東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

憲法の創造力

2015年10月27日 | 日記

 テレビ朝日「報道ステーション」でのコメンテーターで知られる憲法学者の木村草太さん。
 今年、7月13日、衆議院の中央公聴会で公述人として発言し、個別的自衛権を超える集団的自衛権の行使には国民投票による憲法改正が必須であり、政府は憲法を通じて国民から負託された権限しか行使ができないと明快な論理で戦争法制を批判したことは記憶に新しい。
 その木村さんが2013年に出版した憲法の創造力(NHK出版新書)を読んだ。憲法学の入門書だが、憲法をめぐる学説・判例のおもしろさがふんだんに感じられ、とても新鮮な気持ちで憲法に接することができた。
 教職員に対する君が代の演奏・斉唱の強制・処分はパワハラであると断じ、「学校式典での国家起立・斉唱命令は、先生方の思想・良心の自由の問題ではなく、(教育委員会・学校長が守るべき)労働環境としての安全配慮義務やハラスメント、差別の問題として考えるべきだ」という見解など卓見と言える。
 憲法9条についても客観的、冷静に分析し、その改憲の内容が集団的自衛権行使に到るかどうかが分水嶺であることを見事に論証している。
 9条は、非武装を要求しているのではなく、日本国が非武装を選択できる世界の創造を要求している。「憲法というのは常に未完である。世代を超えた終わりのない仕事」(奥平康広)という言葉が胸に迫る。
 次の世代に、この仕事を引き継ぐことが私たち教員の仕事である。


先生。壊れている本を見つけました

2015年10月23日 | 日記

 日教組の学校図書館全国集会に参加した。
 昨年は初めて参加し、右も左も分からず各道府県の仲間のすばらしいレポートを聞いてただただ感動したり、反省したりしていた。今年は一念発起し、日々の細かい実践を少しずつ書きためてリポートとして発表した。
 昨年、学校図書館法が改正され学校司書を設置することが努力目標になり、この4月から施行となった。今年の全国集会は、その法改正をふまえ今後の学校図書館について活発な議論が交わされた。図書館へ本を読みにまたは調べに来る子どもたち、その図書館の本を整理する学校司書、図書館の本と学校教育の橋渡しをする司書教諭、それぞれの「ひと」がそれぞれの場面で本に関わることによって図書館が活性化するという、当たり前のことが改めて認識された。
 新学期になり、司書教諭として昼休み図書館の閲覧室で壊れた本の修理をしている。一人の生徒が「先生。壊れている本を見つけました」と2冊本を持ってくる。その2冊を先に10分ほどで修理する。本の修理が終わった瞬間。生徒の表情がパッと明るくなり「ありがとうございました」と大きな声で挨拶してくれた。その元気な声でがんばれそうな気がした。


この若者たちは、私たちの誇り!

2015年10月20日 | 日記

 18日渋谷での、SEALDs 小林叶さんの素晴らしいスピーチをFBから転載させていただきます。。文字起こしは、米国LA在住・鈴木 正師さんがしてくれました。
 この若者達を私たちは誇りに思います。

渋谷の皆さん、こんにちは。国際基督教大学4年の小林です。
戦後70年の歴史を大きく変える法律が、先月可決されました。私も、連日国会前で声を上げました。
しかし、そんなことには目もくれる余裕もないほど、毎日を生きることに精一杯な人々がいます。
1日中朝から晩まで必死に働き、それでも子どもを高校へ進学させてやれない120万人ものシングルマザー。
明日自分のクビが切られるかもしれない不安に怯える250万人の派遣労働者。
ご飯をおなかいっぱい食べることができない320万人の幼い子どもたち。
私が今こうして話している間にも彼らが考えていることは、
もし自分の家が生活保護を受けていることがばれたら、周りに白い目で見られてしまうのではないか、ということ。
大学進学のために借りる500万の奨学金を自分の力で返済できるのか、ということ。
もし自分一人で子供養うとしたら、月10万円の給料でどうやって暮らせばよいか、ということ。
もし明日仕事を失ったら、自分の居場所はこの社会に存在するのか、ということ。
つまり、今日を生き延びることができるか、明日を無事に迎えられるか、それが彼らの切実な思いではないでしょうか。
安倍首相は日本を「美しい国」、「すべての女性が輝く社会」そして、「一億総活躍社会」にしたいそうです。
しかし現状はどうでしょうか。
この国には、進学を諦めキャバクラで働き、家族を養わなければならない10代の子がいます。
この国には、子どもの学費のために裏で自分の内臓を売り、生活をつなぐ母親がいます。
この国には、何度も生活保護を申請したが拒否され、食べるものもなくやせ細り、命を失った女性がいます。
この国には、ひとりぼっちで、誰にも看取られることなく、冬の寒空の下、路上で命を落としていく人々がいます。
そんな彼らを、「今まで何していたんだ? 努力が足りないんじゃないか!」と切り捨てる。それが日本の政府です。
私は言いたいです。たった一人の、たった一人の子どもの命も救えない、たった一人の母親に生きる希望を与えることができない、そんな国の言うことを、私達はどうして信じることができますか?
学費を稼ぐため風俗で働くのは、あなたの子どもかも知れません。
ストレスと鬱に苦しんで自殺するのは、あなたの父親かも知れません。
冬、暖房のない部屋でやせ細って死ぬのはあなた自身かも知れません。
そして政府は、そっとあなたに囁くでしょう。食事も住居も用意してくれる、学費も肩代わりしてくれる、そんな仕事があるよ、と。
そうして、その仕事についたあなたは、他国の脅威から「日本を守る」ため、遠く離れた大地へと送り込まれることとなるでしょう。

しかし、忘れないで下さい。

あなたが守るはずの日本に、あなたは殺されそうになっているのだということを。
あなたにとっての脅威は他国ではなく、この国であるということを。
あなたの生活は今まさに、この国によって存立危機事態に追い込まれているのだということを。
私が思い描くのは、こんな未来ではありません。
誰もが、心から、生きていて良かったと、自分はこの世界に生まれてきて良かったと言える、
あなたにしか聞けない声があり、あなたにしか見えない世界があり、あなたにしか語れない言葉がある、
そんな他の誰でもない、そんなあなたを必要としていると、
そう胸を張って言うことができる国を、私は夢見ています。
そのために必要なのは、「強い国」となるための、一発数千億円のミサイルでしょうか?

違います。

わたしたちが求めているものは、ただ、大切な人とほおばる温かいご飯であり、
望む学校へ進学できるチャンスであり、
一人親でも子どもとゆっくり向かい合うことのできる時間であり、
ひとりぼっちで悩んでいるあなたをいつでも迎え入れてくれる居場所ではないでしょうか。 

世界があるからあなたがいるのではなく、あなたがいるからこそ世界はあるのです。
希望なき人々のためにのみ、希望は与えられています。終わっているなら始めましょう。

10月18日、私は安倍政権の退陣を求めます。
ありがとうございました。(終)

<動画はこちら>SEALDs 小林叶さん(ICU)の感動スピーチ!SEALDs 渋谷街宣 2015.10.18
https://www.youtube.com/watch?v=gkTsV5XEbp0

 


「学ぶ」は「まねる」から始まる

2015年10月16日 | 日記

 オリンピックのエンブレムが盗作ではないかと問題になった。またかと思った。確かに人のものを勝手に使って自分のもののように発表するのは良いこととは思わないが、やっぱりなんか騒ぎすぎのような気がする。
 「学ぶ」の語源は「まねる」だという話を聞いたことがある。学びはまねることから始まるという。私たちは、言葉も字もそうやって憶えてきた。文を書くことにしても、良い文をたくさん読むことで、こうやって書くのかと感じとり、書いてきた経験がある。
 どこで読んだか、何を読んだか忘れていても、その言い回しは心に残っていて、自分の文を書くときに無意識でその言い回しを使っていることがけっこうある。自分で書いた原稿でさえ、それを書いたことを忘れて同じことを何度も書いてしまっている。盗んだりまねたりするつもりは全くなくても、誰かのものに似てしまうのは自然なできごとかも知れない。
 デザインにしてもそうだろうなあと思う。良いデザインをたくさん見ることで、デザイナーも学ぶと言う。そのデザイナーが、今度は自分の作品を作ろうと思えば、当然そういった作品に似たものが作られることはありうる。
 歌では、その出だしで言えば「上を向いて歩こう」はベートーベンのピアノ協奏曲第5番(皇帝)に、「知床旅情」は「早春賦」にそっくりだ。中村八大が、5番をまねしたかどうかはわからないが、よく似た曲はまだたくさんある。
 しかし、文にしても絵にしても歌にしても、その人がそれを作ったときには単にまねただけではなく、それはそれでその人の作品になっている。どんなに他から影響を受けてもそこにはその人の個性が生きている。
 こうやって私がこのコラムを書いていて、書かれている内容には、新聞やテレビで見たり聞いたりしたことが必ずどこかに入っているだろうし、はっきり使わせてもらっているものもある。それでも、これは自分の文章だ、他にはないものだと思って書いている。そして、これは私の「作品」だと思う。
 Sさんが、本当にまねしたかどうかはわからないが、本人がこれは自分の作品だと言えばそうなのだ。Sさんの他の仕事で意識的にまねしたものがあったのなら、そこはおかしいと言えばいい。でもターゲットが見つかると、これでもかこれでもかと個人攻撃が始まるのはなんなのかと思ってしまう。特定の人を攻撃することに喜びを感じるのか、学校時代に「まねはいけない」と言われ続けてきたのか・・・。まねされた人の生活をおびやかすとか、その人に迷感がかかるとかでなければ、まねは悪いことではないと思う。
 それにしても。エンブレムとか競技場とか、オリンピックの騒ぎにもうんざりする。学校では相変わらず、親の付き添いが強制され、学校はバリアブルのままだというのに、オリンピックの影でつらい思いをさせられている人がいることのほうがずっと問題だ。(あっ、これって前にも書いたような・・)


沖縄・辺野古・高江

2015年10月10日 | 日記

 10月4日~7日、辺野古・高江ツアーに参加した。
 嘉手納弾薬庫の黙認耕作地は、喜名の村落があったところ。の屋敷跡や村の拝所・ウタキなどが残っていた。強制的に軍用地に取られ、移転を余儀なくされた村人たちは、毎年、カー(井戸)の掃除や祈りをささげているという。70年もだ。
 5日は辺野古のゲート前の座り込みに参加。座り込みの人は約60人ほど。参加者からの報告あり、唄あり、踊りあり。沖縄のたたかいのおおらかさ、力強さを肌で感じた。
 ゲート前の座り込みは両脇に機動隊の車がおかれ、座り込みの現場は基地のゲートの塀と道路、機動隊の車両に囲まれている。しかも、その機動隊の車の車体の下には有刺鉄線が張られていた。そこに触れると怪我させる卑劣な仕組み。ひっきりなしに米軍の大型車両が出入する。
 辺野古漁港から平和丸に乗船して長島の間をぬけ、大浦湾のフロートまで・・・カヌー隊が頑張っていた。海上保安庁に抗議し、カヌー隊にエールを送る。
 6日目は7時にゲート前で座り込み。約40人。知事の取り消し決定をうけ、翌7日6時半には県庁前で緊急集会を開くという。「沖縄をかえせ」「座り込め」などうたったり、参加者からの報告や決意表明などうけた。ゲート前の座り込みから高江に出発。N1ゲート前の座り込みテントで説明をうけた。防衛局は座り込みテントの場所=路肩を米軍専用にし、座り込みテントの排除をもくろんでおり、6日にその裁判が開かれるという。この非暴力の座り込みすら排除とは、本当に許しがたい!次にN!裏に行った。日本最大の蝶、オオゴマダラがゆうゆうと飛んでいた。そのごG・Hのゲート前にも寄った。
 オスプレイが轟音とともにやんばるの山並みにそって訓練していた。何度も何度も轟音をとどろかせていた。
 スダジイが茂るやんばるの森・辺野古大浦湾の貴重な自然を人殺しの基地建設で壊してはならないと強く感じた。
 7日は、那覇の波の上にある対馬丸記念館へ。沖縄戦で撃沈され命を落とした子どもたちがまつられている「小桜の塔」「海なりの塔」に寄る。二度と戦争をしてはいけない!させてはいけないことは、今を生きる大人の責任だと訴えていた。
 波の上には「台湾遭難の碑」もある。1897年の琉球処分のきっかけと台湾植民地化の口実になった1871年の台湾遭難事件の犠牲者の碑である。
 沖縄には、平和を求める島ぐるみの思いが詰まっている。沖縄の平和を勝ちとることは、日本の平和を実現することだと強く感じたツアーだった。


SEALDs

2015年10月05日 | 日記

 SEALDsの奥田愛基さんはツイッターで「学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。なんか、僕だけならまだしも、なんで家族に対してもそうなるのか...。何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます。被害届等、適切に対応してます。」とつぶやいた。許されないテロであり、臆病な卑怯者の仕業である。従軍慰安婦の記事を書いた朝日新聞の元記者にも同様の殺害予告の脅迫がかつてあった。脅迫により相手を恐怖に陥れ言論を封じるやり方に対しては、言論(マスコミ)と世論が決して許さない姿勢を示し、被害者の屈っしない意志と命を守らなければならないだろう。そうでなければ、この国はテロリズムが横行する社会に堕落してしまう。

 9月23日の原発と戦争法反対集会で、上野千鶴子さんは「反安保・反原発・反基地の闘争がいま大合流する響きが私の耳に聞こえます。それに反知性・反理性に対する闘いが加わりました」と述べました。テロは、反知性、反理性の極みです。
 奥田さんは、同集会で「法案が通ったことは負けかもしれないし、重く受け止めないといけない。今までとはもっと違うやり方を試さないといけない。しかし、その新しいやり方や世代を超えて闘える準備がもうわれわれにはできている。政党を超えて、改憲も護憲も越え、われわれは安倍政権を倒す」と宣言した。
 彼へのテロは、そのすぐ後に襲った。


握手ゲーム「ギュッギュッギュッ」

2015年10月02日 | 日記

神奈川県教組の教育研究集会で紹介された、いつでも、どこでもできるコミュニケーションゲームを紹介します。
「タイ・タコ」
 まず、アイスブレイクとして、隣の人と仲良くなるゲームです。
 左手で隣の人と握手をしてください。実は、左手は決闘の握手です。
 左手で握手をしたまま、右手でジャンケンをしてください。ジャンケンで勝った人は、お魚の「タイ」です。負けた人は「タコ」です。
 今からルールを説明します。私か「タイ!」と言ったら、タイさんは、タコさんの手の甲をパシンとたたいてください。私か「タコ!」と言ったら、タコさんは、タイさんの手の甲をパシンとかたいでください。ただ、たたかれるだけでは痛いだけなので、「タイ!」と言ったら、タコさんはたたかれる手の甲を、右手でガードしてください。「タコ!」と言ったら、クイさんはたたかれる手の甲をガードしてください。
 はい、いきますよ。「ター、ター、ター、ター、タイ!」タイさんがたたくんですよ。タコさんは、たたかれないように自分の手を守ります。もう一度いきます。「ター、ター、ター、ター、タコ!」今度は、タコさんがたたきます。
「ター、クー、ター、ター、タイヤ!」タイヤさんはいないので、タイさんも夕コさんもたたきません。

次の握手ゲーム仲良しになるゲームです。
 こんどは、左手でではなく、本当に隣の人と仲良しになるために、右手で握手をします。
 私が「せーの!」と言ったら、握手している手を握ってください。ここでギュッと強く握ると、痛いので、また決闘になってしまいます。こんどは優しく握ってください。 いきますよ。「せーの!ギュッ」いいですね。
 こんどは、私が「せーの」と言ったら、「ギュッギュッギュッ」と3回握ってください。「ギュッ」のときには、声は出さないでください。
 こんどは、私が「せーの」と言ったら、「ギュッギュッギュッギュッギュッ」と5回握ってください。
 これだけだとゲームにならないので、「1か3か5」頭の中で好きな数字を思い浮かべてください。
 それでは、私が「せーの」と言ったら、お互いにしゃべらずにその数字の回数を握ってください。ギュッの回数が合えば、お互いの相性がいい証拠です。
 それでは、頭の中で「1、3、5」思い浮かべましたか。はい、’いきますよ。「せーの」(会場爆笑)回数が合ったペアはどれくらいいますか。子どもだと教室の半分くらい合うんですが…。
 実はこのゲームはコツがあります。気持ちを伝える方法は、アイコンタクトを使います。ただ、ウィンクとかまはたきの回数は反則ですからね。こんどは、相手の目を見つめて、数字を伝え合ってやってみてください。(爆笑)
 このゲームは、遠足(キャンプ・移動教室)などのバスの中でもできます。
 子どもに伝えることは、「いま、なかなか合わなかった人いるよね。今日の遠足(キャンプ・移動教室)で友だちのいいところを一つでも多く見つけると、帰りにもう一回やったときには、合うようになるんじゃないのかなー」と、いいところ探しに持っていきます。新学期が始まってよそよそしい関係のときにも使えます。ぜひ、ためしていただければと思います。