東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

経済学は人々を幸福にできるか

2016年04月26日 | 日記

 安倍首相が米ノーベル経済学者を招いて消費税について意見を伺ったニュースは耳に新しい。「消費税引き上げる時期ではない」と安倍首相に直言したのはジョセフ・スティグリッツ教授。どうもこの話、安倍首相が消費税引き上げは無理と感じてお墨付きをもらったとの見方が強い。
 このスティグリッツ教授が「彼は最も大切な先生です。研究だけでなく個人的にも教えられました。1日中、数学や経済学について語りあったものです。世の中を変えたいと経済学の世界に入った私には、刺激的でした。」と述べた経済学の師匠が宇沢弘文さんだ。
 その宇沢さんの論敵が新自由主義の旗手ミルトン・フリードマン、竹中平蔵の師匠筋だ。スティグリッツ教授は宇沢さんについて「教授の研究の大きな特徴は、格差の問題に注目したことです。 一方シカゴ大学には、格差は取り上げる問題ではないという人さえいました。
格差問題を全くかえりみない市場原理主義の考えと、教授は相いれなかったのです。」とも述べている。
 その宇沢弘文さんの著書が表題の「経済学は人々を幸福にできるか」(東洋経済新報社)だ。経済学に詳しくない人でも宇野経済学の神髄がわかる本になっている。その中の一説に憲法9条は幣原首相がマッカーサーに提言したものという一節がある。すでに定説であるが、その部分を紹介する。

 マッカーサーがトルーマンに最高司令官を解任されて本国に戻ったときに、上・下院合同の委員会が開かれて、マッカーサーが証人として二日ほど証言したことがあります。
 マッカーサーの証言は次のようなものでした。
 幣原首相があるとき、総司令部を訪ねてきてこう言った。日本が平和国家として国際社会の中でこれからも存続するためには、軍隊をもってはいけない。あなたは軍人なので、こういうことを言うのは失礼だと思うけれども、日本の新法に日本は軍備をいっさいもたないという条項を入れてほしいと。そこでマッカーサーは幣原をエンカレッジ(激励)した。だから日本の憲法に第九条を入れたことは自分の力だ。マッカーサーは自分の功績をオーバーに言う人なんですね。
 あの好戦的なマッカーサーが日本の平和憲法を作るうえでのいちばんの功労者であるということで、マッカーサーに対するアメリカの世論が一変したのです。それでマッカーサーを大統領候補に、という大きな運動が起こりました。ところが、事務局とうまくいかなくて、結局、事務局のほとんどの人が辞めてしまって選挙ができなくなったという。いかにもマッカーサーらしいエピソードが残っています。

 


熊本地方を中心とした地震被災者の皆様にお見舞い申し上げます。

2016年04月13日 | 日記

九州熊本地方を中心とした大地震で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り致します。また、お怪我や避難をされている被災者の皆様にお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧、復興を祈念致します。東京教組は、連合、日教組に結集し、全国連帯のもとに全力で支援いたします。


「母性保護論争」と「保育園落ちた日本死ね!!!」

2016年04月11日 | 日記

保育園の申し込みではねられた母親がネットに投じた怒りの書き込みが話題となっています。「保育園落ちた日本死ね!!!」というタイトルで、こう書かれています。「なんなんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」


「理不尽さを感じて、独り言のつもりで投稿した」このブログが、大きなうねりを生み出しました。このブログに書かれていることが、多くの方たちの代弁であり、共感を呼んだからです。 厚生労働省によると、全国の待機児童は2万3000人(15年4月1日現在)。東京が一番多くて7800人以上です。 

与謝野晶子が1918年3月号の『婦人公論』に寄せた「女性は徹底して独立すべし」とのエッセイに始まる「母性保護論争」をご存じでしょうか。与謝野晶子は、「欧米の婦人運動に由(よ)って唱えられる、妊娠分娩(ぶんべん)などの時期にある婦人が、国家に向かって経済上の特殊な保護を要求しようという主張に賛成しかねる。男も女も自分たちの生活とわが子の保育もできる経済力をもって、はじめて結婚すべきであり、男子の財力をあてにして結婚し分娩する女子は奴隷である」と主張し、依頼主義は女性自ら差別を招くものとして反対しました。これに対して、平塚らいてうは、「母性保護の主張は依頼主義か」と『婦人公論』1918年5月号に寄稿し、「母は生命の源泉であって、婦人が母たることによって個人的存在の域を脱して社会的な、国家的な存在者となるのであるから、母を保護することは婦人一個の幸福のために必要なばかりでなく、その子供を通じて、全社会、全人類の将来のために必要」であると反論しました。母性の保護は差別ではなく、むしろ差別からの解放であり、女性が人間として受けるべき当然の権利という視点です。 

日本という国は、残念ながら大正時代からそれほど成長していないと言うことでしょうか。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログは、国会でも取り上げられ、民主党山尾志桜里議員の質問に、安倍晋三首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と素っ気ない答弁。議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛びました。安倍首相の答弁や自民党議員のヤジには呆れるばかりですが、「プライムニュース」でのこの方たちの主張には、もはやことばもありません。 

渡部昇一さん

「日本は末端まで社会主義が浸透しているんだな。赤ちゃん産んだのはその人が育てるつもりで産んだんでしょう。そして保育園入れようとしたら入れなかった。それが国家が悪いという風に結びつくというのがねえ、これは社会主義の発想の極限という気がする。…安倍死ねならまだわかるけど、日本死ねはね、これはよくない。…気持ちはわかるけどね、国を死ねというのはおかしい」

 石原慎太郎さん

「そういうこと言うんだったら、韓国でも中国でも行けばいい」 

堺屋太一さん

「そう。イスラム国に行ったらいいと思いますよ」


交通安全運動を前に考える

2016年04月08日 | 日記

いつものように、最寄り駅を降りて交差点をわたろうと信号待ちをしていたときのことである。いつもなら本線側の信号が赤になると、交差している道路側の信号が青になるのだが、車側の信号は青になったのに、歩行者側の信号がいつまでたっても赤のままだった。信号が故障したのかと思って、赤信号のままわたってしまってから、理由がわかった。信号のシステムが変わり、横断側の車両と歩行者の青信号が分離されたためだったのだ。つまり、本線側の信号が赤になると、まず、横断側の車両向け信号のみが青に変わり、その後、車両向けの信号が、本線・横断ともに赤になってから、横断する歩行者用の信号が青になる仕組みになっていた。いわゆる「歩車分離」という信号だ。厳密には、本線と同じ方向にわたる歩行者向け信号は、本線側の信号が青になってしばらく青のままだから、全面歩車分離ではない。

この変化の理由はよくわからないが、こうした信号にすれば、左折巻き込まれ事故が減ることは、十分予想がつく。以前勤務していた世田谷区では、母親の目の前で、自転車に乗った小学生が、左折してきたトラックに巻き込まれてなくなった。教育委員会と警察から学校に、交通安全の注意喚起を求める文書が届いたが、青で進んで事故に遭うことの理不尽さを、しっかり考えたとは思えない。

こうした左折巻き込まれ事故は、後を絶たない。今年の2月に町田市でも起きている。都内では、昨年3月に多摩市で小学校2年生の女の子が、その2週間後には、江東区の交差点で小学校五年生の男の子が死亡している。ことに2月には、足立区で小学校1年生の男の子が、このときは右折してきたトラックに引かれている。いずれのケースでも、歩行者は青信号をわたっているのだから、親はやりきれないだろう。

警視庁は、多摩市と江東区の事故現場の信号を「歩車分離式」にしたそうだが、歩車分離信号の割合は、全国では2.7%にすぎないという。事故があった交差点は、最優先に「歩車分離」をすべきではないだろうか。子どもたちに「交通安全」をいう前に、大人の責任として。


「みんなの学校」が教えてくれたこと

2016年04月04日 | 日記

 昨年のブログで「みんなの学校」というドキュメンタリー映画を紹介した。
 制作した真鍋監督は、「いろんな子どもたちが一緒に学ぶことが自然だと感じるようになった。教育の多様性を知ってほしい」と語る。
 全校生徒220人のうち約30人は「発達障害」などがあるが、特別支援教室ではなく、各学年とも一つの教室で一緒に学ぶ大阪市立大空小学校のありのままが記録されている。その中で、児童、教職員、地域のみんなが変わっていく姿を一年間記録したドキュメンタリーだ。
 学校の理念は「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」であり、不登校はゼロ。唯一のルールとして“自分がされていやなことは人にしない 言わない”という「たったひとつの約束」。なにより、子どもたちと教職員の笑顔がいい!

 その大阪市立大空小学校の木村泰子前校長が、「みんなの学校」が教えてくれたこと(小学館)という本を出した。  
 子ども、地域、教職員、保護者がみんなでつくるみんなの学校はどのような理念と実践によってできたかを明らかにしてくれる。管理職の教科書にもなるだろう。校長に是非読んでほしい本だ。
 映画「みんなの学校」は文化庁芸術祭大賞も受賞し、これを見た下村前文科大臣が「校長のリーダーシップを、是非全国の管理職を目指す人たちに伝授してください」と言われたそうだが、著者は、校長の仕事は、みんながつくるみんなの学校は実践した事実(子どもと教員の学び)をつくることだと言う。
 「教える専門家」から「学びの専門家」に。という理念は、私たち教職員が常に心がけなければならない。
 この学校は、どんな子も排除せず共に学ぶ。
 排除は、学びを棄てることと考え、支援が必要な子、問題を起こす子から教職員(大人)が学び、変わることで子どもも変わると考え実践してきた。
 映画も是非見てほしいが、その背景にある木村さんの45年間の失敗を積み重ねてきた教育実践にも本書で是非ふれてほしい。


プラムポックスウィルス

2016年04月01日 | 日記

 弥生三月。この時期、花粉に苦しみながらも観梅などして徐々に訪れる春を実感したいものだ。
 西多摩では梅と言えば吉野梅郷。しかし現在はプラムポックスウィルスの蔓延により梅の木は全部伐採中だ。今年は「梅の里再生まつり」を開催しているが梅自体は再び植樹できるのはまだ先で、地元自治体も苦労している。
 ところでこの事態の要因にゴミ問題が関係しているのをご存じだろうか。吉野梅郷の南側の山を超えると日の出町の山々。そこには多摩地域
26市1町のゴミの焼却灰が運び込まれる最終処分場が存在する。処分場の環境への影響を調べている市民グループ「たまあじさいの会」によると、ダイオキシンや重金属などを含む焼却灰が飛灰となり、谷に沿って青梅側に降り周辺の植物に影響を与えているという。飛灰はウィルスとは直接関係ないが、普通なら梅自身の免疫力で克服できるはずのウィルスがこれだけ蔓延した原因は、飛灰による免疫低下の可能性が高いという。実は吉野梅郷のある小学校の学区では子どもの喘息の率も他より高い。さらに震災後は各地で受け入れた震災瓦礫の焼却灰が集まっており、放射能も問題となっている。東京の西の端のこととはいえ、皆に関心をもってもらいたい。