東京教組(東京都公立学校教職員組合)

教職員のセーフティーネット“東京教組”

「時差勤務制度」の活用で、育児や介護と仕事の両立を

2015年03月30日 | 日記

 都労連、東京教組のとりくみによって、4月1日より「育児と介護を理由とする時差勤務制度」が導入されることになった東京教組は都教委に「解明要求書」を提出し、「一問一答」も確認した。
 学校は出勤時間が早いので朝、保育園に子どもを連れて行くまでの忙しさは並大抵ではない。親をディケアセンターまで送っていく時間にも休暇をとらなければ間に合わない。こうした時に、勤務時間を1時間(30分)ずらすことができる「時差勤務制度」が活用できる。
 この制度は、「職員の柔軟な働き方を促進し、仕事と育児及び介護との両立を支援する」ことを趣旨として導入されたもの。従って、勤務時間の割振り等、制度の運用に当たっては、子育てや介護を行う教職員のための制度である事を十分に理解した上で運用しなければならない。
 時差勤務制度を利用することで、授業にかかってしまう場合でも、時間割の工夫で替わって授業を行う人がいれば、公務に支障なく取得できる。
 なお、時差勤務の振分けは、組合との交渉事項なので、管理職が勝手に決めることは出来ない。教育職員の60分の時差勤務と事務職員や栄養職員などの行政系職員の30分の時差勤務は、前後どちらにするか各職場で決めなければなりません。勤務時間の届出の〆切までに校長と交渉する必要がある。都教委も「育児又は介護を理由とする時差勤務の導入については、職員団体と区市町村教育委員会及び校長との協議・交渉の上、適切に導入するものと考える」と回答している。
 時差勤務の交渉や申請をする際の留意点、実際の勤務の割振り例などは、東京教組にお問い合わせください。
☎03-5276-1311 Mail: ttu@tokyokyouso.org
(白木蓮) 


フードバンク

2015年03月27日 | 日記

 食品メーカーや外食産業などの、従来は廃棄されていた品質に問題がないものや包装不備などで市場での流通が困難になり、商品価値を失った食品を提供してもらい、生活困窮者に供給する市民団体がフードバンク。
 企業にとっては、廃棄費用を抑制できるだけでなく、食品廃棄物を抑え、福祉活動に貢献するCSR(企業の社会的責任)活動にもなり、企業価値の向上にもつながる。
 食べ物に困っている人はホームレスという誤解もあるが、実は、ひとり親世帯、独居の高齢者、難民などの在日外国人など、生活に困窮する方はさまざまなところにいる。貧困がDVや虐待などのファミリー・バイオレンスの原因になったり、ファミリー・バイオレンスから逃れても、生活がなかなか安定せずに貧困になることも多い。
 学校で、給食だけが安定した食料源になっている子どもたちも多くいる。
 貧困線以下で暮らす人は2000万人(日本人の6人に1人)。
 一方、まだ食べられる食品が500~800万トン捨てられている。なんと主食である米の、年間生産量840数万トンに近い量だ。
 この「食品ロス」と「貧困」を繋ぐのが「フードバンク」という活動だ。セカンドハーベスト・ジャパン (台東区)やフードバンクかわさき (川崎市)などの他にも千葉県、山梨県にもフードバンクはある。
(杏の花を啄むヒヨドリ)

 


バレンタインデー

2015年03月25日 | 日記


一ヶ月ほど前の2月12日のことだった。授業が終わって職員室に戻ると,自分の机の上にお菓子作りの本がおいてあった。大百科と名をうっているその本は相当な大きさで,しかも相当に破損していた。修理するにはちょっとした手間と時間がかかるのは一目瞭然だった。司書教諭の自分に司書さんからの修理依頼だということはすぐに解った。放課後,その本を持って図書室へ。修理の算段を司書さんとするためだった。

 「この本の修理ですが,ちょっと時間が…」と切り出そうとしたところ,司書さんの隣にいた生徒が「直ったんですか‼」と自分にたずねてきた。

 「いやまだけど…」と言うと「この本の中に出ているお菓子をバレンタイン用に明日是非作りたいんです」と訴えてきた。

 「というわけで破損している本を貸し出すこともできないので先生の机の上に置いておいたんです」と司書さんがこれにつづいた。

 「なるほど…」そのような状況ではやるしかない。「30分待ってください」と言って,自分は修理道具を総動員させて,お菓子大百科の修理にとりかかった。予想通り修理には30分ほどかかった。バラバラになったページの綴じ合わせから背表紙の補強まで徹底的に修理した本をかかえて生徒は嬉々として帰っていった。その姿を見て元気をもらいつつ,また,修理する楽しみが一つふえた。


むごい教育

2015年03月23日 | 日記

 教育とは「むごい」ものでもある。
 かつて、教育によってお国のために死ぬことを最高の道徳(教育勅語)と教え込まれ、軍国少年・少女として育ち、命を失わさせられた。ヒロシマ、ナガサキで命を落とした子どもたちも・・・
 核兵器廃絶への願いを踏みにじるための施策として「原子力平和利用」が唱えられ、原発PRにも教育が駆り出された。

 東京電力福島第一原発がのある双葉町で、学校の宿題として原発PRの標語が27年前に出された。当時、双葉北小6年だった大沼勇治さんは、「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語を提出し優秀賞に輝き、街のシンボルとなる看板になった。
 大沼さんは、原発事故で故郷を追われ、妊娠中の妻と全国各地を転々としなければならなかった。避難生活の中で「原発は明るい未来どころか故郷の町をズタズタにした」と苦しみ脱原発を訴えている。
 その看板を撤去する方針が出されて大沼さんは、「負の遺産として保存し、人間の愚かさを後世に伝えるべきだ」と撤去反対を町や町議会に申し入れた。
 「老朽化して危険」というのが町の撤去理由だが、大沼さんは「周囲に崩壊しそうな公共物がたくさんあるのに、看板だけ撤去するのは間違った過去と向き合わない行為。それだけの金額があれば補強できる。子どもたちにも真実を伝えていきたい」と保存を訴え、署名運動も始める。
 戦争も原子力も過去と向き合わない、そのお先棒を教育が担ぐのだけはごめんだ。


巣立ち

2015年03月20日 | 日記

 私の最後の卒業生たちが巣立っていった。不登校を乗り越えて、学校を楽しむことができるようになった子どもたちだ。
 表現することが苦手な彼らが、38メートルの大絵巻「私たちの憲法」を完成させた。そこには、「こんな世の中になったらいいな」という彼らの思いが描かれている。
 国語の時間につくった一句「暗い気分 ここさえ来れば 晴れてくる」「ほっとする みんな違って みんないい」からも、彼らの気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
 子どもたちの成長は、教員の成長。多くのことを学ばせてくれた子どもたちに感謝の気持ちでいっぱいだ。 

 先日紹介した大阪市立大空小学校のスクールレターで、木村校長は次のように呼びかけている。

「学校」はさまざまな課題を抱えた子どもたちが学び合う場です。大空小の営みはすべてオープンです。だからこそ、多くの課題が浮き彫りになってきます。大人でも生きにくい今の社会です。子どもたちは、もっともっと生きにくい状況に置かれています。だからこそ、すべての子どもの学習権を保証するのが公立学校の役割です。できてないことや、 問題点を批判するのはたやすいことです。子どもには「文句」を「意見」に変えることの 大切さを指導しています。大空小のすべての子どもが、サポーターや地域のみなさま方の 子どもだったらと思っていただき、~みんながつくる みんなの学校 大空小~をご支援いただきますようお願いいたします。


「くくり」で物事をとらえる偏見

2015年03月16日 | 日記

 ミツマタ先月、映画「みんなの学校」を紹介した(2/13)。大阪の大空小学校のドキュメンタリーで渋谷のユーロスペースで上映中だ。その大空小学校の「学校だより」がいい。少し長いけど、是非読んでほしい。

「受け入れる」と「ともに学ぶ」は大違い!
 4月30日の全校道徳です。『先週、一人の友だちが、一人の先生に「先生、ショウガイあるん?」と聞きました。聞かれた先生は、突然のことだったので「どうしてそん なことを聞くの?」と言ったところ、「10,9,8,7・・って早口で言ってたから」と答えたそうです。みんなに質問します。「自分にショウガイはありますかと聞かれたら、自分はどう答えますか。」子どもも大人も講堂中のみんなはいつにも増して真剣な表情です。「わたしが聞かれたら、わからないと答えます。今のわたしは、自分にショウガイがあるかないかはわかりません。」と、自分の考えを正直に伝えました。不思議そうな顔や、驚いているような顔の子どもたちと、大人の緊張感が伝わってきます。「ショウガイってどんな意味ですか?」と次に質問しました。いつもと違って手があがりません。そこで、みんなに、「ショウガイ」の意味が「わかる」か「わからない」かを問いました。「わかる」と答えたのは、子どもも大人も2、3人。ほとんどは「わからない」と答えました。わたしも「わからない」に手をあげました。専門家やドクターの研究から多くのことは学んでいます。しかし、子ども同士が学びあう学校という場では、まだまだこの意味はわかりません。わからないから、みんなで考えるのです。この学びのきっかけをつくった子どもは授業後に「しょうがいのこともわからないのに、かってにこの言葉を口から出してしまった。わからない言葉は自分で使わないようにしようと思った。」と、書いていました。 大空小では、「障がい」という言葉をこれまで、学習の中では使っていません。子ども同士のトラブルを解決したり、違いを納得させるのにこの言葉を使えば、先生はというより、大人はとても簡単かもしれません。(この子は「障がい」があるんやから、わかったりや・・)まさに、一方通行の「受け入れる」発想です。もともと先に土台があって、そこに受け入れるということなのです。この考えで子どもを指導するのは、「くくり」で物事をとらえる偏見の助長につながりかねません。とは言うものの、この言葉 を使わずに互いの違いを理解させることは正直、悩むことが多く、困る場面がたくさん あり、悪戦苦闘の毎日です。大人でも難しいこの課題に子どもが自分の体験を通して向 き合い、自分なりに考え、さまざまなことを感じる。子どもも大人も「ともに学ぶ」場では、人と人との関係は対等です。この「ともに学ぶ」が、本校の教育目標「ともに生きる力」を培うことにつながると考えています。 今回、「30秒足らずのできごと」が、子どもにも大人にも大きな学びにつながりました。 学校はすべての子どもが対等に、自ら学ぶ場です。その学びを指導するのが、教員であり、教職員です。そしてサポートするのが子どもの周りの大人です。 校長木村泰子

 東京の公立小学校で6年生の男子が卒業文集に「将来、国会議員になって、戦争したり武器を輸出したりしない平和な国を作りたい」と書こうとしたら、「政治批判を内容に含み卒業文集には載せられない」として書き直しを命じられたそうだ。情けない!
 「くくり」で物事をとらえる偏見をなくそうとする大空小学校とエライ違いだ。

 大空小学校のたった一つの約束は、「自分がされていやなことは人にしない、言わない」

(ミツマタ)


父母未生以前の本来の面目如何

2015年03月13日 | 日記

 漱石がかつて北鎌倉円覚寺へ参禅したとき「父母未生以前の本来の面目如何」という公案を出されたらしい。「父母が生まれる前の私とは何か」という禅問答である。
 中学生にこの問いを発してみた。
 「お母さんとお父さんの出会いがなければ私の存在はあり得ない。」「お父さんやお母さんが生まれるためにはおじいちゃんとおばあちゃんが結婚していなければならないし、そのまたおじいちゃんやおばあちゃんが生まれるにも…。確かに、そのうえで私がいるんだ。」「じゃあ、私って何?」 「私が思う私ってホントにあるのかな?」
 さすが本質的な問いは中学生も揺り起こすようだ。そんな素直な姿に触れているときはかわいい生徒たちだが、こちらの神経をギリギリねじらせるような苦しみを与えてくることのほうが断然多い。
 教師の仕事を「感情労働」とはよくぞ名づけてくれたものだ。
 そんな折には自然の美しさに触れるに限る。ふと思う。父母未生の以前から自然を美しいと思う「私」がいたのでは? そして自然を美しいと思うように人もまたそのまま美しいと思えるようになれたら… そんなわがままを言ってみたくなる。
(ソシンロウバイ)


高度プロフェッショナル制度

2015年03月09日 | 日記

 誰もが派遣労働者にさせられ、何時でも解雇できることに加えて、残業代ゼロで働かされる労働法制の大改悪をアベノミクスの第三の矢として強行されようとしている。
 その名も「高度プロフェッショナル制度」。かつて、ホワイトカラーエグゼンプションと呼ばれたが、要は「長時間、残業代ゼロ制度」だ。
 こうした安倍政権の動きに、2月18日、日本労働弁護団、過労死弁護団全国連絡会議などが主催する緊急の反対集会が開かれた。
 集会で、労働弁護団の棗一郎弁護士は「最初は一定の年収などハードルを設けても、いったん成立すれば、歯止めがなくなる」と批判。新宿の新採用教員の自死の公務災害認定にも尽力された過労死弁護団全国連絡会議の川人博弁護士は「安倍首相は、総選挙の時の演説でも『米アップルの日本に進出に見られるように日本経済は好転する』と盛んに強調したが、アップル製品を作る中国企業の労働現場では過酷な労働が問題になっている。アップルに象徴されるような米国に拠点を置く多国籍大企業の投資を呼び込み、日本が『世界で一番企業が活躍しやすい国』にしようというのが安倍政権。労働法制改悪の背景には安倍政権のこうした狙いがある。また、長時間労働と残業代不払いが一体となっているのが日本の労働現場の実態。企業は払わないから安心して長時間労働をさせている。さらに、残業代不払いを合法化したいというのが今回の制度改悪の狙いだ」と糾弾した。
 集会では、すでにアメリカでは、残業代のない長時間労働が深刻になっている調査結果や、子どもや夫が過労死に至った経過や残された家族の苦しみも報告された。
「高度プロフェッショナル制度」などという名前にだまされてはいけない。
(寒紅梅)


国会のヘイトスピーチ

2015年03月06日 | 日記

 空いた口が塞がらない。衆議院の予算委員会で安倍首相が閣僚席から「日教組はどうした」などと連呼する野次を飛ばし、予算委員長からもたしなめられた。このことについて、3月5日の日刊ゲンダイで高野孟さんが「永田町の裏を読む/自民党議員も頭を抱える 首相の時代錯誤、無知無教養、幼児性…」と題して自民党内でも批判が続出しているとの記事を寄せているので紹介する。

 旧知の自民党ベテラン県議から連絡があって、東京に来ているのでちょっと会おうとお誘いがあった。何かと思えば、「安倍晋三首相が国会で『日教組はどうした』などとやじを飛ばしているのを見て、こりゃあもうダメだ、こんなヤツをいつまでも総理に置いていたら日本はおしまいだと思いつめて上京し、何人かの大物幹部と会って意見交換した」のだと言う。
 「だって、あれは品格とかいう以前の問題で、総理が予算委員会の閣僚席からヘイトスピーチを吐いているようなものでしょう。『日教組』という御札を突き付ければ野党議員は黙るだろうと考える、その時代錯誤。しかも、日教組が国から補助金をもらっていると思い込んでいた無知、無教養。カッとなると自分を抑えられない幼児性。今どき、うちの県議会にだって、こんな馬鹿な政治家はいないよ」と、まあボロクソなのだ。

 さて、「日教組が補助金をもらっている」などという誰でも分かるガセネタを安倍氏はどこで知り、信じ込んでしまったのだろうか?訂正、謝罪ではすまされない、是非、追及してほしいものだ。こんな情報を鵜呑みにするようでは、国の進路を間違えることだけは確かだ。


八週齢規制

2015年03月04日 | 日記

 以前,知人の描いた漫画を読んでいて,その中にペットの八週齢規制の話があった。ペットを生後八週以内に販売することを禁止する規制なのだが,いくつかの外国では実施されているらしい。生後八週以内にペットを親から引き離すと,不安定な成長をとげ,場合によっては飼い主になつかないこともあるらしい。科学的根拠が無いという理由で,導入していない国もあるらしいが,規制を導入している国ではそれなりの成果があがっている。なつかないペットは飼い主のもとを離れ殺処分になる場合もある。その後ペットを飼っている生徒との会話の中で八週齢規制の話になり,生き物を飼っているものとして八週齢を理解することが大切であるという結論にいたった。中には八週齢にならないペットはペットショップで買わない。と断言する生徒もいた。そのことを知人話すと,いたく喜んでくれ「漫画を描いてて良かった」とまで言ってくれた。こちらこそ生命の重みを知人からおそわり,それを生徒と共感する希有な体験ができ,こちらから感謝したいほどであった。その意味で話題を提供してくれた知人から元気をもらいつつ,また,楽しみが一つふえた。


学校が子どもをつくる?子どもが学校をつくる?

2015年03月02日 | 日記

 学校も年度末になった。年度末になると何処の学校でも来年度に向けての様々な方針が打ち出されるが、先日、生活指導部からこのような提案があった。
 「女子の髪が大変だらしない。近隣の学校では肩まで髪が伸びている場合は結ぶようにと指導している。
  うちの学校も落ち着いてきたので、来年度から結ぶように指導したい」
A区に異動してきて三年目。異動してきた当初は、スカートがやけに長いなあとか、ともかく身だしなみを細かく注意するのに違和感があったが、慣れは恐いもので、最近は何も感じなくなってきてしまっていた。
そこに、この提案である。
はじめからけんか腰ではひかれてしまうので、まずやんわりと質問してみた。
 「なぜ、髪を結んだほうが良いのですか。今の状態ではどこが問題なのでしょう」
 「見た目がだらしない。下を向くと横の髪がじゃまになる」
私ばかりが発言しても・・・と思ったが誰も発言はなし、沈黙が続いた。私はとうとう痺れを切らし 「肩につく長さ、というのはどの程度をいうのですか。この子は髪が肩までだな。この子はまだ結ばなくても良いな。この子は注意しなければ・・・と考えると、常に子どもの髪ばかり気にするようになる。また微妙な長さだと注意する先生と注意しない先生がでてくる。こういうところから学校は荒れていくのではないですか」
 生活指導主任は
 「でも、先生は受験の時など指導なさいますよね。ならば受験の時だけでなくいつも指導して何がおかしいのでしょう」と、勝ち誇ったように言う。
 私は
 「そもそも受験の時も、必ず髪を結びなさいと指導はしていません。清潔感があるように、とこちらが伝える事により、子どもが考えて判断していくのが大切なのではないですか。だいいち、生活指導は、毎日私達が見る子ども達のようすで、今の子ども達のおかれている状態、気持ちの有り様を見ていくのが本当の生活指導だと思います。だらしない格好をしていたら、そのむこうにある子どものSOSをみつけ、どうすればよいかを考えていく、それが本来のプロである、私たちの役目だと思いますけど」
 このあと、数分間の沈黙が続き、副校長の
 「この件は再提案してもらいましょう」の一言で終わった。
 
 今、学校現場では、生徒会活動という名の自治活動は風前の灯、うちの学校では、服装を取り締まるのが生徒会のようになってしまっている。「子どもの権利条約」の意見表明権の話をしても、ぜんぜんそれに飛びつかない。
 私達教員も、子どもの自主性をうばっているが、それをよしとする子ども達も多数存在する現実。
 どうすれば、子ども達のための学校を取り戻せるのだろう。