教員のバーンアウト(燃え尽き)による鬱病などの精神疾患が、学校現場で大きな課題になっている。メンタルヘルス対策などもすすめられているが、学校の教師集団の恊働性・相補性の欠如も要因ではないかとする油布佐和子さんの論考は、その解決に手がかりを示してくれる。(教師の現在・教職の未来−あすの教師像を模索する−)
教師集団の二つのタイプを実際に二つの中学校を調査し、以下のように分析する。
ひとつは、教師集団の恊働(collaboration)性がある学校。それは、①教師それぞれに自発性があること、②共に一緒に働くうちに生じてくるもので,その実践は義務でもなければ強制でもない(voluntary)、③改善や発展を志向していること、④教師相互のコミュニケーションが場所や時間を限定せずに十分に行われること、⑤協働した結果は必ずしも成果としてはあらわれないし,簡単に予期できるものでもない(Hargreaves, A.)という特徴を示している。
また、相補性とは職場での人間関係を示す概念で,職場でのさまざまな地位や職種を超えて,「参加者の平等の努力」や「複雑な課業環境に直面した人間の認知限界についての平等の謙虚さ」を意味している。また「情報冗長性」とは組織が情報を階層に応じて機能的かつ効率的に分有することが大切だとされてきたのに対し,個と個の間で相互に余剰の情報を共有すること,すなわち組織内に無駄を取り込むことの大切さを意味する。平たく言えば、ゆとりと寛容のある職場ということか。
もうひとつは、「わざとらしい同僚性」のある学校。見かけは協働に似ているけれど実際は異なる。それは、教師の自発性から生まれたものではないこと,時にはvoluntaryではなく,そこへの帰属が義務化されること,発展志向的ではなく,時間と空間の固定化が行われること。そして,たいていの場合,予期される成果(outcome)を前提としていること」を特徴とし、教師自らの志向によって生まれたものではなく,管理者の関心から生まれたものである。
前者は,教師同士がアイデアや実践を共有していく過程と関連する概念である。それは教師が,価値や目的や,行動したことの結果を共有していくことを意味する。またそのプロセスで,互いの実践やパースペクティヴや仮説にチャレンジすることが頻繁に行われ,同時にこのような相互交渉を通じ,互いをより高次の次元へと導いていこうとする協働の文化が形成されるのである。それに対して後者は,組織としての学校が,ある目標に向かって機能的に成員を配置しているということと同義である。そこでは,配置された教師が,期待された役割を過不足なく十分に果たすことが必要とされる。いわば,目的合理的に編成された組織のなかでの役割を有機的に担っているという状態がこれに当たる。
東京の学校に後者のタイプが増えているのではないかと危惧する。
(寒紅梅)
今年度の学力テスト(学力学習状況調査)の実施についての文科省の通知文には、「調査結果の活用」として、次のように書かれている。
ア 各教育委員会,学校等においては,多面的な分析を行い,自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握・検証し,保護者や地域住民の理解と協力のもとに適切に連携を図りながら,教育及び教育施策の改善に取り組むこと。
イ 各学校においては,調査結果を踏まえ,各児童生徒の全般的な学習状況の改善等に努めるとともに,自らの教育指導等の改善に向けて取り組むこと。
ウ 各教育委員会においては,調査結果を踏まえ,それぞれの役割と責任に応じて,学校における取組等に対して必要な支援等を行うなど,域内の教育及び教育施策の改善に向けた取組を進めること。
エ 文部科学省においては,児童生徒の学力や学習状況をきめ細かく把握・分析することにより,教育及び教育施策の成果と課題を検証し,その改善に取り組むこと。また,各教育委員会,学校等における取組に対して必要な支援等を行うなど,教育及び教育施策の改善に向けた全国的な取組を進めること。
さらに、「結果の公表について配慮すべきこと」として
調査結果については,本調査の目的を達成するため,自らの教育及び教育施策の改善,各児童生徒の全般的な学習状況の改善等につなげることが重要であることに留意し,適切に取り扱うものとする。その際,本調査により測定できるのは学力の特定の一部分であること,学校における教育活動の一側面に過ぎないことなどを踏まえるとともに,序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮する。
これを読む限りにおいて、静岡県の川勝知事が「小学校国語Aの成績が全国平均以上だった県内小学校の校長86名の名前を公表した」ことは、通知からの逸脱ではないか?報道によれば、川勝知事は、ペナルティとして平均以下の学校の校長名を公表したかったと伝えられる。妥協の産物としての「平均以上の校長名の公表」となったのだろうが、「事前の連絡もなく、教育関係者からは、困惑の声が上がっている」と記事は書いている。
そもそも、「調査結果の活用」に自治体は入っていない。各教委と学校、文科省になっている。自治体は学校の設置者として「教育条件整備」をするのが、本来の役割のはずである。教育委員会が、分析をした後でそのとりくみへの支援をするべきであろう。
文科省もこの調査と学力の関係について「本調査により測定できるのは学力の特定の一部分であること」と書いているのだ。今回の知事の対応には、問題があるといわざるを得ないし、行政の長としては少なくともルールにのっとった冷静な判断が求められるはずである。公教育は、パフォーマンスをひけらかす場であってはならないと思うのだが。
昨日(9月19日)の東京新聞朝刊に、次のような記事が出ていた。
大阪府教育委員会が、前府立学校に対し、教職員が入学式や卒業式で実際に国歌斉唱しているかを教頭ら管理職が目視して確認し、校長が府教委に報告するよう求める通知を出していたことが、18日分かった。
なんともはや、である。
この国は、「人権を尊重する」ということが、刻々と失われている、同時に憲法が本当に危ういのだと思う。
記事は、書いている。「府立高校時代に教職員の口の動きをチェックして論議を呼んだ中原徹教育長の意向を踏まえた。」
教育長も公務員であるはずだから、「拳法尊重擁護義務」もあるはずだ。しかし、そんなことは全く関係がないようだ。さらに、教育委員会制度は「合議制」で、「合議」によって物事が決定されることになってる。だれも異論を唱えなかったのだろうか?
ここからは推測だが、結局のところ、教育長の意向を踏まえた事務局が通知を出し、教育委員会では「通知を出しました」ということが報告・承認される、ということなのではないか。
この通知が、何をもたらすか?一番の被害者は、生徒たちであることは間違いない。また、こうしたことがまかり通るならば、次に「口元監視」をされるのは、誰になるのだろう。
ちょっとした縁があって、ソウル市と釜山市の小学校を訪問した。校庭のフェンスに、へちまやヒョウタンがぶら下がっていたり、大きなプランターに穂が出たての稲が栽培されていたりして、日本の学校と同じだなと思ったが、おっとどっこい!どちらの学校も、とても立派な施設で、正直なところちょっとびっくりし、同時に情けなくなった。施設だけではない。どちらの学校も、一クラスの児童数は、30人以下である。だからだろうか。教室の机も、日本の学校よりも少し大きかった。当然、教室の後ろには、ゆったりとしたスペースがあった。
さらに驚いたことには、それぞれの学校がなかなかに個性的だったことだ。ソウルの学校の図書室には、秘密基地のようなコーナーがあり、子どもたちがそこに潜り込んで本を読むことができるようになっていた。しかも、「図書室」という名前でなく、「ほんの遊び場」という韓国語になっているらしい。(韓国語は読めないので、聞いた話だが)
釜山の学校は階段の踊り場に、四字熟語を解説したパネルがあり、特別教室の表示にも、ハングルと英語と漢字が使われていた。トイレのドアのカラフルさに驚いていたら、保健室がさらにカラフルで、壁はに木の絵が描かれていた。
ここまでは施設の話ばかりだが、教育の中身についても考えさせられた。どちらの学校も、体験的な学びや、プロセスを大事にした学びを重視していると説明された。ソウルの学校では、「民主的な学校運営が大事だ」と校長自ら語られていた。釜山の学校には、「教育福祉室」という部屋があり、経済的にあまり豊かでない家庭の子どもをサポートする体制が作られていた。
学力テストで、子どもや学校、自治体を競争させてばかりで、ろくに予算を使わないというこの国の教育は、本当に大丈夫か?と考えずにいられない。
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鶴川駅・多摩センター駅から鶴32系統「五反田」バス停下車1分
講 師 守屋(もりや) 実(みのる)さん(元小山田小学校教員・「FC町田ゼルビア」代表)
※ 動きやすい服装、運動靴でご参加ください。(現地に更衣室があります。)
問い合わせは、東京教組まで。03-5276-1311