東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

選挙に行こう! 政治を変えよう!

2016年06月17日 | 日記

3.11東日本大震災と福島第1原発事故によって、日本は随分変わりました。「原子力ムラ」の存在など、これまで見えなかったものや見ようとしてこなかったものが、否応なく目の前に突きつけられ、日本の民主主義が思いの外脆弱で危ういことに多くの人が気づきました。そして、その気づきは、声となりました。

最初は「脱原発」の運動が大きなうねりとなり、秘密保護法反対では首相官邸前での若者たちの政治発言となりました。そして、その声は2015安保闘争へと引き継がれ、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)や「ママの会」など、これまで集会やデモを遠巻きに見ていた人たちが、自らの意思で参加し声を上げるようになりました。組織されていない一般の人々が手作りのプラカートをかかげ、声を上げ、シュプレヒコールする姿は、確かに日本が変わったことを感じさせます。

しかし、一方で政治は自民党の一強多弱のまま旧態依然の姿をさらし、安倍政権による強権的な運営が続いています。「何をしても所詮何も変わらない」という「あきらめ」の空気が、声から遠ざかるほど根強く漂っていることもまた事実です。 

しかし、このままで良いのでしょうか?

テレビが映し出す「日本は豊かな国だ」と国会で胸を張る安倍首相。しかし、彼が見ようともしない子どもの貧困はとても深刻です。日本の子どもの貧困率は、16.3%(OECD平均は13.3%)まで上昇し、中でもひとり親家庭の子どもの貧困率は54.6%となっており、OECD加盟30カ国中最悪です。貧困は、そのまま教育格差となり、貧困の連鎖へとつながります。大学に通う若者の半数以上が高利率の奨学金に頼り、卒業後、奨学金の返済に苦しんいます。そして、今年制度発足以来はじめて生活保護受給者の高齢者の割合が50%を超えました。「下流老人」は想像以上の早さで拡大しています。格差社会は、もう我慢の限界まで広がっています。

安倍首相は「アベノミクスは成功している」として雇用率のアップを自慢しますが、増えているのはパートや派遣労働者などの非正規雇用ばかりで、民間事業者に勤める労働者のうち非正規社員の占める割合がついに40.5%に達し、初めて4割の大台を超えました。先の通常国会では、「一生低賃金・一生派遣労働者法」とも呼ばれる、派遣期間の制限を事実上撤廃する「派遣労働者法改正案」も成立しました。「高度プロフェッショナル制度=残業代ゼロ」法案も成立させようとしています。労働者を守るために作られた労働法制が、労働者を追い詰めています。

東日本大震災後、全ての原発が止まっても電力は十分に供給され、日常が脅かされることはありませんでした。「原発が止まれば電力が足りなくなる」というごまかしは、今やもう通用しません。しかし、安倍政権は原発の再稼働と技術輸出にこだわり、現在2基の原発(九州電力川内原発)が再稼働しています。福島第1原発の重大事故を風化させてはなりません。これからも原発に依存した社会を続けるのか、自然エネルギーの推進で持続可能な社会を築くのか、重大な岐路に立っています。

昨年9月に成立した安全保障関連法は、文字通り日本を「戦争が出来る国」へと変えました。海外において他国の軍隊を守るために自衛隊員が武器を使用する事が出来る、集団的自衛権に踏み込んだ法律です。国民は、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性とテロのリスクを否応なしに背負うことになりました。しかも、この法律は憲法学者の約9割が「憲法違反だ」と指摘し、今も多くの国民が反対しています。

そして、安倍首相の最大のねらいは憲法の「改正」です。安倍首相は、通常国会において「私たち自身の手で憲法を変えていくことこそ、新しい時代を切り開いていく精神につながると確信している」「いよいよ、どの条項を改正するかとの新たな現実的な段階に移ってきた」などと答弁し、3月2日の参議院予算委員会において「私の(自民党総裁)在任中(2018年9月まで)に憲法改正を成し遂げたい」と、憲法改悪に強い意欲を示しています。そして、「大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民自らが、どのような役割を果たしていくべきかを、憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題であると考えています」として緊急事態条項の新設を明言しています。 

今回の参議院議員選挙は、日本の将来を大きく左右するこれまでにない重要な選挙です。子どもたちにどのような日本を、どんな社会を引き継いでゆくのか、私たち大人の責任が問われています。 

先の衆議院議員選挙において自民党の得票率は48%です。半分以下の得票率にもかかわらず、76%もの議席占有率で他党を圧倒しています。しかも、投票率は、過去最低の52.66%であり、有権者全体に占める自民党の得票率はわずか25%です。実は「安倍政治」は、多くの棄権者によって成り立っているのです。このことは、投票に行くことで政治を変えることが出来るということを明確に示しています。この参議院議員選挙から選挙権も18歳まで拡大されます。6月22日の公示以降、7月10日の投票日まで毎日が投票日です。慎重に考え、しっかり投票し、私たち大人こそ未来への責任を果たしましょう。


40周年を迎えた第五福竜丸展示館「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」

2016年06月02日 | 日記

先日、第五福竜丸展示館の開館40周年を祝う記念のレセプションに参加させていただいた。なんだかモダンで新しいと思っていたあのドック型の建物ももう40年たつのかと感慨が深い。レセプションの参加者と話をして、今や「第五福竜丸」「ビキニデー」といっても、若い人には通じなくなってきたなあという実感を共有した。実際被爆二世だという団塊ジュニア世代の方も、最近まで詳しくこの「事件」について知らなかったという。ヒロシマ・ナガサキよりも近い過去とはいえ、当時被爆した乗組員23名のうち、すでに18名が鬼籍に入られている。事件の風化がすすんでいることに焦りを感じる。平和運動・原水禁運動に詳しい方なら釈迦に説法かもしれないが、もう一度「第五福竜丸」事件を簡単に振り返ってみたい。

焼津のマグロ漁船第五福竜丸が、太平洋のビキニ環礁で米軍の水爆実験により被災したのが1954年3月1日。まだ夜明け前、西の空にまるで太陽が昇ってきたような明るさだったという。やがて本当の太陽が東から昇ったころ、爆発で巻き上げられたサンゴを中心とした「死の灰」が雪のように降った。明らかな異常を感じた第五福竜丸は操業を直ちに中止、まっすぐ焼津に引き返す。もちろん全員が大量に被曝しており、直ちに米軍ヘリで東京第一病院へ移送された。中でも重篤だった久保山愛吉さんは半年後「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなる。これを契機に日本で原水爆禁止の運動が盛り上がっていくわけだが、当の第五福竜丸自体はどうなっていたのか。焼津に帰港した第五福竜丸は、すぐに文部省が買い上げている。東京に回船され東京水産大学で残留放射線の検査を受けることになった。2年後には改造され、水産大学の「はやぶさ丸」と名を変える。10年以上練習船として海を走り続けた後廃船、江東区の夢の島のゴミの中に放置された。しかし廃船からちょうど1年後、朝日新聞に有名な投書「沈めてよいか第五福竜丸」が掲載。保存運動が起こり、1976年に都立の施設として「第五福竜丸展示館」が開館するのである。展示館が新木場・夢の島にできたのはこのような経過があったからである。

レセプションでは音楽構成劇「最後の武器~福竜丸の航海はつづく~」が上演されるなど、福竜丸が果たしてきた平和運動・平和教育への役割と、これからますます重要になる水爆被害の生き証人の位置づけを再確認することができた。

それと同時に老朽化する、船体・エンジン・建屋も深刻な問題も明らかにされた。近年ようやく明らかになってきた福竜丸以外の被爆の実態の解明、マグロ塚の築地移転問題など、課題も山積している。しかし何より、記憶の風化の問題が心配だ。

この江東区新木場という臨海地域は、オリンピック開催の中心地だ。(オリンピックなんて知らないよ、という気分にもなるが)せっかく世界中の人がこの地に集まるのなら、水爆被害の実相を伝えるこの施設を大々的にアピールすることを提案したい。同時に巨額のオリンピック予算のほんの幾ばくかを、展示館の改修や船体・エンジンの修復保存の予算に当てたらいいのではないだろうか。