東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

第39回定期大会

2015年05月29日 | 日記

 5月16日(土)第39回定期大会が日本教育会館で開催されました。土曜日の午前中に授業が行われる職場が増えているため今回の大会は初めて午後に開催されることになりました。授業を終えて疲れているにもかかわらず代議員は早めに集まり、方針案の提案前に大会は成立しました。
  来賓挨拶で日教組岡島書記次長は、「『学力向上』の名の下に目の前の子どもたちに寄り添わないような教育がおこなわれ、教員に対しては『資質の向上』という名目でインターン制や教員免許の国家資格化などで教育を管理統制しようとしている。そうして、教育現場は多忙化が進み、子どもの居場所がなくなってしまっている。こうした問題とどう向かい合い改善していくべきなのか、私たちは考えていかなければならない。」と述べました。
 連合東京杉浦事務局長は、「連合は、安保法制の問題や労働者保護ルールの改悪に反対し各地で街頭宣伝活動を行っているがこうした問題に対する労働者の認識は低い。教職員のみなさんも身近な人たちにこうした問題について語ってほしい。」と話しました。
 東京地公労西川事務局長は、「安保法制の問題に対しては1000人委員会と共に闘いを強めていきたい。また、労働法制の改悪に対しては廃案に追い込む取り組みをしていかなければならない。今、労働組合としての闘いが問われているのだ。」と力強い挨拶が行われました。
 神本参議院議員はベトナム戦争でPDSDとなり「地球上のすべての国に9条があってほしい」と語るアンリ・ネルソン氏の話に触れ、「憲法9条そのものが存在することが希望であり、平和こそが私たちの歩むべき道なのだと思った。私たちは議席という闘うすべをもっている。これはとても大切なものだ。闘う相手ははっきりとしている。来年の参議院選挙では大切な議席を守りたい。」と話しました。
 その後外山副委員長より運動方針案の提案が行われ、安保法制に対する具体的な取り組みや人事異動の問題、横田基地へのオスプレイ配備の問題などに関して意見が出されました。
 方針案の質疑の後、谷口組織拡大オルガナイザーが、「昨年度の青年教職員アンケートの結果を見ると、若い人たちの中にはひどい人権無視のパワハラやセクハラで苦しめられている人がいる。こうした人たちの声をしっかりと聞くことが組合として大切なことであり、こうした状況の改善をしていくことが組織拡大につながるのだ。4月1日には東京教組のHPには2500人ものアクセスがあった。組合の取り組みには関心がもたれているのだ。退職者はもう頭打ちだ。後は組合員を増やすだけだ。」と力強く語りました。


大英博物館展

2015年05月25日 | 日記

 ゴールデンウィークの一日、東京都美術館で行われている「大英博物館展」に出かけた。大英博物館七百万点の所蔵品の中から百点が選ばれて今回公開された。約二百万年前の石器から始まり、古代エジプトの棺、映画「ハリーポッター」で登場したチェスの駒、出島から輸出された柿右衛門の象など歴史を感じさせるものから、使い捨ての始まりと紹介された米大統領選挙用のバッジ(ケネディやニクソン、レーガンの顔が描かれている)やサッカーユニフォームのコピー商品など現代のものまで、人混みをかき分けながら眺めた。  最新のものは二〇一一年モザンビークで作られた「銃器で作られた『母』像」。一九七六年から十数年続いた内戦では、先進国から莫大な武器が流れ込み、国民同士が傷つけ合った。内戦後は七百万丁の銃が残されたそうである。高さ約一メートルの像は、廃棄・回収された銃を地元の芸術家が切断・溶接して作られた。肩はグリップ、心臓は引き金、手に持ったハンドバッグは、ライフルの弾倉でできている。アフリカで作られたものは一つもない。人類は歴史的にグローバル化を進めてきたが、武器供与はグローバル化の典型だ。  連休中の上野は、動物園に向かう親子連れで一杯だった。
(「イメージの力」展のモザンビークの銃器でつくられた作品「いのちの輪だち」「肘掛椅子」国立民族学博物館コレクション)

 


東京弁護士会が教科書採択について意見書

2015年05月22日 | 日記

 東京弁護士会は、5月12日「教科書検定基準等の改定及び教科書採択に対する意見書」を採択し、提出した。
 意見書は、昨年1月に改定された教科用図書の検定基準と4月に改定された教科用図書検定審査要項は、国による教育への過度の介入であって憲法26条に反し、子どもの学習権等を侵害するおそれがあるので、国に対し、これらの改定の撤回を求めている。また、東京都に対しても教科用図書の採択において、子どもの学習権保障のために、子どもの教育に直接当たる教師の意見を十分に尊重することを求めた。
 意見書は、「子どもの学習権と教科書」について(1)子どもの学習権(2)教師の教育の自由(3)教育への不当な支配(4)現憲法下の教育の中での教科書の在り方、「教科書検定基準と検定審査要項改定の問題」「東京都の教科書採択における問題と今後採られるべき採択の方法」について法律家の立場から明快に意見を述べ。「教科書検定基準」「教科用図書検定審査要項」が国による教育への過度の介入であって憲法26条に反し、子どもの学習権等を侵害するおそれがあるので、国に対し、これらの改定の撤回を求めるとともに、教科書の採択に際し、子どもの学習権を保障するため、都道府県及び市区町村の首長、教育委員会、教育長に対し、子どもの教育に直接あたる教師の意見を十分に尊重することを求めている。
(スイカズラ) 


復帰43年5.15平和行進

2015年05月19日 | 日記

 東京教組定期大会が開催された前日の5月15日、沖縄は復帰43年を迎えた。平和憲法に復帰を願った沖縄は、その後も米軍基地に囲まれベトナムや中東への戦争前進基地として使われ、その願いは裏切られ続けてきた。そして今、辺野古に新しい米軍基地がつくられようとしている。東京教組から平和行進に参加した組合員からの報告を紹介する。

『復帰43年 第38回 5.15平和行進 』に東京平和運動センターの仲間と一緒に参加してきました。
1日目はキャンプシュワブゲート前の「埋め立て阻止!座り込み行動」に合流、313日目となった座り込みに加わりました。多くの参加者と共に、出入りするトラックに抗議の声をあげました。
2日目は普天間基地包囲コースを北ウイングと南ウイングに分かれて平和行進をしました。爽やかな海風と暑い日差しの下、宜野湾市役所をスタートし、ゴールの宜野湾海浜公園までを2600人で歩きました。「危険な普天間基地を撤去せよ」「辺野古新基地建設を阻止しよう」「安倍政権の横暴を許さないぞ」「基地のない平和な沖縄にしよう」等と次々シュプレヒコールをあげながら行進します。東京でのデモ行進はいつも警察が警備をしていますが、沖縄での平和行進では黄色い旗を持ったレンジャーと呼ばれる仲間のスタッフが警備をしていました。仲間に守られながら歩くのは心強かったです。沿道では地元のおばあや親子連れ、学生達が手を振ってくれて疲れが吹き飛びました。
3日目は沖縄セルラースタジアムでの「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」に参加しました。参加者はなんと3万5000人、今夏にも埋め立て本体工事に着手しようとする日本政府に、翁長知事を先頭に工事中止と計画撤回を求める歴史的大会となりました。大会決議では「首脳会談で辺野古新基地建設を再確認した日米両政府の姿勢は、民主主義と地方自治の根幹を破壊する暴挙だ。普天間基地の閉鎖・撤去こそが『唯一の解決策』だ」と表明、万雷の拍手と歓声で採択されました。会場がシンボルカラーの青で染まる様子は、まるで辺野古と大浦湾の海をみているようで胸が熱くなりました。新基地阻止まで共に闘いましょう!


声が出なくても・・・

2015年05月11日 | 日記

 歌手のつんくが声帯をとったという。自分が卒業した大学の入学式のプロデュースを頼まれ、その入学式の中の自身の挨拶で、声帯をとって声が出なくなったことを文字画面を使って明かした。当人は、笑みを浮かべながら演台に立ち、「皆さんが新たな出発であるように、自分も声をなくしての新たな出発だ」と伝えていた。
 忌野清志郎は、同じのどの癌で、声を失いたくないと手術をこぱみ、亡<なった。つんくは、声より命をとった。どちらが良いとか悪いとかは言えないが、人生における壮絶な闘いをこの二人はしたのだろうと思う。
 命より大切なものがあっていい。誰もがやがては失う命。それが早いか遅いかは、誰もわからない。だとしたら、忌野のように命あるうちにやりたいことをやり続けたいという、それも一つの生き方であろうし、つんくのように、声を失っても新たな自分の生き方を選ぷのももう一つの生き方だと思う。
 自分の話で恐縮だが、1月に突然耳が聞こえなくなった。テレビの音がイヤホンで聴くように左耳のそぱで鳴っている。その左耳をおさえたら、何も音が聞こえない。びっくりした。このまま音が聞こえなくなったらどうしよう。好きな音楽も聴けなくなる、と目の前が真っ暗になった。翌日医者に行<と「突発性難聴」と言う。聴力テストの結果。グラフの線が「標準」をはるかに下回っていた。この頃から少し気持ちが落ち着いてきた。聞こえなければ聞こえない生き方があるではないかと、そう考えたら、それでもいいかなと思い始めた。
 3月になって、今度は声が突然出なくなった。これまでも喉を痛めてがらがら声になることはよくあったが、全く声が出ないというのは初めての経験だった。人から声をかけられても返事ができない。何かを伝えたくても伝えられない、というのは何ともつらい。そしてもう一生治らないのではという不安、好きな歌が歌えなくなると言う恐怖感が胸を襲う。しかし、これも、治らないならそれはそれで考えよう、と思い始めたら、不思議と焦りはなくなった。
 4月になって、結局、耳も声も完調とはいかないまでも、ある程度治ってきて、それはそれでよかったと今は思っている。ただ、年をとれぱそれなりにいろいろ出てくるだろう。また、年とは関係なくても、できることできないことが人にはそれぞれあるし、あっていいのだと思う。
 学力とか知恵とかも同じで、人それぞれでいいはず。あれができないからダメとかこれができないからこっちの学校へ行きなさいということではなく、人それぞれに何かできてもできなくても、いろいろな生き方ができるよということをお互いにもっと伝え合い、知り合う関係があったらいいのにと思う。
 その意味で、つんくの「新たな出発」という話は、歌い手が歌えないというある種の「絶望」の中で、一つの生き方を教えてくれているような気がして、共感できた。
(ジャスミン)


5月5日と言えば、子どもの日だ。

2015年05月05日 | 日記

 5月5日と言えば、子どもの日だ。今年は5連休で、どこへ行っても混雑しそうだ。それはさておき、この頃の給食は手の込んだものが出るようになった。と言っても学校の規模や、センター方式か自校調理かで大いに異なるだろうが。連休に入る前の、5月2日の勤務校の給食には、『中華ちまき』が出たのである。竹の皮で包まれたそれは、一辺が10センチ以上の正三角形をした立派なもの。鶏肉やタケノコ・しいたけなど定番の具材もたっぷりで、大人でも食べごたえのあるものだった。4年生の教室で給食を食べ終わる頃、ある子どもが、食べ終わったちまきの竹の皮で、ちょっとした造形活動を始めた。それは、竹の皮と、デザートのバナナの皮で、三角形の「顔」を作ったのである。デザートのバナナには、栄養士のアイディアで、こいのぼりをイメージした目玉のシールが貼ってあった。子どもは、その3つを使って、『顔』を作ったのだ。当然のことながら、我も我もとつくり出し、食缶は、△おにぎり型のキャラクターでいっぱいになった。実に平和な教室の一コマであった。


「4.28」屈辱の日

2015年05月04日 | 日記

 4月28日の日米首脳会談は、世界中の米軍の戦争に日本も参加することを約束した。この日を沖縄出身の友人は自身のホームページ「ユンタクおばさん」で次のように訴えた

「4.28」屈辱の日。
 本土防衛の捨石にされた先の沖縄戦で、4人に一人が殺され、ウチナーグチ(沖縄語)を使ったらスパイで殺され、壕から追い出され、手りゅう弾を渡され・・・・ 生き残った人は「艦砲のくいぬくし(食べ残し)」という民謡まで作られて謳われている沖縄で・・・1952年4月28日はサンフランシスコ講和条約で日本から切り離され米軍統治下に置かれた日だ。
 その条約に調印する前、米軍統治下に置かれること知った沖縄の人々は、戦後の混乱のなかで、反対署名運動をやり、70%80%の圧倒的な署名を集め、日本政府に差し出した。
 しかし、結果は知っての通り、27年間、軍事優先の米軍統治下におかれた。そして、その間、日本は脅威の復興をとげた。沖縄を利用し、基地建設で日本の土建が請け負い、朝鮮特需、ベトナム戦争での 特需など沖縄を利用して、日本は肥え太っていったのだ。外貨、ドル獲得の絶好の沖縄だった。
 主席公選・復帰運動は、基地の核抜き本土並み返還をかかげ、日本の平和憲法のもとへ帰るための自治権獲得の運動だった。
 しかし、今日の沖縄の現状は・・・基地はそのままの上に、沖縄の圧倒的民意を踏みにじり、翁長知事を足蹴にして、今また、辺野古に最新鋭の巨大基地建設を強行。
 それも、非暴力の市民への弾圧を伴って!
 日米ガイドライン・首脳会談を4が28日にセットし、強大な日米で、沖縄を押しつぶそうと画策。自由・人権とか民主主義とか掲げて他国を非難している両国だが、その内実の 「差別主義」の最たる現状を私たちは、世界に訴え、心ある世界の人々と日本の人々と連帯し、「沖縄はあきらめない!屈しない!負けない!「絶対、辺野古に基地は作らせない!」
 一人ひとりの思いをつなぎ、あかるくたくましくしなやかに!!・・・・辺野古・大浦湾のちゅら(美しい)海はちゅら海のまま子や孫にのこしていこう!


Show the blood

2015年05月01日 | 日記

 日米防衛協力の指針、いわゆるガイドラインが27日、日米安全保障協議委員会(2プラス2)で合意された。
 日本国憲法の上位に日米安全保障条約がある現状は、米軍による暴力による被害を許し続けている。今回は、さらに安保条約の上位にガイドラインをおくような国民無視の政府間合意だ。世界中で日米が戦争ができる「切れ目のない日米協力の確立」が、その内容だ。
 「切れ目ない」とは、「物事が安定して継続すること」を指すが、英語では「segue」で「ついていったり、追うこと」が語源のようで、どこまでも米軍の戦争についていきますと言っているようだ。湾岸戦争のとき米高官に「Show the flag」と言われてアタフタした日本だが、今度は「Show the blood」ではないか。自衛隊から戦死者を出してはならない。

 28日の新聞は、トップでこの記事を載せているが、読売新聞は「対中平時も一体運用協議」の見出しで、「米軍幹部を自衛隊に常駐させるなどして平時でも利用可能なことを明確にし、抑止力の『切れ目』をなくす。」と記者自ら引用でなく「切れ目』と言う言葉を使って解説している。朝日新聞は「日米同盟の本質転換」の見出しで、「自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する内容で、自衛隊のあり方が根本から変わる。」と解説している。社説でも「日米同盟の実効性を高めたい」(読売)、「平和国家の変質を危ぶむ」(朝日)とスタンスの違いが鮮明に出ている。
戦争とは、縁の切れ目にしてほしいものだ。