、先祖から引き継いできたせっかくの免疫力を弱めてしまっているのです。

 <取材・文・撮影/田中裕司 北村土龍>http://nikkan-spa.jp/173511

                                        (綿花)


ツッパリの卒業

2012年05月23日 | インポート
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 東京高齢・退職者団体連合(連合東京の退職者団体)のニュース「ひとこと」欄に、東京教組の先輩、柴田廸春さんの著書「起き上がり小法師ーツッパリの卒業」(発行:クリエイティブ21)のことが掲載された。一部を引用する。
 「教室からハミ出し“反社会的”とさえレッテルを貼られた生徒を見捨てる事なく、正面から向き合った教師の物語である。ツッパリをかばい、卒業生代表まで押し上げたクラスの仲間も居た。彼らはその後、さまざまな経験を積みながら、仕事を持ち、家庭を持って立派に一人前の社会人になって行く。
 これは、教育とは何か、エライ人が上から目線で教えをたれることではなく、相手からも”学ぶ”ことを通じて人間形成をはかっていくことではないかと考えさせられる。
 全国には、こういう努力を日々続ける教師が何人もいるのではないか。少しばかり票を集めたからといって思い上がり、教育を自分の考え通りにするとか、君が代を歌わない教師を追放するとか言っているどこかの知事は何もわかってないのだ。」
                             (ヒメジョオン)


原点(オリジン)

2012年05月22日 | インポート
Photo_2 デモクラシー(民主主義)とは古代ギリシャのデモス(人民)クラトス(力)からきている。国民国家を支えるのではなく、国家と対等であること。
 大きな人間が戦争を始めるが、戦争を実行するのは小さい人間であること。戦争をさせるのも、やめさせるのも、その犠牲になるのも小さな人間でる。
 その小さな人間として徹底的に哲学した小田実、彼と共にベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)を築いた鶴見俊介が小田の死後に二人の共著として「オリジンから考える(鶴見俊介・小田実、岩波書店)」を刊行している。
 小さな人間の位置から考え、行動する東京教組でありたい。

                (ムラサキツユクサ)



金環日食

2012年05月21日 | インポート

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 多くの子どもたちが、登校前、運動会の振替休日の朝、雲間から見えた皆既日食を観察したと思う。自然の時、場所、天候のすべてが一致したときに見せる太陽と月の姿は、私たちの人生の記憶として刻まれ、共有される。まさに、自然そのものの姿に、いにしえの人々は日食を畏れの記憶として共有したが、今の私たちはテレビ映像も含めて天体ショーとして観る。
Img_4701 この、自然の時、場所、天候が創る金環日食は、震災を含む自然災害と全くかわらない。とすれば、いにしえの人々が日食を畏れた「畏敬の念」こそ大切にすべきではないだろうか。

(2012年5月21日、雲間の金環日食、木漏れ日の金環日食)


教員免許状がない!

2012年05月18日 | インポート
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「教員免許更新」の単位を取得したにもかかわらず更新手続きをしなかったために失職した教員がいた事を機に、全教員に教員免許状の原本提示を求める通知が出て、教育現場は大混乱。
 無免許で教員をやっている訳ではない。大学卒業時に取得した免許状をどこにしまったか、見つからない人も多い。教員免許って、運転免許のように常に携帯し、提示を求められれば出さなければならないものではないだろう。
 免許がなければできない料理人(調理師免許)を、免許の有無で判断して料理を評価する人はいない。日々の教育実践で子どもや保護者から評価される事は当然としても、超多忙な教員が、免許状の提示、なければ授与証明書を都教委に申請しろと通知している。そのことにかける手間を子どもに向けるべきだろうし、授与証明書の申請が殺到する都教委も、多忙な中、余計な仕事が増えて困るだろう。まして、更新手続きが必要ない教員まで提示を求められているのは、あまりにも杓子定規ではないだろうか。免許状のない民間校長を含む管理職や主幹などはどうするのか?いずれにしても、「免許更新手続き」についての注意喚起で済む問題だと思う。
                          (ユキノシタ)

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町田ゼルビアから学びました!

2012年05月17日 | インポート

Photo 町田ゼルビアフットサルパークで行われた、町田教組・東京教組青年部の新歓学習会に行ってきました。大学生から大ベテランまで、合計29名(女13名・男16名)が参加しました。元教員であるゼルビア代表の守屋実さんのお話から始まり、約2時間。ボールを使わない準備体操から、ミニゲームまで、頭と体を動かしっぱなしでした。
 特に印象的だったのは、サッカーを通してコミュニケーションをする力をつけて欲しいという講師の言葉。鬼ごっこやパス練習など、声を掛け合い、相手の動きを考えながら活動していくプログラムでした。仲間と協力しながら練習やゲームを行う大切さを実感させられました。今日の授業から役立つ内容で参加したみなさんにも大好評でした!!!
 お土産にゼルビアのタオルまで頂きました。次は、タオルをもって試合を見に行こう!

・・・。久しぶりに運動をしたら、体中がバキバキです。


パンツいっちょでウロウロ

2012年05月16日 | インポート
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パンツ一枚で
うろうろしたって
品のあるひとはいるもので
暮らしを共にした果てに
相棒にそう思わせるのは
至難のわざでありましょうに
らくらくとあなたはそれをやってのけた
肩ひじ張らず ごく自然に
ふさわしい者でありたいと
おもいつづけてきましたが
追いつけぬままに逝かれてしまって
たったひとつの慰めは
あなたの生きて在る時に
その値打ちを私がすでに知っていたということです


 茨木のり子さんの遺稿というか、亡くなった後、遺品の中の原稿を宮崎治さんがまとめられた詩集の一節。茨木の夫(三浦安信)への思いをつづった詩集だが、赤裸々な彼女の思いが伝わって胸が締め付けられる。「自分の感受性くらい」「倚りかからず」でみせる勁さが、そのまま夫への想いとしてつづられているように思う。
こんなふうに愛されたいものだと、つくづく思うが…値打ちを問われると心もとない。
歳月(茨木のり子、花神)                  (ケシ)


「祝」でなく「怒」がふさわしいオキナワの現実

2012年05月15日 | インポート

Hana 梅雨の合間の晴れは雨よりありがたいが、時折照りつける太陽はさすがに強い。ここは沖縄県宜野湾市。ごく普通の市街地の向こうには「世界一危険な基地」である普天間飛行場があるのだ。沖縄国際大学の横を通る。今も残る焼け焦げた木が、米軍ヘリコプターの墜落現場だということを見せつけている。
Okinawa 4日前の11日に始まった沖縄平和行進は、県内外合わせて、延べ6千人が参加した。最終日の13日は、普天間飛行場を取り囲む約8キロメートルを歩き、宜野湾野外劇場で県民大会が行われた。
 今年は、沖縄県の施政権が日本政府に返還されて40年の節目にあたる。しかし平和憲法のある本土に復帰すれば、基地のない暮らしができるという沖縄の人々の願いは実現することなく、40年が過ぎたのだ。

 「沖縄は未だに憲法番外地だ」という怒りの声を伝えていく責任があることを、県民大会3千人の拳が私に迫っていた。

                                        (アリアケカズラ・沖縄首里)


原発と人権

2012年05月14日 | インポート

Photo 6月15日に「原発と人権」をテーマに、広瀬隆さんをお招きして「人権の21世紀をつくる文化の集い2012」がきゅりあん(大井町)で開催される。
 この集いは、21世紀の幕開け2001年から「人権」をテーマに年1回開催され、「差別」「在日」「ハンセン病」「死刑と裁判員制度」「オキナワ」「同性愛」「戦争」「アイヌ民族」などの問題を取り上げてきた。
 今回は、フクシマ原発事故前に浜岡原発の危機を警告した広瀬さんに、刻々と進行する福島原発事故と、全国の原発の危機的な状況と原発による人権侵害を話していただく。
詳しくは、「人権の21世紀をつくる文化の集い」ホームページ
https://www.justmystage.com/home/jinken21/index.html

                                             (カーネーション)


オキナワ「復帰」40年

2012年05月12日 | インポート
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5月15日、オキナワは、不平等と差別をそのままに「本土復帰」40年を迎える。その日、東京教組からも、平和行進に参加する。そこで、テレビがオキナワの40年をどのように描いてきたのかを検証するために以下の番組を紹介する。
ETV特集「テレビが見つめた沖縄」
~アーカイブ映像からたどる本土復帰40年~
5月13日(日)夜22時
5月20日(日)午前0時50分 再放送
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/0513.html
沖縄の40年をテレビはどのように描いてきたのか。
アイデンティティをめぐる葛藤、沖縄戦とその記憶、基地問題と「沖縄返還」の検証テレビ番組の映像に捉えられた沖縄の本土復帰の40年間を堀り起こし、関係者への取材などを通して個々の番組で提起された事実のその後を追う。
アーカイブの映像化された記憶を足場に、沖縄の人々が40年をどう生きてきたのかを見つめるアーカイブドキュメンタリー。ナビゲーター 西谷修(東京外国語大学)

多元証言ドキュメント
「沖縄が日本に還った日~1972.5.15~」
5月18日(金)23:00~24:29
http://www.nhk.or.jp/bs/t_documentary/

NHKとっておきサンデー
5月13日(日)総合 午前11:00~11:54
<どーも、NHKです ~本土復帰40年 沖縄放送局の取り組み~>
NHK沖縄放送局では、今年1月から、県内向け番組「NHKが映した沖縄(沖縄版NHKアーカイブス)」の放送を開始。NHKに残る貴重な映像資料をもとに、沖縄の歴史を振り返っています。
また、地域向けのニュース情報番組の中でも様々な沖縄の課題を取材し、将来に向けた情報も発信しています。
地域とともに歩む沖縄局の取り組みを伝えます。

                       (シラン)
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