東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

国会前で

2013年12月04日 | 国際・政治

12月6日の会期末を控えて「特定秘密保護法案」をめぐる、与野党の攻防が激しくなってきた。というより、与党の暴走が止まらないというのが、ことの本質である。昨日は、午後6時になっていきなり、地方公聴会を埼玉の大宮で開くことを決めたという。しかも翌日の今日午後3時から。普通、地方公聴会は、少なくとも5日ぐらいは周知の期間を取り、傍聴券も配布して行われるとのことだ。それを、いきなり翌日に開くというのである。与党は、地方公聴会を「アリバイ」としか考えていないという証拠である。

平和フォーラムの呼びかけで、国会前での座り込み行動に参加してきた。様々な団体が、国会前に集まり、午後1時過ぎには、国会を包囲する人間の鎖ができたという。ここにきて、この法案の危険性が世の中の人々の知るところとなったわけだ。老若男女さまざまな人が、それぞれに「秘密保護法反対」のプラカードを掲げて集まっていた。国会は、今こそこうした市井の人々の声を聞くべきだろう。会期末まで時間はあとわずかだが、都合がつく人はぜひとも国会前に集まって声を上げようではないか。それこそ「今でしょ!」である。Img_2951
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生活保護基準の引き下げは

2013年11月28日 | 国際・政治

 生活保護基準の引き下げが今年の8月から始まり、3年間で、最大10%カットされることになった。この議論の始まりが、「不正受給」問題だった。さらに、一部の政治家が年金生活者や最低賃金勤労者との「逆転現象」を、「不公平だ」と言い立てたのだった。
「逆転現象」が不公平なら、最低賃金をアップさせるということも考えられるのに、実施されたのは、「生活保護基準の引き下げ」だったのである。

 昨日この問題について、弁護士さんの講演を伺う機会があった。それによると、生活保護基準の引き下げは、さまざまな波及効果をもたらすそうだ。重要なポイントは3つで、
①生活保護基準を目安にして、利用条件を設定している制度が利用できなくる。
例えば、就学援助
②住民税の非課税基準が下がり、今まで無税だった人が課税される。
③住民非課税だと安く済んでいた負担が増える。
例えば、保育料は、9000円から19500円に上昇(自治体によって上乗せ援助あり)

 こうしたことを考えると、基準の引き下げにより、「正直者が、もっとバカを見る」社会になってしまうことになるそうだ。

講師の資料の資料にあった当事者(ある生活保護家庭の高校生)声を紹介する。
「私は、通学に1時間半かかる高校に通っていて、朝は4時半に起きて弁当を作り、学校帰りにそのままバイトに行き、帰宅するのは22時ごろ。(中略)私がおかしいと思うのは、バイト代が、保護費から差し引かれることと、扶養義務についてです。私は、専門学校への進学を考えてバイトを始めました。高校生のバイト代が生活費として差し引かれるのは当たり前のように、思われていますが、学校に通い成績上位をキープしながらバイトをするということがどんなに大変なことかわかっていただきたい。そしてバイトをするのは、決して私腹を肥やすためではないことを。(中略)Photo_116thumb1
ただでさえ切り詰めた生活をしているのに、これ以上何を我慢すればいいのでしょうか。景気が上がれば、物価は上がるのに、保護費は減額?私がどうしても伝えたいことは、生活保護受給家庭の子どもは、自分の意志で受給しているわけではないということです。生活保護への偏見を子どもに向けるのは、おかしいです。不正受給ばかりが目につき、本当に苦しんでいる人のことが見えなくなっていませんか。」

実態をしっかりと調べ、当事者の声を聞き、どのような影響が出るのかを十分に考えて政策を決めなければならないはずだが、「決められる政治」の実態は、結局のところ「弱者の切り捨て」ではないのだろうか。 (ハツユキソウ)


高校授業料の無償制度は

2013年11月21日 | 国際・政治

 昨年9月日本政府は、「国際人権A規約第13条の2」の留保を撤回した。政権が再度交代する前、民主党政権の下での留保撤回だった。「国際人権A規約第13条の2」というのは、「中等教育・高等教育の漸進的無償化条項」のことで、つまりは、義務教育以降の中等・高等教育も、「段階を追って無償化しましょう」という規定だ。この規約は、1966年に国連総会で採択され、日本は、1979年(私がまだ大学生だったころだ)に批准したものの、この「中等・高等教育の無償教育の漸進的な導入と機会均等」に関する条項について、30年以上も「留保」を続けてきたのだった。

 さて、昨年の段階で、この条項を留保していた国は、いくつあっただろうか?驚くことに、日本を含めて2つしかなかった。あと一つは、マダガスカルである。人権規約の締約国は、約160か国あり、その中で、たったの二か国だったのだ。つまり、中等教育・高等教育の無償化というのは、「グローバルスタンダード」なのだ。

 日本政府が「留保を撤回」したのは、言うまでもなく「高校授業料無償制度」ができたからだ。もちろん、朝鮮高校が適用を受けないという大問題があった。国連人権委員会も、『明らかに民族差別だ』と、是正を求めた。しかし、現在の安倍政権は、是正するどころか、この制度を従来の「高等学校就学支援金制度」に変えてしまい、「所得制限」を導入することにした。そして、その「改正案」が15日に、衆議院を通過してしまったのだ。Photo_116thumb1

 所得制限の基準は、910万円とされ(これは政令で定める)、なんと、来年度の新入学生から適用されるという。今まさに、進路選択に直面している中学校3年生やその保護者、進路指導を担当している教職員に、この事実がしっかりと伝えられているだろうか?国会議員は当事者の声をしっかり聴いたのだろうか?

 「所得のある人からは、授業料をとっても問題はない」と考える人も多いだろう。しかしそれは、「所得税の累進制」を強化して、行えばよいことだと思う。今後、審議は参議院に移るが、「良識の府」としての審議は、どうなるだろうか。

(ハツユキソウ)https://app.blog.ocn.ne.jp/t/app/gallery/manage?__mode=edit_photo&photo_id=41858576


沖縄で考えた

2013年11月13日 | 国際・政治

今年の護憲大会は、「沖縄から問う『平和、人権、いのち』―核も基地も戦争もない世界を!」と題して、沖縄県那覇市で行われた。

初日の3日に行われたシンポジウムでは、琉球新報の特派員として2010年から1年間アメリカに派遣された与那嶺路代記者の話が印象的だった。政権交代で実現するかと思われた普天間基地の「県外移設」をめぐってのワシントンからの報道が、いかに偏ったものであったか。自分が何のために、アメリカに来たかを考え、記者会見の場で質問の形をとりながら、沖縄の現状を伝えたことで、「もっと話を聞かせてほしい」という記者や市民に囲まれたことなどを生き生きと語られた。

さて、最終日のまとめ集会の後、フライトまでの時間を利用して那覇市を歩いてみた。初めて沖縄に行ったのは、もう20年以上も前なので、街の様子はずいぶんと様変わりしていた。おりしも、修学旅行シーズンということで、国際通りには高校生のグループをちょくちょく見かけた。ゆいレールには、「おもろまち」という駅がある。那覇新都心ともいうらしいので、歩いてみた。道路は広々と整備され、高層ビルや商業施設などが整然と並んでいる。いったいどこにこんな土地があったのだろうと思って調べてみると、やはり、元は、米軍の施設(牧港住宅跡地)なのであった。1987年に全面返還されて、その後再開発されたとのことである。

「沖縄は、基地に依存している」などというのは、まったく違うことがわかる。米軍基地は、広さだけでなく、土地利用の面でも、とてもよいところを占めている。沖縄の発展を阻害しているものこそ、米軍基地に他ならない。これが返還されて、県民のために使われれば、経済の自立は可能なのだということが、街を歩いてよくわかった。


秘密保護法案反対

2013年10月30日 | 国際・政治

小雨降る中10月29日午後6時半から、日比谷野外音楽堂で「秘密保護法案と立憲主義否定の国づくりに反対する集会」が開かれた。夕方には止むかと思われた雨は、降ったりやんだりを繰り返していた。土砂降りでなかったのが、不幸中の幸いだった。集会には、全国から2000人を超える人々が集まった。

集会では、主催者代表、国会議員、連帯のあいさつに立った人たちから、次々にこの法案の危うさが語られた。「この法案では、何が秘密に当たるのか、それが秘密になってしまっている。」「この法案では、秘密に近づこうとすること自体を、犯罪にしようとしている。」「秘密の対象や、処罰される行為があいまいになっている。これは罪刑法定主義に反する。」「法案成立は、憲法の理念と人権を否定することになる。」などなど。聞くたびに恐ろしく、また、こうした事態になるまで無関心だった自分を反省する。

話の中で特に印象的だったのは弁護士の江藤洋一さんの話だった。
「戦前の治安維持法では、逮捕された人たちの9割は、起訴されていない。この法律ができれば、逮捕と捜査はできることになる。逮捕され、自宅を捜査され、例えばパソコンなどを押収される。権力側は、起訴し裁判にかけなくてもいいのだ。逮捕と捜査ができるということで、国民を脅すことができる。国民は権力を前に萎縮してしまうだろう。」

新聞等の報道では、知る権利や報道に「配慮する」規定が盛Photo1り込まれればよい。などとされているようだが、国民の知る権利とは、時の政府が「配慮する」などというものでは、ないはずだ。こうした考えは、自民党憲法草案の「公益および公の秩序」の範囲内で、人権を認めるということを先取りしているといえないだろうか?

集会の後、参加者は、国会までデモ行進を行った。国会では、民主党や社民党の議員が請願に応えていたが、その数のなんと少ないことか。今の与党は国会では、数の力で押し切ることができる。ここが踏ん張りどころだ。
キイチゴ


もっと早く言ってよ!

2013年10月09日 | 国際・政治

 今月2日の東京新聞の記事によれば、小泉元首相が「もはや、脱原発しかない」と名古屋の講演会で発言したとのこと。「核のごみをどう処分するのか、あてもないのに原発を進めていくのは、無責任ではないか。・・・原発は事故が起きれば、人の健康や農水産物、地域への影響が計り知れない。・・・汚染水対策も廃炉も税金を使わなきゃできない。原発のコストほど高いものはない。・・・・」まったくもって、その通りとしか言いようがない。だったら、もっと早く気付いてほしかった。

 小泉さんは、フィンランドの「オンカロ」という、放射性廃棄物の最終処分場を視察したそうだ。オンカロは、強固な岩盤を400メートル掘った穴に、原発からの高レベル放射性廃棄物を埋めていくというものだ。フィンランドの地質は、19億年前に形成されたきわめて古い岩盤からできていて、プレート境界も近くになく、活断層もないという。だからこそ、処分場になったわけである。逆に言えば、プレート境界に近く、地震の巣である「活断層」だらけの日本で、高レベル廃棄物をどのように処分するのか?という疑問がわくのは、当然のことだ。
テレビニュースによれば、視察団には、ゼネコンや電力会社の人たちがいて、「元総理、原発推進で一つよろしく」といったらしい。それに対して、「いや、原発推進は無理だ。脱原発ならまとめられる」と答えたそうな。

「今まで、自民党は原発推進だったのに、なぜ脱原発なのか?」と記者が質問したら、「3.11だ!」と答えたそうだ。至極まっとうな答えではある。今までのしがらみや、あちこちの顔を立てるといった気遣いと無縁な小泉さんらしいとは思う。

それにしても、もっと早く言ってほしかったし、こうした考えの政治家が、もっと出てくるべきだろうと思う。


今日という日は

2013年09月18日 | 国際・政治

 今日9月18日は何の日だと聞かれて、「え?」と答えに詰まる人は、もはや少なくないのではなかろうか。かくいう私もすっかり忘れていたが、今をさかのぼること81年前の今日、1931年9月18日に、「柳条湖事件」がおきていたのだ。
 高校生の頃には、「柳条溝事件」と習ったような記憶があるが定かではない。この名前についてもいわくがあるらしいが、それはともかく、柳条湖事件である。
 時は1931年9月18日、ところは現在の中国東北部(旧満州)の奉天(現在の瀋陽市)近くの柳条湖付近で、南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破されたのである。(といっても、爆発はとても小規模なものだったという。)当時満州に駐留していた「関東軍」は、爆破を中国軍の犯行としたが、実際には、関東軍の自作自演であった。これを口実に、関東軍は、奉天、長春、安東、鳳凰城などで軍事行動を開始し、満鉄沿線の都市を占領した。翌1932年には日本の傀儡政権である「満州国」を発足させている。つまり9月18日は、いわゆる「満州事変」の始まりであり、1945年の破滅の道へのスタートでもあったわけである。
 この時、当時のマスメディア(新聞とラジオ)は、号外や臨時ニュースとしてこの事件を伝えた。恐ろしいのは、当時の市民が、この関東軍の行動を熱狂的に支持したということだ。もちろん、自作自演の謀略だったことは、露ほども知らされることはなかったが、「満州を占領せよ」「なめられたらあかん」「大いに膺懲(成敗してこらすこと)すべきだ」などの意見が、紙面を飾ったらしい。勇ましい言説による熱狂は、冷静な議論や判断を奪っていたのだろう。関東軍の自作自演は、やがて自縄自縛の泥沼へ変わることになる。
 政府が「集団的自衛権」の行使を容認しようかという現在、80余年前の出来事をふりかえり歴史に向き合うことが、私たちに求められていることはまちがいない。